連載エッセー「本の楽園」 第180回 絶景本棚

作家
村上政彦

 かつてこのコラムで読書する人の写真集を紹介したことがあった。人が本を読む姿は、とても美しい。躰はこの世にありながら、心は本の世界へ没入している。この世と本の世界のつながりが見える。
 ところで、その本だけを撮った写真集がある。『絶景本棚』(本の雑誌社)――つまり、人の本棚がある風景をとらえた写真を集めた本だ。そんなものがおもしろいのか? 読者は、そうおもわれるかも知れない。
 おもしろいのだ!
 むかしある人がいった。君の友人を紹介したまえ。私は、君がどのような人間かを言い当てる、と。僕は、こういいたい。君の本棚を見せたまえ。君がどのような人間かを言い当てる。
 なんて、あまり恰好はつけたくないけれど、本棚を見ることは、その人の内面を見ることだ。だから、僕は自分の本棚を誰かに見せるのが、誇らしくもあり、恥ずかしくもある。ちょっと複雑な心境になるのだ。
 若いころ初対面の人の本棚を見せられて、「恥ずかしい」といって不興を買ったことがある。その人が恥ずかしいことをしたわけではない。本棚に並んでいる本が、ほとんど僕の趣味と合っていた。
 つまり、すでに僕自身が持っている本だったり、これから買おうとおもっていた本だったりしたので、自分の内面を見せられた気がしたのだ。「恥ずかしい」といわれた人は、そんな事情を知らないから、よほど不愉快だったらしく、その後、徹底的に嫌われた。
 だから、そういうことなのだ、人の本棚を見るのは。
『絶景本棚』は、誇張ではなく、まさに絶景の本棚を見ることができる。ひとりの人の書斎を撮っているのだが、これが人さまざまで、実におもしろい。
 帯のコピーに、「スタイリッシュ、すっきり整然、床積み、魔窟に野放し系etc.。趣味も専門もバラバラな34人の最強の本棚模様」とある。
 まず、僕が興味を惹かれたのは、幅允孝(はば・よしたか)の本棚。日本で初のブックディレクターを名乗る彼の仕事には、以前から注目していたので、どのような本棚を持っているのか、素早くページをめくる。
 うん? 意外と蔵書が少ない気がする。データを見ると、南青山の二階建一軒家を事務所にしていて、1階の応接室、2階の4部屋すべてに本棚が設置されている、とある。そうか。企業秘密もあるのか。見せてもいいところだけ、見せているのか。
 こうなると、僕はしつこい。虫眼鏡を取り出して、何とか読み取れる本の背表紙を見る。『プルーストとイカ』がある。読書をするとき、脳がどのように働いているかを書いた本だ。僕も持っている。隣にあるのは……『手と脳』。分厚い。知らない本だ。その隣は字が小さくて読めない。読み取れる本をしるしていくと、『しかけのあるブックデザイン』、『ユリシーズ』、『せどり男爵数奇譚』、『文学少女の夏』、『漂流』、『ブックショップワンダーランド』、『本の現場』、ひとつ置いて、『本を愛しなさい』、『本の寄り道』、『紙の本が滅びるとき』、『編集者の教室』、『書棚と平台』……。
 この棚は本に関する本が並んでいる。幅も何か文脈のある棚作りをして、仕事をしようとはしていない。いわば普段着の棚らしい。ほかには、と。
 日下三蔵(ミステリー・SF研究家、アンソロジスト)の本棚がすごい。棚からあふれた本は積みあげられて、林立している。まるでドンキホーテ状態だ。一部は土砂崩れのように床になだれている。
 彼は家の4部屋と3LDKのマンション、3つの物置を書庫にしている。蔵書数は7万~8万点。本のタイトルも漫画のほかは読み取れない。魔窟、と呼ばれるにふさわしい棚の風景だ。
 ほかにも、装丁家の祖父江慎、作家の京極夏彦、ライターの萩原魚雷、編集者の都築恭一など、おもしろい棚の並ぶ書斎が、数々ある。
『絶景本棚』は、VOL.2も出版されている。とにかく、飽きないのだ。本好きには、たまない本である。

お勧めの本:
『絶景本棚』(本の雑誌編集部編/中村規写真/本の雑誌社)
『絶景本棚2』(同)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。