もう4、5年ほどになるだろうか。ジャン・ジュネの『恋する虜』というパレスチナをめぐるノンフィクションを見つけて、買おうとおもったら、中古書しかなく、3万円を超える値段がついていた。
僕にとって本は商売道具でもあるので、できるだけの投資はする。でも、3万円は高い。どうするか考えあぐねたあげく、版元に電話してみたら、近々、重版の予定があるというではないか。
たしか1ヵ月か2ヵ月で新刊を手にした。7千円。普通の小説本よりは高いけれど、3万円よりはずっと安い。その日から付箋を貼りながら読み始めた。この作品はジュネの晩年に書かれたもので、『シャティーラの四時間』とならんで、パレスチナを描いたすぐれた文学だ。
ただ、ほかのジュネの作品と同じく、なかなか読むのが難しい。分かりにくいのではない。彼に固有の詩的な文章に慣れるための時間がかかるのだ。でも、慣れてしまえば、この力作に圧倒される。
僕はジュネの導きでパレスチナ問題について考えるようになった。そして、眼につく本があると手にとるようになった。そのうちの一冊が、ジョー・サッコの『パレスチナ』だった。
ジョー・サッコはオレゴン大学でジャーナリズムを学んで、その後、漫画家になった。そして、アメリカのパレスチナ問題についての、あまりにも粗末な報道を見るにつけ、「やむにやまれぬ思いを抱えてパレスチナ占領地に行った」。
本作『パレスチナ』は漫画である。しかしおそらく日本人が想像するような漫画ではない。彼は1991年から92年にかけて、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区で2か月間を過ごした。
そのあいだに出会った人々のインタビュー、日常の出来事、町の風景などが詳細に描かれている。ジョー・サッコ自身が語り手となって、ガイドをしてくれた現地の男たちと歩きまわる様子は、とてもリアルで、漫画に特有の臨場感がある。
この作品には、エドワード・サイードが序文を寄せて、「このうえなく独創的な、政治的かつ美的な作品である」と賛辞を贈っている。彼は本作の特質を、「ジョーはそこに、パレスチナにいる。それだけのことなのだ」と分析する。
ジョーはガザ地区のパレスチナ人の家を訪ね、砂糖のたっぷり入ったお茶を飲み、彼らの語る話を聴く。ジャーナリストにありがちな特ダネをもとめる気持ちも隠さない。同じ話がつづくことには、うんざりもする。脱力するような言葉を投げかけられたこともあった。
こんなことが何になる? あんたがここに来てこんなことを書いても……
しかしジョーはインティファーダ発祥の地・ジャバリア難民キャンプに足を踏み入れて興奮する。1987年12月、パレスチナ人労働者4人がイスラエル人の運転する自動車に轢き殺された。
遺体が埋葬された墓地に通じる道へ人々が集まり、どんどん増えていった。怒りに燃えた彼らは、イスラエル軍基地のキャンプに向かい、石を投げた。兵士たちは空に発砲して、ジープやトラックで群衆を押しかえそうとした。
けれど、もう誰も彼らを留めることはできなかった。若者が撃たれて死んだ。それでも人々は進んだ。インティファーダの始まりだった。イスラエル兵は群衆を怖がっていた。それが分かって、みな石を投げつづけた。
石を投げる人々の先頭にいたのは、十代の少年たちだった。
この漫画はタイトルが示すように、ほぼパレスチナ人の視点から描かれている。イスラエル人入植者による殺人、イスラエル兵による拷問など、むごい現実が表現される。わけても子供が殺傷される様子は、心がひきさかれる思いがする。
ジョー・サッコは、本作で全米図書賞を受け、コミック・ジャーナリズムというジャンルを確立した。最後に彼の言葉を引いておこう。
私の考えは、自分で体験し感じたことを正直に伝えることにあり、客観的な本をお届けすることではない。
オススメの本:
『パレスチナ』(ジョー・サッコ著/小野耕世訳/いそっぷ社)