『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第54回 正修止観章⑭

[3]「2. 広く解す」⑫

(9)十乗観法を明かす①

 このように、『摩訶止観』の陰入界境は心に集約されることになるので、心を観察すること、つまり観心という言葉がしばしば使用される。
 さて、この段の構成について簡潔に説明する。十境の第一の陰入界境に対して、十乗観法を修行するのであるが、全体は、「正しく十観を明かす」と「喩を以て修を勧む」(巻第七下)の二段に分けられる。「正しく十観を明かす」段が主要な部分であるが、この段はさらに「端坐して陰・入を観ず」と「歴縁対境」(巻第七下)の二段に分かれる。そして、「端坐して陰入を観ず」は、「初めに法」と「大車の譬え」(巻第七下)の二段に分かれる。「初めに法」は、「十乗を広く解す」と「総結して示す」(巻第七下)の二段に分けられる。この「十乗を広く解す」の段に、十乗観法が説かれるのである。下に図示する。番号は、第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)と同じものを使う。52b-101cなどは、『大正新脩大蔵経』巻第46巻の頁・段を示すので、これによっておおよその分量を見て取れる。

7.2812 十乗観法を明かす(52b-101c)
7.28121 正しく十観を明かす(52b-101b)
7.281211 端座して陰・入を観ず(52b-100b)
7.2812111 初めに法(52b-100a)
7.28121111 十乗を広く解す(52b-100a)
7.281211111 観不可思議境(52b-55c)
7.281211112 慈悲心を起こす(55c-56b)
7.281211113 巧安止観(56b-59b)
7.281211114 破法遍(59b-86a)
7.281211115 識通塞(86a-87c)
7.281211116 修道品(87c-91a)
7.281211117 対治助開(91a-97b)
7.281211118 知次位(97b-99a)
7.281211119 能安忍(99a-c)
7.2812111110 無法愛(99c-100a)
7.28121112 総結して示す(100a)
7.2812112 大車の譬え(100a-b)
7.281212 歴縁対境(100b-101b)
7.28122 喩を以て修を勧む(101b-c)

 
 「初めに法」の段に、十乗観法の名称が示される。上の科文表に、その名称は出ているので、ここでは、簡潔な意味を示すだけにする。第一に思議を超えた対象界を観察することである。第二に慈悲の心を生ずることである。第三に巧みに心を法性に安んじる止観である。ここでは「巧安止観」と名づけられているが、『摩訶止観』の後出の本文では、「善巧安心」(大正46、56中13)と言い換えられている。また、「止を以て心を安んず」(同前、57上29など)とか、「観を以て心を安んず」(同前、57下4など)といった表現も頻出する。
 第四に法を遍く破ることである。この破法遍は、巻第五下から巻第六下までの紙幅を割いて論じられている。第五に通じていることと塞がっていることを知ることである。第六に三十七道品を修行することである。第七に対治して門を開くことを助けることである。後出の本文では「助道対治」(同前、91上5)と言い換えられている。また、「助道」については、「『大論』に諸の対治は是れ門を開くを助くる法なりと称するは、即ち此の意なり」(同前、91上13~14)という文のなかに「助開門」があることを参考として解釈した。第八に順序だった位を知ることである。第九に安らかに忍耐することができるようにすることである。第十に法に対する愛著をなくすことである。
 この十乗観法の相互関係については、

 既に自ら妙境に達すれば、即ち誓いを起こして、他を悲しむ。次に行を作して、願を塡 (み)つ。願・行は既に巧みなれば、破するに遍からざること無し。遍く破するの中に、精(くわ)しく通塞を識り、道品をして進行せしむ。又た、用て道を開くを助く。道の中の位、己他(こた)は皆な識る。内外の栄辱を安忍して、中道の法愛に著すること莫し。故に疾(と)く菩薩の位に入ることを得。(『摩訶止観』(Ⅱ)、554頁)

と説明している。自分で霊妙な対象界をすらすらと理解する(観不思議境)からには、すぐに誓いを立てて他の人々を憐れむ(起慈悲心)。次に修行をして願いを実現する(巧安止観)。願いと修行とがうまくいくからには、法を破ることが遍く行きわたる(破法遍)。遍く破ることにおいて詳細に通と塞とを知って(識通塞)、三十七道品を進展させる(修道品)。さらにまた、それによって道を開くのを助ける(対治助開)。道のなかの位については、自他ともに知り(知次位)、内外の名誉と恥辱に対して安らかに忍耐し(能安忍)、中道の法に対する愛著に執著することがない(無法愛)。
 そして、結論的に、

 此の十重の観法は、横竪(おうじゅ)に収束し、微妙精巧(しょうぎょう)なり。初めは則ち境の真偽を簡び、中ごろは則ち正助相い添え、後は則ち安忍無著なり。意は円かに法は巧みに、該括周備す。初心に規矩し、行者を将送して、彼の薩雲(さつうん)に到らしむ。闇証の禅師、誦文(じゅもん)の法師の能く知る所に非ざるなり。蓋し如来は劫を積みて勤求(ごんぐ)する所に由る。道場に妙悟する所、身子の三たび請う所、法譬の三たび説く所は、正しく玆(ここ)に在るか 。(『摩訶止観』(Ⅱ)、556頁)

と述べている。つまり、この十乗観法は、縦にも横にもまとまっていて、かすかで捉えがたく、巧みですぐれている。第一の観不可思議境は対象界の真偽を選別し、第二の起慈悲心から第八の知次位までは正行と助行がたがいに付け加えあい、第九の能安忍と第十の無法愛は安らかに忍耐し愛著がない。正行と助行については、『輔行』巻第五之二では、「中は則ち発心・安心より識次位に至るを正と為す。唯だ第七の正助有るを助と為す。助を以て正に添うるを、名づけて相添と為す」(大正46、292上14~16)とあるように、第七の対治助開を助とし、第七を除く第二発心から第八識次位までを正とし、助を正に付け加えることを「相い添う」と解釈している。
 さらに、十乗観法について、説明を続け、思いは円か、法は巧みで、全体にわたってまとまり、くまなく備わっており、初心者にとって規範となり、修行者をその一切智に送り到達させると述べている。経文を読誦しない黒闇の証得をする禅師【闇証禅師】や、坐禅の実修のない経文を読誦するだけの法師【誦文法師】の知ることのできるものではないのである。ここに出る闇証禅師(観慧禅師)と誦文法師(文字法師)は対になる言葉であり、前者は経典を学ばず、自分の禅観に執らわれる法師であり、後者は経典ばかりを学習するが、禅観の実践のない法師を意味する。どちらも否定される存在である。天台宗が自慢する「教観相資」、「教観相循」、「教観双辯」、「教観双美」(※1)などの言葉は、いずれも両者の欠点を乗り超えた理想的なあり方、つまり教相と観心をどちらも完備したあり方を指示するのである。
 最後に出る、身子(舎利弗)が三回お願いしたものとは、『法華経』方便品において、舎利弗が釈尊に「甚深微妙難解の法」を説いてくださいと三度お願いしたことに基づいている。『法華経』方便品、「爾の時、世尊は舍利弗に告ぐらく、汝は已に慇懃(おんごん)に三たび請(こ)えり。豈に説かざることを得んや」(大正9、7上5~6)を参照されたい。
 「法譬の三たび説く所」は、省略的表現で、法説周・譬説周・因縁説周の三周説法によって説いたものという意味である。(この項、つづく)

(注釈)
※1 「教観相資」(『法華玄義』巻第八下、大正33、784中11)、「教観相循」(『法華文句記』巻第八之三、大正34、307上25)、「教観二意双美而談」(四明知礼『金光明文句記』巻第一、大正39、85中9~10)、「教観双辯」(『宗鏡録』巻第三十七、大正48、632c2。巻第39、645中26~27)、「教観双美」(『霊峰蕅益大師宗論』巻第九、「恒生法主血書法華経讃」、『嘉興蔵』巻第三十六、411中15)を参照。

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。