河合隼雄というユング派の心理学者のことは、若いころから知ってはいた。高名な研究者であり、カウンセリングをおこなう臨床家でもある。しかし、なぜか、本好きの僕が河合さんの著作を手にとることはなかった。
べつに河合さんを毛嫌いしていたわけではないし(直接お目にかかったこともないので嫌う理由がない)、ユング心理学には関心があったので、彼の著作を読んでいても不思議はなかった。いや、読んでいないほうが不思議だといえる。
人との出会いにタイミングがあるように、本との出会いにもタイミングがある。そのタイミングがやってこなかったのだ――と書けば、注意深い読者の方は、もうお気づきだろう。やってきたのだ、タイミングが。
ある日、馴染みの古書店をパトロールしていたら、『物語を生きる――今は昔、昔は今』というタイトルが眼についた。物語は、僕にとってきわめて大切なものだ。手にとるのが自然だった。少し破れた帯には、「生きるとは、自分の物語をつくること!」とある。買わないわけにいかない。
著者は、河合隼雄さんだった。古書店の表でぱらっとページをめくってみたら、第一章からやられた。
ジェームズ・ヒルマンが事例研究の本質はストーリー・テリングであると主張しているのを読み、はっと、蒙を啓かれる思いがした。それは
物語り なのである。人間は自分の経験したことを、自分のものにする、あるいは自分の心に収めるには、その経験を自分の世界観や人生観のなかにうまく組み込む必要がある。その作業はすなわち、その経験を自分に納得のゆく物語にすること、そこに筋道を見出すことになる。筋 があることが、物語の特徴である。
心理療法というのは、来談された人が自分にふさわしい物語をつくりあげてゆくのを援助する仕事だ
もう、家に帰るまで待つことができない。近くのカフェを見つけて駆けこみ、注文したコーヒーが冷めるのも気づかないまま、読み耽っていた。
折口信夫は、「ものは
著者はまとめる。
「もの」は従って、物質のみならず人間の心、それを超えて霊というところにまで及ぶ
さっき引いたヒルマンは、ユング派の研究者だが、著者はもの=霊という考えから、ヒルマンの「たましい」に話を転じる。ヒルマンは、こう述べる。
たましいという言葉によって、私はまず一つの
実体 ではなく、ある展望 、つまり、ものごと自身ではなくものごとに対する見方、を意味している
著者はこれを、「物と心、自と他などと明確に分割する」「デカルト的な世界観」への対抗とみて、ヒルマンは分割することで失われたものを回復しようとしているとする。そのひとつが心と体をつなぐ「たましい」だという。
さらに『物語は「たましい」の語りである』と。
おもしろい!
これが冒頭に語られる物語論で、あとは実際の王朝物語――『竹取物語』、『宇津保物語』、『源氏物語』など、僕らでも知っている大古典が分析されてゆく。そして、「あとがき」で述べる。
人間はこれまで不可能と思っていたことでもどんどんできるようになって、下手をすると、科学技術万能の考えに陥りやすい。人間が実際に生きてゆく上においては、それとは異なる思考が必要であり、その点において、「物語」ということが非常に大切になってくる。人間はその生涯にわたって、一人ひとり固有の「物語」を生きているのだ。このように考えると、日本の古い物語を読むことが、現代に生きることへとつながってくるのである
このタイミングで河合隼雄と出会えてよかった。僕は物語についての、自分の考えをまとめたいとおもっていたところだった。この一冊を読み終えて、僕は河合さんの著作を15冊買った。古書の大人買いである。これからしばらく河合隼雄週間がつづく。
おすすめの本:
『物語を生きる――今は昔、昔は今』(河合隼雄著、河合俊雄編/岩波書店)