書評『シモーヌ・ヴェイユ』――不幸と闘い続けた哲学者、その思想の伝記

ライター
小林芳雄

革命幻想を打ち破り、精神の変革を志向する

 戦争と革命に揺れ、全体主義の台頭と大量虐殺を招いた20世紀。シモーヌ・ヴェイユ(1909年-1943年)はこの暗い時代に誰よりも真剣に向き合い、独創的な哲学を築き上げたことで知られる。徹底した行動と冷静な知性に裏打ちされたその思想は、現代でも大きな影響をもつ。本書は彼女の生きた時代状況と思索の過程を丹念に辿り、その哲学の全体像に迫った「思想の伝記」である。

三四歳で亡くなるまでのほぼ二〇年間に書かれたテクストを通読すると、ヴェイユの思想に根本的な変化はみられない。あるのは熟考と経験のもたらす深化であり重層化である。(本書9ページ)

 ヴェイユはフランスのユダヤ人家庭に生まれ、高校では哲学者・アランの薫陶を受けた。エリート養成機関である高等師範学校を卒業し、教育者となった。
 彼女が社会に踏み出した当時、ロシア革命や経済不況の影響を受け、社会主義革命への期待がかつてないほど高まりをみせた時代であった。
「正しい思考は正しい行動をみちびき、欺瞞と妥協にみちた人生は生きるにあたいしない」という師匠であるアランの教えを実践すべく、高校教師として働きながら社会主義運動にも真剣に取り組む。その過程でソ連が全体主義体制であることを見抜き、損得ずくの主導権争いに明け暮れる労働組合の惨状を知った。
 多くの知識人が革命幻想に酔うなかで、ヴェイユは真実の革命は「生命を愛するもの」であり、暴力や戦争を容認する革命は「民衆のアヘン」であると厳しい批判を加えた。その思索は初期の代表的著作『自由と社会的抑圧』として実を結んだ。
 ナチス・ドイツがフランスを占領すると、ユダヤ人であったため亡命生活を余儀なくされた。彼女は、ヨーロッパを席巻したナチスの本質に偶像崇拝を見いだし、そうした似非信仰を打ち破れるのは真実の信仰以外にない。さらに、さしたる抵抗もせず占領を許した祖国フランスの姿、なかんずくナチスに融和的姿勢すらみせた自称平和主義者の堕落した姿勢は彼女を驚かせた。そこから祖国の立て直しには、制度面だけでは不十分であり、精神の変革が必要不可欠であると考えるようになる。キリスト教のみならず東西の宗教的古典への理解を深めていく。後期の代表的著作『重力と恩寵』や『根をもつこと』はその成果である。
 一見すると神秘哲学と捉えられかねないその哲学的議論は、現実を冷徹に見つめる力強い知性に支えられている。ここにヴェイユ哲学の魅力があるのだろう。

不幸を注視する知性、同苦し共感する心の力

「不幸について語るべきなにか知るひとは語るすべを知らず、語るすべを知る人は不幸を知らない」と書いたヴェイユその人は、不幸を知ってなお、語るすべをうしなわず(あるいはとりもどし)、語りつづけた稀有な人間のひとりだった。(本書356~357ページ)

 ヴェイユは、生涯をかけて地上に蔓延する不幸と闘った哲学者である。
 裕福な家庭に育ち才能にも恵まれた彼女ならば、何不自由ない生活を送ることもできたはずだ。しかし彼女は不幸な人々に共感し行動し続けた。
 教員を休職してまで工場へおもむき、当時社会で底辺に暮らすとされた労働者として生活し、その窮状を観察し心を痛めた。またスペイン内戦が勃発した際には過酷な戦場に身を置き、戦争の悲惨さと人間の残酷さを見つめ続けた。生来、病弱であり慢性的な片頭痛に悩まされたにもかかわらず、生涯にわたり恵まれない立場にある人々を理解することを望み、彼らと共にあろうとした。その姿勢は妥協を知らず、晩年、結核に罹患した際にも、母国フランスの人々が受けている配給以上の食物を決して口にすることはなく、そのことが病状を悪化させ、死を早める原因となる。
 不幸とは何かという問題を哲学的に考究するだけでなく、不幸な人々の声なき声に注意深く耳を傾けその苦しみに胸を痛める。この共感し同苦する力こそ、彼女の哲学を重層的に発展させた原動力である。

アランとの師弟関係

 アランの哲学の教授法は学生に徹底して書かせることである。思考の修練を工房での徒弟修業とみなし、一日すくなくとも二時間は書くことを求めた。不統一で乱雑な筆跡は不統一で乱雑な思考を生む、訂正や加筆は構成力の欠如にすぎない、が口癖であった。(本書16ページ)

 生前、ヴェイユは雑誌論文などをのぞいて、まとまった著作を刊行することはなかった。主著とされるものは、書き残された膨大な遺稿から編集者がまとめたものであり、生前に彼女の哲学が広く世に知られることはなかった。出版の見込みすらない膨大な原稿を彼女はなぜ書き綴ったのか。それは高校時代に師匠・アランから受けた教えに由来する。
 ヴェイユはアランを心の底から尊敬し、高校を卒業した後も彼の哲学の授業に参加し作文を出し続けていた。師弟関係といっても、〝師を崇拝する〟というような一方通行の関係性ではない。ときには政治問題をめぐりはげしい議論を交わしたこともあったらしい。
 高名な哲学者であるアランもまたも個性的なこの教え子に手を焼きつつも(ヴェイユに「火星人」という綽名をつけていた)、その目を見張るような才能には期待をかけていたようだ。後年の日記で34歳の若さで夭折した教え子に心を痛めつつ、その著書『根をもつこと』に最大限の賛辞を書き綴っている。
 ヴェイユは生涯師匠の教えを守り続けた。残された遺稿の分量から考えると、1日2時間かそれ以上の時間を執筆にあてていたことが推測されるという。また現存する彼女の手稿をみると、アランの教えを受ける前と後では筆跡そのものが変化しているそうだ。彼の薫陶を受けた後に書かれている手稿は、小さいが規則的できれいな文字で綴られ訂正も少ない。もし彼女がアランの教えを守り続けていなければ、いかに才能があったとしても彼女の思想と文章は世に知られることはなかっただろう。
 生死を超えて響きあう師弟の絆こそ、哲学者シモーヌ・ヴェイユへ不滅の栄光をもたらしたのである。

『シモーヌ・ヴェイユ』(冨原眞弓著/岩波現代文庫/2024年4月12日刊)

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こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。