自分と社会との違和感を乗り越えられない言葉の非力さ
諏訪哲史(すわ・てつし)著/第137回芥川賞受賞作(2007年上半期)
奇妙な意味不明の言葉
選考委員の意見がいかにも賛否両論に分かれそうな「アサッテの人」。
「ポンパ」などと意味不明の言葉を突然口にする奇行を持つ叔父が失踪し、放置された空き家の後片付けのために甥の「私」がその部屋を訪れる。そこに残されていた叔父の日記や、語り部である「私」がその叔父をモデルに長年書き続けてきた小説の断片などを用いて、叔父が何を感じ、何を求めていたのか、その内面に迫ろうとする話である。そこから見えてくるものは、社会と自分とのどうにも折り合えない感覚だ。
この小説の重要なテーマでもあり、またそれを表現する道具でもあるのが〝言葉〟だ。当然、言葉には意味があり、その意味するところによって個人と外界とはつながりを持つが、言うまでもなく言葉はその人の内面を100%ずれることなく的確に伝えることはできない。叔父が意味不明の言葉を発するのは、言葉の意味によって表現しようとするのではなく、意味のない「音」がより的確に自分の感じているものを表現できるからだ。こうして、他人が聞けば、奇妙に映る意味不明の言葉を発することによって、叔父は社会との違和感を埋めようとするのであろう。こうした感覚は、擬音語や擬態語といった音による表現を使いこなす日本人の感覚としては、比較的理解できると個人的には感じた。
叔父のこうした言葉の音に対するこだわりは、幼少期の吃音に悩んだ経験が土台にあるようだ。言葉が出ないという羞恥心、苛立ち、そして社会と自分を冷たく断絶する絶望は、その後吃音を克服したことによって取り除かれたと思われたのだが、むしろ意味としての言葉の限界を直視することとなり、余計に社会との違和感や疎外感を強めていく。
今回から選考委員となった川上弘美は次のように高く評価。
異状なことを描いているようにみえて、実は多くの人がかかえる、『生きて言葉を使って人との関係を持たねばならぬということ』の覚束なさを、ていねいに表現している
奇抜な構成
構成は複雑だ。語り部である「私」は、今、リアルタイムで叔父を題材とした小説「アサッテの人」を書いているという設定になっている。しかし、叔父のこうした複雑な精神や内面を書くのは、普通の小説の書き方では困難だということで、自分が過去に書いてきた叔父に関する小説や、叔父の部屋にあった日記などをコラージュ的に書き並べていく手法を取っている。
こうした特殊な構成方法について、選考委員の池澤夏樹はこのように評価。
甥が遺された断片的な資料と自分の記憶のみを用いてこの男の像を描こうと悪戦苦闘する過程がそのまま小説となる。大事なのはこの困難な課題を積載できるだけのしっかりした文章の力を作者が持っていることだ
髙木のぶ子も次のように高く評価。
これまでいくつかの新人賞の選考に関わってきて、従来からの小説のかたち(読者とのコミュニケーションの方法)を破壊再構築しようとする作品にも出会ってきたが、それらはことごとく失敗して見えた。初めて成功した作品かもしれない。成功理由は『文章自体を壊さなかったこと』とそれによって授受される『細部のリアリティ、生理感覚』だろう
つまり、少しも乱れることのない、しかも変幻自在な文章力が、こうした奇抜な構成をも成立させているというのである。
観念に過ぎない哲学的遊び?
反対意見も多かった。宮本輝はこう述べている。
言語についてのある種の哲学的論考が、私には所詮観念に過ぎない思考の遊びに思えて受賞作として推せなかった
村上龍はこうだ。
わたしは推さなかった。退屈な小説だったからだ。『アサッテの人』はさまざまな意匠で飾られ彩られているが、装飾を引き剥がすと『コミュニケーション不全』と『生きにくさ』だけが露わになる
石原慎太郎は一層厳しい。
今回の候補作の大方は読者の代表の一人たる私にとっては何とも退屈、あるいは不可解なものでしかなかった。それでもなお選考委員の多くは極めて誠実勤勉に、作者の意図しようとしていたものを読みこみ理解もしようと努めていたが、私にはそんな気を起こさせる以前の代物にしか思えない
加えて、他の候補作「グレート生活アドベンチャー」「アウラ アウラ」「わたくし率イン歯ー、または世界」「オブ・ザ・ベースボール」といった、奇をてらったようなタイトルにはいたく立腹したようで、「大体、作品の表題がいい加減で、内容を集約表現しているとも思えない。自分が苦労?して書いた作品を表象する題名も付けられぬ者にどんな文章が書けるものかと思わざるをえない」と述べている。
作者の諏訪哲史は、小学生の頃から1週間に10冊の本を読破し、40歳で累計が1万冊を超えるという無類の読書家で、「小説狂」「文学的テロリスト」などと評されることもあるそうだ。
賛否両論はあるもの、言葉について、言葉で描いた、その重量感は、無視できるようなものではない。
「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』 第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』 第21回『ブエノスアイレス午前零時』 第22回『日蝕』 第23回『蔭の棲みか』 第24回『夏の約束』 第25回『きれぎれ』 第26回『花腐し』 第27回『聖水』 第28回『熊の敷石』 第29回『中陰の花』 第30回『猛スピードで母は』 第31回『パーク・ライフ』 第32回『しょっぱいドライブ』 第33回『ハリガネムシ』 第34回『蛇にピアス』 第35回『蹴りたい背中』 第36回『介護入門』 第37回『グランドフィナーレ』 第38回 『土の中の子供』 第39回『沖で待つ』 第40回『八月の路上に捨てる』 第41回『ひとり日和』 第42回『アサッテの人』 第43回『乳と卵』