小説を読む読者がもっとも楽しいのは物語を味わうことだろう。僕自身、20代の前半までアバンギャルドをやっていたけれど、あるとき物語の愉楽を思い出して、小説のコースを大きく変えた。形式の巧みさや美よりも、物語の愉楽を選んだのだ。
ただ、物語は楽しいだけではない。諸刃の剣だ。読み手を楽しませて、励まし、生きるための力を与えるのは、いい側面だ。しかし、わるい側面もある。人心をあやつって、あやうい世論をつくることもできる。
今年(2023年)の2月に神奈川近代文学館でシンポジウムを催した。ロシア・ウクライナ戦争を、林京子の文学から読み解こうとする試みだった。プーチン大統領は、何度か核兵器の使用を示唆した。そこで、核戦争を描いた林京子の文学を選んだのだ。
シンポジウムのファシリテーターは、僕が務めたのだけれど、そこでこんな発言をした。
ロシア・ウクライナ戦争は物語の戦争でもあります。ロシア側は、ファシストから同胞を救う解放者の物語、ウクライナ側は侵略者から祖国を守る英雄の物語。文学者は二つの物語を越え、グランド・ストーリーを語ることができるのか?
このシンポジウムを終えて、一冊の本とめぐりあった。『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』(毎日新聞編集委員・大治朋子著)。ざっくり言ってしまうと、テーマは兵器としての物語についてである。
まず、ナラティブについての定義を見てみよう。
「さまざまな経験や事象を過去や現在、未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現」
解剖学者の養老孟子はナラティブを、「我々の脳が持っているほとんど唯一の形式」と述べる。このふたつを僕なりに解釈すると、人間は自分の身の上や世界で起きる出来事をナラティブとして認識して、脳の記憶の箱にしまいこむ。だから、誰かにそれを伝えるときも、ナラティブの形式になる。
人間のこの特性とナラティブ、さらにSNSをかけあわせると、どのようなことができるか?
本書では、ケンブリッジ・アナリティカ事件を象徴的な例としてとりあげている。「ケンブリッジ・アナリティカは英国に拠点を置く軍事下請け業者で、軍事心理戦(PSYOPS=サイオプス)を得意とするデータ分析企業」「2016年の米大統領選や英国のEU(欧州連合)離脱(いわゆるブレグレジット)で、SNSを通じた世界最大規模の世論工作をした」。
周知の通り、トランプ大統領は想定外の当選を果たし、ブレグレジットは認められた。この結果は、ケンブリッジ・アナリティカの世論操作が後押ししたものだと言われている。
関係者が語るには――
そのコミュニティで少数派の人々は、偽情報に感染させる際の『核』に使える。その母数は多数である必要はない。むしろ少数の方が、都合が良いぐらいだ。特定のナラティブに食いつかせるためには、その集団が非常に密な関係性を持っていることの方が重要だ。これをコアグループとしてのノード(塊)と呼ぶ。例えばある陰謀論ナラティブをノードに流すと、急速に拡散され、ユーチューブなどSNSで議論を始める。そうした議論を既存メディアがSNSでの反響欲しさに食いつき、全国規模の『ニュース』で取り上げる。そこに『票の匂い』を嗅ぎつけた政治家が参入し、極端な人々の極端な議論や陰謀論が、いつの間にかお茶の間へ、さらには国会の場へと持ち込まれていく
誰にどのようなナラティブを撃つか?
ターゲットを選ぶにはフェイスブックから得られたデータが活用された。「いいね」である。ある人の「いいね」を300個分析すると、配偶者よりもその人物が分かるという。そして、彼らは分析をおこない、ターゲットに応じたナラティブを撃った。
もちろん、ナラティブは善用もできる。本書には、その具体例も取り上げられているので、それは実際に読んでいただきたい。
僕は、読後に考えた。冒頭のシンポジウムで語った「グランド・ストーリー」は間違っていた。本当に必要で、効果的なのは、「スモール・ストーリー」だ。戦場で死んだ兵士ひとりひとりの生涯を語った小さな物語、遺族ひとりひとりの思いを語った小さな物語――その集積が戦争のナラティブに対抗することができる。
僕は、これからもそのような小説を書いてゆきたい。
オススメの本:
『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』(大治朋子著/毎日新聞出版社)