書評『LGBTのコモン・センス』――私たちの性に関する常識を編み直す

ライター
本房 歩

誰もが自分らしく生きるために

 著者の池田弘乃氏は、ジェンダーやセクシュアリティ、フェミニズム法理論などの研究を進める気鋭の法哲学者。現在は山形大学で教授を務めている。
 新著『LGBTのコモン・センス』では、著者はこれまでも取り組んできた性的マイノリティの権利保障の問題について、当事者への丹念な取材を通して、日本社会における制度的な不備や、社会に根づく誤解や偏見などを浮かび上がらせ、性に対する私たちの常識(コモン・センス)を編み直していく。
 今私たちが性に対して〝常識〟と考えているそれは、単に時代の制約を受けたものであったり、漠然とした印象によるものでしかなかったりするのではないか。そうした〝常識〟が、人々に「男らしさ」や「女らしさ」を過剰に押しつけ、一人ひとりが「自分らしく」生きることを阻害しているのではないか。
 著者はこうした問題意識のもと、読者とともに性についての常識の編み直しを図る。そして、多様な性のあり方を確認しながら、誰もが「個人として尊重」される社会を展望していく。

「LGBTのコモン・センス」という本書のタイトルは、LGBTについての常識を読者へ教え諭そうという意味ではない。そうではなく、LGBTという言葉を手がかりに、多様な性に関する常識の編み直しを読者の皆さんと共に始めたいという志がそこには込められている。(本書)

生きづらさの根っこにあるもの

 本書は2部構成となっており、第1部では、性的マイノリティの当事者たちの語りを通して、それぞれの普段の生活や、当事者として直面する悩み、家族との関係性などリアルな様子が描かれている。
 具体的には、日本人と中国人の男性のカップル(第1章)、一度は男性と結婚生活を送った後に死別を経て同性のパートナーと共同生活を営むことになった女性(第2章)、出生時に割り当てられた性別にとらわれない性別のあり方を持つトランスジェンダー(第3章、第4章)たちの声が紹介される。
 本書に登場する当事者たちの人生をステレオタイプとして見ることは慎まなければならないが、一方で彼らがパートナーとともに生きるための権利が日本社会では十分に保障されていないという共通した生きづらさを抱えていることは紛れもない事実である。
 著者はしばしば「個人として尊重」や「個人の尊厳」という言葉を用いて、性的マイノリティの当事者たちの権利が守られていないことを問題視する。これらは日本国憲法の第13条と第24条2項にそれぞれ出てくる言葉である。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(日本国憲法第13条)

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。(日本国憲法第24条2項)

 とりわけ、第24条2項にあるように、日本で生きるすべての人たちの「個人の尊厳」を保障するには、生活にかかわるさまざまな自由を守る仕組みを整えなければならない。しかし、今の日本社会に用意されている制度は必ずしもそうはなっていない。
 例として、本書の第1章に登場する男性同士のカップルが置かれている状況を見てみよう。ここでは、日本で生まれ育ったシンさんと、中国で生まれ育ち転職をきっかけに日本で暮らすようになったシュウさんのそれぞれの背景が紹介されている。
 育った文化が異なるなかで、お互いに上手く折り合いを付けながら共同生活を営んできた2人だが、同性婚が法制化されていない日本において、税金、社会保障、遺産相続などの面で、異性間の夫婦には認められているさまざまな便益を享受することはできない。
 そのほか、仮にどちらかが急病で倒れて病院に運ばれたとして、医療機関によっては、彼らは家族ではないと見なされ、面会ができないケースも生じ得る。医療用の意思表示カードや、全国の自治体で導入が進んでいるパートナーシップ制度を活用して、そうしたケースを回避することもできるものの、異性カップルであれば婚姻制度を使ってすぐに家族関係を証明できる一方で、同性カップルたちにはそれが認められていないという非対称な構造がある。
 ちなみに、パートナーシップ制度でパートナーと見なされた場合でも、法的に「配偶者」でないため、一方が死去した場合に相続も認められない。

このお二人のお話をうかがっていて、シンさんが最後にぽつりと残してくれた言葉は、日本社会の現状を如実に、そして実に的確に言い当てているように感じられた。
「生きづらさの根っこにあるもの、それは僕たちには〝権利が与えられていない〟ということなんです」(本書)

 なお、婚姻制度のあり方を考え直すことは、決して性的マイノリティ当事者だけに関わる問題ではない。たとえば、現行の婚姻制度には選択的夫婦別氏制度が認められていないように、異性間のカップルにとっても制度的な不備が残っていると著者は指摘する。常識を編み直すという著者の視点には、すべての人たちが生きやすくなるためにというインクルーシブな精神が常に脈打っている。

粘り腰で社会を改善する

 本書の第2部では、日本社会に生きるすべての人が個人として尊重されることを展望するために、多様な性に関するさまざまな言葉を整理し(第5章)、今の日本社会における諸課題について考察される(第6章)。
 そして補章では、2023年に成立した「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(通称〝理解増進法〟)」の立法化までの経緯やその意義をめぐって、同法の骨子をとりまとめた超党派議員連盟で事務局長を務めた公明党の谷合正明参議院議員との対談が収録されている。
 本書全編を通して言えることだが、とりわけ第2部と補章での議論から見て取れるのが、著者の一歩ずつでも状況を改善していくことを大切にする粘り強さと、分断を退けようとする誠実な姿勢だ。
 多様な性をめぐる議論では、とかく極論が飛び交いがちになる。もちろん、常識が編み直される際に、人々が新しい考え方に対して不安や疑問を抱くことは自然な反応ともいえる。だからこそ、丁寧に不安を解消していくことが大切なのだが、残念ながら現実の世界で目立つのは、センセーショナルな言説で人々の不安を増大させる動きだ。
 そうした言説を打ち消すために、強い言葉で相手を非難し、自身の意に沿った「当事者の声」だけを拾い上げる支援者もいる。これでは議論はますます先鋭化の一途を辿るのみで、肝心の多様な性への理解や、性的マイノリティの当事者たちが直面するさまざまな課題の本質的な解決は遅々として進まない。
 そうしたなかにあって、著者は冷静に、粘り強く社会を改善していこうとする姿勢を崩さない。

もちろん、この社会が致命的に不正で、改善は不可能だなどとここで言うつもりはない。一歩ずつよりよい社会へ向かいつつある兆候を見逃すべきではない。また、日々、それぞれの現場で明日への種を植え続けている人々がいることも忘れるべきでない。現状を見据えつつ、過度の悲観もいたずらな楽観も排しつつ、よりよい社会への道筋を探っていくことが大切だろう。(本書)

未知の事柄に人々が不安をもつこと自体はありうる。そのときに必要なのは、即座に相手方を「差別者」と糾弾したり、一部の者に忍従を強いたりすることではなく、丁寧に不安を解きほぐし、必要な調整やすり合わせを行っていくことである。(本書)

 社会はすぐには変わらないかもしれないが、それは社会が多様な人たちから成り立っているからこそでもある。そこで多様な意見に耳を傾け、利害を調整し、幅広い合意形成を図りながら社会制度を整えていくのは、政治家に託されている仕事にほかならない。
 本書の補章に収められた谷合正明参議院議員との対談における、著者の次の言葉もまた、社会をより良くしようとする人たちにとってヒントになると思われる。

 また他にも、〝妥協の知恵〟が大切ではないかと私は思っています。「自分たちの理想がかなわないのであればゼロでいいんだ」といった清々しさは、一見美しいかもしれませんが、それでは社会は何も変わりません。この先にある同性婚をはじめとした議論も遅々として進まないでしょう。社会を着実に変えていくために、妥協の意味をポジティブに捉え直すことが必要ではないでしょうか。(本書)

 編み直すという作業を実践するには、今あるものを「解きほぐす」ことから始めなければならない。これまで常識として受け止めていたものを一度フラットに見直し、自らの認識を修正していくのは、人によっては勇気を要することでもあるだろう。本書はその実践に寄り添う、最良の導き手となるに違いない。

WEB第三文明で連載された「わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス」が書籍化!

『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』
池田弘乃 著

定価:1,870円(税込)
2024年6月19日発売
第三文明社
→公式ページ
→Amazonで購入

シリーズ:「わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス」(一部公開)
第1回 相方と仲間:パートナーとコミュニティ
第2回 好きな女性と暮らすこと:ウーマン・リブ、ウーマン・ラブ
第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)
第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)
第5回 社会の障壁を超える旅:ゆっくり急ぐ
第6回(最終回) 【特別対談】すべての人が自分らしく生きられる社会に

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