ジャーナリストという「生き物」
ジャーナリズムの基本原則を10項目に分けて概説するアメリカ・ジャーナリズムの基本書ともいうべき手引書『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』が4月、新潮社から発刊された。世界で25以上の言語に翻訳されているという。
1997年に25人のジャーナリストが集まって議論を開始、20回を超える公開討論で300人を超すジャーナリストたちが意見を述べた。大学研究者のチームと連携しながら2001年に第1版を発刊。さらに2006年、2014年、2021年と定期的に改訂版が出された。本書は第4版となる2021年版の翻訳となる。
いまやSNSを通じて市民一人ひとりが〝発信者〟となる時代。一方でフェイク・ニュースも氾濫し、民主主義の価値を問われている。その中にあって、民主主義の〝車の両輪〟といえるジャーナリズムのあり方を問い直す意義は大きい。
本書の第1章は総論だ。10項目の内容を端的に紹介する。残る2章から11章(最終)が10項目のそれぞれの説明にあたる。
最初の第2章で「ジャーナリズムの目的」を探究。そこでは「ジャーナリズムの第1の責務は真実である」と、主張はシンプルで明快だ。
ジャーナリストは「真実」を求めて取材活動や調査をする職業だ。真実を知るための「必須の手順」として「事実の確認」を行っている。言われてみれば当たり前のことに聞こえるかもしれない。
この章では、マサチューセッツ工科大学の研究者たちによる調査も紹介される。真実のニュースよりフェイク・ニュースのほうが「6倍速く拡散する」ことが紹介される。さらにX(旧ツイッター)などでの「憎悪が読む人を増やす」原則が指摘される。そういえば日本語のXでも憎悪を煽るアカウントほどフォロワーを集めやすい傾向が見られる。事実を提示するジャーナリズムと反対に、「怒りを煽る部分を作る」ことでフォロワー獲得につなげる手法だ。
さらに「事実を馬鹿にする態度や誤った噂を広める傾向」「人種差別的な考え、陰謀論、誤りと既に判明している主張、事実でない噂を常態化」させる傾向などを挙げ、その典型としてトランプ政治を挙げる。
第3章は、ジャーナリズムは誰に奉仕するのか、だれに対して忠誠を払うかという「対象」を明確にした章だ。
ジャーナリズムの奉仕対象は、権力者(「統治する者」)ではなく、反対の「統治される者」となる。この章では「ジャーナリズムの第1の忠誠は、市民に対するものである」と、これまたシンプルかつ明快な主張だ。
つまり大手新聞社・テレビ局に勤務する企業内ジャーナリストであっても、彼らの奉仕対象はあくまで自分の会社を超え、読者・市民ということになる。日本でもこの原則がしばしば揺らぐ局面が見られることは留意されるべきだ。
ジャーナリストは「真実に忠実な者」
第4章は「事実確認の規律」について語られる。「真実」を探究するための具体的手段というべきもので、記者活動はこの作業にエネルギーの大半が費やされる。ジャーナリズムとプロパガンダの違いは、この「事実確認」の行動によって〝線引き〟されるといっても過言ではない。
この章では「客観性」「綿密性」「正確性」「公正性」「透明性」といった関連キーワードが頻出する。「客観性」は「根拠を集め、吟味し、理解する手法」と定義される。「事実を正しくつかむ原則と方法」が重要な意味をもつ。
結局、事実確認の規律こそが、ジャーナリズムを他のコミュニケーションの分野とは違うものにし、ジャーナリズムを存続するための経済的な力ともなる
プロの職人ともいうべき記者たちが、緻密な事実確認を行った上での情報だからこそ、記者の発信する記事や主張は世の中に一定程度信頼される。そこが一般市民など他の発信者と異なる要素とされるところだ。その上で本書は注意すべき行動として次の点を挙げる。
もともとなかったものは決して付け加えない
読者・視聴者を決して欺かない
自分の方法と動機をできるだけ透明に開示する
自分自身の独自の取材に依拠する
謙虚さを保つ
事実確認を前提とするジャーナリズムにとって、〝創作〟は無縁の世界だ。ノンフィクション作家による自分で見ていない会話の挿入なども、本書では創作の範疇に含まれる。
日本のXなどでは、自分自身で独自に確認していない情報で満ちあふれ、時にはそれらが「ジャーナリスト」の肩書きで発信されていることも少なくない。結果的に多くの誤った情報が垂れ流されても、責任を取らないで済む根強い傾向がある。
加えて「謙虚さ」には、知ったかぶりをせず、記者として「何が分かっていないかを認めることは、あなたの信頼性を高めるのであって、損ねるのではない」との記載がある。謙虚さが伝わるほうが読者には物事が可視化され、むしろ好感度を上げるとの指摘だろう。
第5章は「党派からの独立」がテーマだ。
ジャーナリストは、取材対象から独立を保たなければならない
この原則は、ジャーナリストが特定の政党を支持したり、特定の政治家を応援してはいけない、ということを意味しない。ジャーナリズムの仕事で問題とされるのは、その人の属性ではなく、その人が「ジャーナリズムを行っているか否か」の1点に尽きるからだ。
ジャーナリズムは社会運動やプロパガンダとは異なる
平たく言えば、「真実を虚心に受け止め、事実に忠実な者」であるかどうかが最大の問題となる。とりあえず最初の4つの原則を見ただけでも、これらの原則を踏み外さずに記者活動を行っているかどうかを問われる世界といえる。
第6章では、「力ある者に対し、独立した監視役を務めなければならない」との〝監視犬〟(ウオッチ・ドッグ)の役割が詳述される。
政治報道の世界などでもしばしば見受けられることだが、特定の政治権力者と記者とが〝一心同体〟のように行動する姿は近年も見受けられた。それでは「監視犬」ではなく、〝ペンを持った政治活動家〟にすぎなくなる。
本書を読めば、ジャーナリストの職業観が明確に浮かび上がる。翻訳者は元共同通信記者で、現在、ジャーナリズム論を専門にする大学教授(早稲田大)。
現役のジャーナリストからSNS発信者まで、報道や発信に関わる多くの人たちに有益な内容だ。一読すれば仕事や行動の質が明らかに変化するだろう。報道の仕事を志す学生たちにもぜひ手に取ってほしい。
本書は今後、記者や報道人にとっての〝必読書〟となるはずだ。「時代を超える10の原則」には、場所を超え、時代を超えて通用する《普遍的価値観》が込められている。
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