小学生のとき、同居していた血のつながりのないじいちゃんに、ガットギターを買ってもらった。じいちゃんは、僕を本当の孫のようにかわいがってくれて、たいていのわがままを聴いてくれた。
飽き性で、何事も長続きしない僕が、ギターだけは手放すことなく、中学生のころには、5万円もするアコースティックギターを持ち、文化祭のステージに立っていた。僕のかいわいで、僕よりギターのうまいやつはいなかった。
当時、僕が夢中になっていたのはフォークソングだった。吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる――この3人がお気に入りで、特に拓郎のアルバム『元気です』は、耳でコピーして、収録曲すべてを弾き語りできるようになった。
僕は、卒業文集に未来の自分を、「歌っている。ほかにできることがないから」と気障なことを書いた。けれど、僕は作曲ができないので、音楽で生きていくことは諦めた。僕の関心は文学に向かった。
つい先日、『関西フォークとその時代 声の対抗文化と現代詩』を読んで、僕が夢中になったフォークソングと現代詩を結びつけようと試みた詩人がいたことを知った。片桐ユズルだ。
現代詩といえば、難解というのが常識になっている。しかし片桐は、
難解な現代詩に批判的で、その対抗策としてアメリカ詩を持ち出し、ビート詩を評価した。自らの詩を朗読し、さらにはフォークソングを詩の運動のなかに取り入れた。それがのちに関西フォークと呼ばれるほどの大きな動きになった。
片桐の方法論は、鶴見俊輔の『限界芸術論』の影響を受けている。
かつてこのコラムでも取り上げたが、鶴見は芸術を、純粋芸術(専門家が創造して専門的な受け手が受容する)、大衆芸術(専門家が創造して大衆が受容する)、限界芸術(非専門家が創造して非専門的な受け手が受容する)の3種に分類した。
僕が夢中になっていた拓郎に代表されるフォークソングは流行歌で、大衆芸術にあたるが、片桐はフォークソングを限界芸術の文脈でとらえようとしていた。そして、詩作に活かそうとしたのだ。
片桐ユズルの詩、
あとは読者がつづける詩」の一部を引いてみる。冒頭、2歳の子供がコンクリートのパイプに落ちて救出が間に合わず、死亡した事故を書く。次に、電車とトラックが衝突して、5人の死者が出た事故を書く。どちらも「わざとしたことではなかったのだが/運転手はタイホされた
詩は、このように続く。
ナパーム弾はわざとやくためにある
パイナプル爆弾はわざところすためにある
機関銃もライフルもわざところす ためにつくられているが
つくるやつはタイホされない
つくるのをやめろとビラまきをしたひとが タイホされる
当時はベトナム戦争が盛んなころで、『ベトナム戦争と日本の労働者』(労働旬報社、1965年)によると、アメリカ軍がベトナムで使用しているナパーム弾のほぼ90%が日本製だといわれていた。その現実に、片桐は詩のかたちで抗議をした。
また、彼はフォークソングの歌詞もつくっている。「死の商人」――
死の商人の工場にならんだ
品物みてごらん
よくみてごらん
かんがえてごらん
(Aさん)ナパーム弾
(みんな)ナパーム弾
あーあ
これは『現代詩手帖』に掲載されて、ギターのコードもついていたという。曲はフランス民謡。つまり、替え歌であり、鶴見の限界芸術論では、限界芸術の領域に分類されている。
僕は、片桐ユズルの試みに共感した。「難解」な現代詩を人々の側に引き寄せ、なおかつ、その言葉を社会に向けて放つ。これが成功して、もっと大きな流れとなっていたら、現代詩は、いまとは違った様相になっているのかもしれないという想像は、とてもスリリングだ。
ただ、ここには難しい問題がある。片桐の詩は、美しいのか? ということだ。つまり、政治に寄りかからず、詩として、きちんと自立しているか。僕は、それを確かめるために、何度か、片桐ユズルの詩集を読み返すことになるだろう。
お勧めの本:
『片桐ユズル詩集』(片桐ユズル著/思潮社)
『関西フォークとその時代 声の対抗文化と現代詩』(瀬崎圭二著/青弓社)
『ベトナム戦争と日本の労働者』(梶谷善久著/労働旬報社)