『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第56回 正修止観章⑯

[3]「2. 広く解す」⑭

(9)十乗観法を明かす③

 ②思議境とは何か(2)

 ところで、ここに十法界の区別の根拠が示されていることが見て取れるであろう。それは衆生が諸法(自己を含むすべての存在)をどのように見るかによるといわれる。つまり、諸法を有(永遠不変に実在する固定的実体)と見ると六道となり、空(固定的実体のないこと)と見ると声聞・縁覚となり、仮(固定的実体はないが、諸原因・条件に依存して仮りの存在として成立していること)と見ると菩薩となり、中道(空と仮のどちらか一方に偏[かたよ]らず、両者を正しく統合すること)と見ると仏となると説明されている。
 ここでは、「見る」といっているが、「見る」ことは衆生の一切の行為を集約して表現したものであり、ただ単に「見る」だけにとどまるものではない。衆生の生き方全体が「見る」ことに深く関わっているのである。たとえば、六道の衆生は諸法を有としか見ることはできないし、また有と見ることにおいて六道の衆生のあり方が成立しているのである。有と見ることは、対象が永遠不変に実在するものと捉え、その対象に必然的に執著することを意味する。そこで、六道の衆生のあり方が成立するのである。六道の衆生は煩悩に駆り立てられて対象に執著するが、彼らは対象を有と見ているのである。
 空と見ることは、対象が固定的実体を持たないものと捉えることであり、そこにおいては対象に執著するということはない。そこで、二乗のあり方が成立するのである。しかし、この空に一方的に偏れば、大乗仏教の根本的な修行である、衆生救済や仏国土の建設に何ら積極的な意味を見出すことができず、あらゆる行為の意味を否定するニヒリズムに陥ってしまう。そこで、次に現象界は、固定的実体はないが、いま現にあるような仕方で成立しているという一側面を正しく捉え、凡夫と仏の厳然たる区別を看過することなく、凡夫を導いて仏にならせる利他行に生きるあり方が菩薩として要請される。しかし、この菩薩も仮に一方的に偏れば、つねに凡夫に退落する危険に晒されているのであり、そこで空と仮を正しく統合する、より高次な中道が仏のあり方として措定されるのである。
 以上のように、諸法をどのように見るかということによって、衆生の十法界のあり方が規定されるという考え方は、実は後に述べるように、諸法の真実ありのままの様相、すなわち諸法実相を観察、把握することが仏道の究極の目的であるとする『法華経』の思想(『法華経』方便品の「唯だ仏と仏とのみ乃[いま]し能く諸法の実相を究尽す」を参照)に強く動機づけられた智顗(ちぎ)の思想の大きな特色である。智顗はこの諸法実相を究め尽くすことがとりもなおさず成仏することであると考え、本来言語表現を超える諸法実相をさまざまな仕方で表現しようと努力している。上に述べた中道もその一つであり、また、空、仮、中道の三者が一体となって円融しているとする三諦円融もそのような表現の一つである。そして、これから考察する一念三千説もこの諸法実相の内実を表現したものなのである。
 さて、引用文の末尾は、地獄界から仏界までの因果の十法が、浅いものから深いものへと連なりあっているが、すべて心から出ているのであり、これは別教に相当する大乗の無量の四諦に包摂されるが、やはり思議境であって、今の止観の観察する対象ではないことを結論的に述べている。

 ③不可思議境とは何か(1)

(1)法界
 以上のように、『摩訶止観』は説明の便宜上、思議境の説明を先行させたが、その説明が終わり、次に不思議境の説明に入る。実は、一念三千説を構成する概念には、法界、三世間、十如是があるので、この段では順に説明されている。はじめに、法界についての説明である。

 不可思議境とは、『華厳』に、「心は工(たく)みなる画師の種種の五陰を造るが如し、一切世間の中、心従り造らざること莫し」と云うが如し。「種種の五陰」とは、前の十法界の五陰の如きなり。法界とは、三義あり。十数は是れ能依、法界は是れ所衣、能所合わせ称するが故に、十法界と言う。又た、此の十法は、各各の因、各各の果ありて、相い混濫(こんらん)せざるが故に、十法界と言う。又た、此の十法は、一一の当体皆な是れ法界なるが故に、十法(※1)界と言う、云云。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、560頁)

とある。『華厳経』の引用は有名なもので、出典は、『六十巻華厳経』巻第十、夜摩天宮菩薩説偈品、「心は工(たく)みなる画師(えし)の、種種の五陰を画(えが)くが如し。一切世界の中に、法として造らざる無し」(大正9、465下26~27)である。引用文に出る「種種の五陰」は、十法界の五陰と解釈している。さらに、十という数は能依(依る主体)で、法界が所依(依る対象)であり、能と所をあわせて呼ぶから十法界とされる。さらに、この十法にはそれぞれの因、それぞれの果があって、たがいに混同しない、つまり明確に区別されるから十法界とされる。さらに、この十法は、一つひとつのそれ自身がすべて法界であるから十法界とされる。ここには十法界の三つの意義が示されているが、順に空・仮・中の三種の意義に相当している。
 このことを『輔行』巻第五之三(大正46、293上27~中5)では、次のように、十法界のいわゆる三転読として説明している。第一の十(能依)+法界(所依)と読むのは真諦に焦点をあわせた読み方である。第二の十法+界と読むのは俗諦に焦点をあわせた読み方である。第三はひと続きに十法界と読むもので、中道に焦点をあわせた読み方である(※2)

(注釈)
※1 底本の「時」を、『全集本』によって「法」に改める。
※2 なお、『法華玄義』巻第二上にも十法界の三転読が説かれる(大正33、693下7~16)

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。