日本の軍国主義に警鐘を鳴らす
ジョン・デューイは20世紀前半のアメリカを代表する哲学者ある。また日本とは深いつながりがあり、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法の不戦条項や民主主義化には彼の考え方が強く反映されている。いわば日本で生まれ育ったすべての人が関わりを持つ人物でもある。
本書は、日本と中国を旅行したデューイとその妻アリス・チップマンが米国にいる子供たちへ書き送った手紙をまとめたものだ。1919年1月から6月まで、日本発27通、中国発37通が収録されている。デューイの著作は難解で読みにくいといわれているが、本書は両国を訪問した際の印象が率直に綴られていて、とても読みやすい。これまで彼の著作を読んで挫折した人こそ、ぜひ手に取ってほしいと思う。
日本では、反米機運が大きな高まりを見せている。大部分は新聞報道によるものと思われるが、この数か月で急速に信望の失墜した軍国主義的な党派によって恣意的に助長されている面がある。対照的にリベラルな感情が増大している事態への対応であり、失地回復にはなんらかの行動が必要と判断してのことだろう。(本書59~60ページ)
日本に4カ月滞在し、夫妻は講演をしながら各地を訪問する。新聞では来日が報じられ、行くさきざきで熱烈な歓迎を受けた。そうした歓待に深い感謝をおぼえ、日本人特有の気配りや礼儀正しさなどには賞賛を送りながらも、日本の民主主義には厳しい評価を下す。
当時、国内では大正デモクラシー全盛期で日本の民主主義が着実に進展すると誰もが思っていた。また国外からはアジア諸国のなかでいち早く近代化を成し遂げつつある〝優等生国家〟と評価されていた。だが、デューイは日本で生活をするなかで、表面的には近代化が進んでいるように見えるが、精神的には封建制度の影響が色濃く残っており、民主主義に必要な公共精神と偏狭な愛国心との区別さえできていないことに気づく。さらに自由主義者を自認する知識人が多数いるものの勇気がなく、マスメディアは批判力を発揮し社会を導くどころか大衆の反米感情を煽り続けている。もしアメリカとの関係が悪化するなら、軍国主義が台頭する可能性が高いと警鐘を鳴らす。さらに日本の対中政策を批判し、叙勲を辞退した。
デューイのこうした行動への反発からか、日本各地で公演をしたにも関わらず反響は皆無に近かった。しかしこうした状況下で、いち早く彼の思想に着目し、高く評価した具眼の士もいた。創価学会初代会長・牧口常三郎である。
100年前に中国の飛躍を予見
その説明は、私のなかで以前よりも有力になりつつある考え、つまり、中国人の保守的気質は知性と思慮深さによるものであり、慣習への固執とは異なるという見方を裏づけてくれました。中国人の考え方に変化が生じるときには、比較にならないほど、日本人より徹底的に、より広範囲にわたって変革をなし遂げることでしょう。(本書201ページ)
日本の帰りに立ち寄った中国では、反帝国主義を掲げた学生を中心とした民衆運動――「五・四運動」に触れ、大いに関心を抱き、予定を大幅に変更し2年滞在することになる。
当時の中国は欧米・列強に植民地支配をされており、世界の多くの人は後進国という印象を持っていた。デューイも硬直化した官僚制度や軍閥の腐敗、貧しい民衆の姿を目の当たりにし、批判的な印象を手紙に綴っている。しかし中国で多くの人々と交流するなかで、次第に独自の中国観を形成していく。
日本人は実行力に優れ、中国人は行動力に欠けている。当時は外国人だけでなく中国の人々ですら自国の国民性をそう考えていた。しかし一見すると国の発展を阻むように見えるこうした国民性は、民衆の知性と思慮深さの表れであると気づく。そして将来は日本とは比較にならないほど大きな社会的変化が起こる可能性を確信する。100年以上も前に今日の中国の発展を予見していたのだ。
生涯学び続けた哲学者
経験を積んだ新聞記者なら、入手した情報をもとに数日で全容を把握できるのでしょうが、私が思うに、物事というものは印象の蓄積をもとに背景を含めて徐々に理解が進むものです。いまが絶妙の時機ですべてが切迫し重大な局面にある、と教えられてもその意味がわからず、人々から聞いたことを自分の言葉で再現できない。それでも私のなかでは理解が進み始めているのです。(本書81ページ)
デューイは長生きした哲学者として知られている。92歳で逝去するまで学び続け、自身哲学を深化させたからである。また、ある哲学者は彼の考え方の特徴を〝すべてのことにおくれて気がつく人であり、しかし気がついたあとはその新しい発見を守り育てる人〟と称した。先入見に寄りかからず、自身の置かれた状況から学び、基本からものごとの本質を思索し抜いたからである。
デューイのそうした姿勢は、本書でも随所で見ることができる。当時、60歳であるにも関わらず旺盛な好奇心を持ち、旅行の最中に目のあたりにした物事や両国の社会問題を細かく手紙に書き綴っている。また人間に対する関心も極めて強い。渋沢栄一や新渡戸稲造、孫文などの要人や講演の際に知り合った学生はもとより、買い物に出た際に知り合った市井の庶民、果ては宴席に招かれた芸妓とまで広く交流を結び、多くの人の意見に耳を傾けた模様も記されている。こうした経験や対話を通じて、着実に思索を積み重あげていったからこそ、両国の将来を見通すことができたのではないだろうか。
現在、世界情勢は大きく変動し先の見えない状況が続いている。そうした時代だからこそ、デューイの哲学的遺産は重要性を増しているといえよう。
『デューイが見た大正期の中国と日本』
(ジョン・デューイ、アリス・チップマン・デューイ著/梓澤登訳/論創社/2024年1月30日刊)
関連記事:
「小林芳雄」記事一覧