本が好きだ。読むのは当然だけれど、手にすることが好きだ。新刊を置いている町の本屋やなつかしい匂いのする古本屋をパトロールして、おもしろそうな本を探すのが好きだ。10代のころからそんな本とのつきあいをしている。
小説、詩、エッセイなど文学関係はもちろん、画集、写真集、展覧会の図録、ZINE、フライヤーなども、僕にとっては本に部類に入る。文字が書いてあれば、あるいは井筒俊彦風にいうと、そこにコトバがあれば、雲が浮かぶ空だって本になる。
そんなわけで、好きなジャンルは、本にまつわる本ということになる。たとえば書評集。これは本を読んだ読み手が、その本について紹介し、評価を下し、本の批評に託して世界や人間の在り方を論じたりする。
それを読んで僕は、自分がすでに読んだ本であれば、書き手の意見を吟味し、賛成したり、反対したりする。いつの間にか読書会になっている。これは本好きにとってパラダイスである。だから、僕の蔵書のなかには、書評集がけっこうある。
ここでとりあげるのも、古本屋をパトロールしていたときに見つけた書評集だ。『クソみたいな世界で抗うためのパンク的読書』というタイトルと、ZINEっぽい姿(本というよりも小冊子に近い)に惹かれて、手に取った。
作者の小野寺伝助は、会社員として働きながらパンクバンドをやっているらしい。僕が手にしたのは続編で、最初の書評集はライブハウスのフライヤーに書いていたというから、これは絶対におもしろいとおもった。
僕はロックの世代で、セックスピストルズが登場したころには、あまりパンクに関心がなかった。日本でパンクバンドが現われても、やはり興味が持てなかった。相性がよくなったというしかない。
だから、「パンク的読書」という言葉のつらなりにも、それほど触手は動かなかったのだが、「クソみたいな世界で抗うための」というフレーズにつかまえられた。たしかに、いまの世界をすばらしいとおもう人は少ないだろう。どちらかといえば、世界はクソである。
しかし、誰もがクソとおもいながら、仕方なく、生きている。それに「抗うため」の読書ときたら、「パンク的」がぴんとこなくても、おもしろそうだ、と直感する。
本の世界へダイブしてみよう。
資本主義の加速度がどんどん増して格差が広がり、弱者は自己責任で切り捨てられ、戦争による暴力が容認され、世界の「非人間化」が進むのであれば、とことん「人間らしくある」ことで、抗っていたい
小野寺は、まず、そう宣言する。そして、本書を「UNITY」「DIY」「ANTI RACISM」「NO WAR」「NO FUTURE」の各章に分け、「パンク的な書物」を紹介してゆく。「UNITY」とは、「相互扶助の精神」をいうらしい。
そこでとりあげられた『はずれ者が進化をつくる――生き物をめぐる個性の秘密』(稲垣栄洋著/筑摩書房)は――
農学博士である著者は様々な事例を挙げて“はずれ者”や“敗者”が進化をつくってきたと述べ、その理由をこう説明する。
「勝者は戦い方を変えません。(中略)負けたほうは、戦い方を変えます。そして、工夫に工夫を重ねます。負けることは、『考えること』です。そして、『変わること』につながるのです」
ここで重要なのは、考えること。弱者、敗者は、生き残るために、必死で考えて工夫する。
パンクスもまた、この社会に違和感、生きづらさ、劣等感を感じる弱者や敗者だった。考えて、社会からはみ出して、自分の居場所を自分で作る必要があった。だからこそ、異端な音楽性を進化させ、後に続く九〇年代以降のオルタナティブロックの源流となった
人類の進化の過程で、なぜ、強いネアンデルタール人が滅び、弱いホモサピエンスが生き残ったか。それは後者には「助け合う」能力があり、前者にはなかったからだという。
助け合う、つまり、ユニティ。群れずに自主独立するDIY精神と共に、仲間同士の連帯を大事にするユニティの精神もまた、パンクスがずっと大事にしてきた価値観だ
ふーむ。
この本は薄い。著者の文章も直球である。けれど、やわではない。かなり、噛みごたえがある。そこには選書のセンスの良さが味方している。たとえば――
読書を武器に生き抜いて散ったアナキストが獄中で書いた自伝『何が私をこうさせたか――獄中手記』(金子文子著)。
150年前、アメリカで奴隷として生きた女性が社会を変えたいと自費出版し、それを読んで感銘を受けた市井の女性が翻訳した『ある奴隷少女に起こった出来事』(H.A.ジェイコブス著/堀越ゆき訳)。
ほかにも数々の本が取り上げられているが、この2冊だけでも、クソみたいな世界で抗うためのエネルギーになるだろう。
お勧めの本:
『クソみたいな世界で抗うためのパンク的読書』(小野寺伝助著/地下BOOKS)