『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第47回 正修止観章⑦

[3]「2. 広く解す」⑤

(6)「2.6. 互発を明かす」③

②雑・不雑

 不雑とは、一つの対象界を生じてから、あらためて他の一つの対象界を生じるというように、明確な区別があるような対象界の生じ方を意味する。これに対して、雑とは、陰入(五陰・十二入)の対象界を生ずるとすぐに、別の煩悩を生じたり、煩悩がまだなくならないうちに、別の業・魔・禅・見・慢などがかわるがわる生じたり、二つ重なって生じたりする場合をいう。

③具・不具

 具・不具とは、対象界の十の数がすべて備わるのを具と名づけ、九以下を不具と名づけるとされる。上に述べた次第・不次第や雑・不雑についても、具(十の対象界がすべて備わること)・不具(九以下の対象界が備わること)を論じる。
 さらに、総具・総不具がある。十の対象界がすべて生じる場合を総具といい、十の対象界がすべて生じても、そのなかのたとえば禅境において、すべての禅が生じるのではない場合を「総不具」という。
 また、別具・別不具がある。対象界が九である数について、その中身である法数(たとえば禅であれば、すべての禅の種類をいう)がすべて備わっている場合を別具といい、九の数のなかで法数がすべて備わっているわけではない場合を別不具という。
 さらに、横具・横不具、竪具(じゅぐ)・竪不具について説明があるが、省略する。十の対象界の中身の生じ方に多様性があり、その多様な生じ方を種々の言葉を使って概念化しているのである。

④修・不修

 修・不修とは、意識的に五陰・十八界・十二入を対象界として止観を修して、それらの対象界が開き示されることが修発であり、意識的にではなく、それらの対象界が自然に生じることが不修発(修せずして生じること)である。

⑤成・不成

 成・不成とは、一つの対象界が完全に生じてから消滅し、その後に他の対象界が完全に生じる場合を成という。もし一つの対象界を生ずるとき、生起してはすぐに消滅する場合は、ただ品数(たとえば初禅の九品のように、一つひとつの法の様相における分類の数を意味すると思われる)が欠けるだけでなく、一つひとつの品数のそれぞれの分斉においてもやはり曖昧で明瞭でなくなる場合があり、これを不成という。前に述べた具・不具では、ただ法の様相の数(頭数)を明らかにしただけであるが、ここでは一つひとつの法の様相の本体の一部始終を論じる(本体の全部を生ずる場合と、全部ではなく一部分だけを生ずる場合を論じる)とされる。

⑥益・不益

 益・不益とは、止観に対する利益と損害についての説明である。悪法を生じても、止観に対して大いにためになり、止観の明るさと静けさがいっそう深くなる場合もあるが、一方、善法を生じても、止観を大いに損ない、その静かに照らすことを損なう場合もあるとされる。

⑦難発・不難発

 難発・不難発とは、対象界が生じることの難と易の区別についての説明である。たとえば悪法の生じることについての難と易、あるいは善法の生じることについての難と易、悪法・善法の生じることについてともに難である場合、ともに易である場合など種々の場合があることが示されている。

⑧久・不久

 久・不久とは、一つの対象界が生じた場合、その継続する時間の長短をいう。ずっと消え去らない場合を久といい、一つの対象界が生じたかと思うとすぐに消え去る場合を不久というのである。

⑨更・不更

 更・不更とは、一つの対象界が二度、三度、さらに何度も生じる場合を更といい、一つの対象界がいったん生じるとすぐに消滅し、後に二度と生じない場合を不更というのである。

⑩三障・四魔

 三障は煩悩障・業障・報障のことで、四魔は煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔のことである。十種の対象界がそれらのいずれに該当するかが示されている。それによれば、陰入・病患は報障であり、煩悩・見・慢は煩悩障であり、業・魔・禅・二乗・菩薩は業障であると述べられている。
 いずれも障と呼ばれる理由については、止観を妨げて明るく静かにさせず、菩提の道を塞いで、修行者に五品弟子位・六根清浄位に達することができないようにさせるからであると述べている。
 四魔については、五陰・十二入は陰魔であり、業・禅・二乗・菩薩なども行陰であるので陰魔と名づけられる。煩悩・見・慢などは煩悩魔である。病患は死の原因であるので、死魔と名づけられる。魔の仕業は天子魔である。
 魔の意味については、奪者といい、観を破ることを奪命と名づけ、止を破ることを奪身と名づけるとする。さらに魔を「磨訛(まか)」(すり減らして変化させること)と解釈し、観をすり減らし変化させて黒闇にし、止をすり減らし変化させて散逸にさせるから、魔と名づけると述べている。
 この後、『摩訶止観』では、九双(くそう)・七隻(しちせき)がどのような理由で生じるのかについて説明しているが、説明は省略する。
 この段を結ぶにあたって、上述の十種の対象界に関するさまざまな事柄については、すべて口決(くけつ。師から直接口で教授される秘訣)を用い、智慧によって思いはかるように指示している。さらに、心を師として是非を誤って判断してはいけない。あなたはこのことを慎み、勤め、重んじなさいと注意を呼びかけている。

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。