連載エッセー「本の楽園」 第170回 詩を読んで生きる

作家
村上政彦

 かつてこのコラムで『百冊で耕す』という本をとりあげた。そのなかで、こんなことを書いた。なかなか読書の時間がとれないとこぼす人がいる。すきま時間で読めばいい。

すきま時間で同時並行に読む――偏食ならぬ偏読にならないよう、①海外文学、②日本文学、③社会科学か自然科学、④詩集、を15分ずつ読むというのは、参考になった(WEB第三文明 連載エッセー「本の楽園」 第163回 百冊で耕す

 これは、いまも続けていて、なかなかいい習慣になっている。今回は詩の本について書きたい。
『詩歌を楽しむ 詩を読んで生きる 小池昌代の現代詩入門』は、NHKで放送された現代詩入門の講座をまとめたムック本だ。小池昌代は、詩と小説の両方を書く作家として知ってはいた。けれど、まとまった著作を読む機会がなかった。
 古書店をパトロールしていたら、この本を見つけた。ぱらぱらとめくってみると、おもしろそうだ。ためらわず買うことにした。
 ちょっと脱線するが、本も人と同じで出会うタイミングがある。古書店や新刊書の書店で本を手にして買うかどうするか迷う。こういうときは、買いである。そうでないと、やっぱりほしいとおもって出向いても、すでになくなっていることがある。
 僕は何度か後悔した。それで、迷ったら買い、という原則をつくった。それから後悔はない。ただ、仕事部屋の本が増えるので、妻から小言をいわれることが増えたけれど、小説家の妻なのだから、そこは我慢してください。
 誰に向かって書いているのか分からなくなってきたから、本筋にもどる。小池昌代の現代詩入門である。冒頭、金子みすゞの詩『こだまでせうか』が引かれている。

「遊(あす)ぼう」つていふと
「遊ぼう」つていふ。

「馬鹿(ばか)」つていふと
「馬鹿つていふ。

「もう遊ばない」つていふと
「遊ばない」つていふ。

さうして、あとで
さみしくなつて、

「ごめんね」つていふと
「ごめんね」つていふ。

こだまでせうか、
いいえ、誰でも。

 聞き覚えのある方が多いとおもう。東日本大震災の直後にACジャパンのCMで流れた詩である。小池のムック本は、2011年の10月に発行されている。この時期、「今度の震災以後は、説明する機能を負わされた散文よりも、心に最短距離で届く深くシンプルな詩の言葉を人が求めている」と小池は述べる。
 思い出してみると、震災後の数か月のあいだ、僕はずっとツイッターを見ていた。そこには、生々しい、被災地の人々の言葉や、彼らをささえようとする人の励ましの言葉や、電力会社や国に対する憎しみや批判の言葉が氾濫していた。
 多くの人が140字の言葉に感情をのせて発信していた。それは確かに小池の言う、「説明する機能を負わされた散文」よりも、「心に最短距離で届く深くシンプルな詩の言葉」に似ていた。
 悠長なことは言っていられない。まっすぐ相手の心に刺さる言葉が必要だ。ツイッターのプラットフォームには、そんな雰囲気があった。
 僕は小説家なので、物語を考えていた。震災の被害をうけた人たち、原発事故の要因をつくった人たち、被災地の姿など、被害者も加害者も自然・環境も、すべてを包みこむ物語。結局、僕がその物語を発表できたのは10年後のことだった。
 詩は、もちろんジャーナリズムとはちがう。けれど、即時性ということを考えると、似たところがある。300枚も400枚も書かずに、数行で表現できる。有事のとき、物語は間に合わない。詩は、すぐに反応できる。僕は詩人を羨ましいとおもった。
 小池のムック本を読んで、そんなことを思い出した。
 もうひとつ。僕は小池のおかげで、須藤洋平を知った。詩集『みちのく鉄砲店』の「ハーブティー 最愛なる母へ」。

四年と三ヶ月以上も
必死に介抱し続けてくれている
母を刺し殺す
苦しむ顔や呻きまでわかるほどの
そんな思念に囚われても、今では無理に消そうとはせず、それでも涙があふれた。
そこへ母がマグカップを二つ持って入ってきた。泣いている僕の顔をみると、やさしく
こめかみを押さえてくれた。
あなたの指が押さえるこめかみの中に、
あなたを殺す思念がうつしだされている。
早く出てってくれ、頭が壊れちまう――

 須藤は、トゥレット症候群を患っている。この持病のせいで、自分の脳をうまく操縦できない。世話をしてくれる母に殺意をいだいてしまう。また、別の詩『孤独とじゃれあえ トゥレット症候群と闘う勇者たちへ捧ぐ』。
 深夜に家中の酒を飲み干し、神棚の、蛾が溺れ死んでいるお神酒を飲もうとする。母は泣き崩れ、父は家族が参ってしまうから出て行ってくれ、と土下座をした。僕は獣のような声をあげ、海に飛び込む。
 岸へもどって便所に入ると、「今は孤独とじゃれあえ」という落書きが眼に入る。それは中学生のころ、自分が書いたもの。

僕は便器を舐めながら誓った。
いつだってしぶとく生き抜いてやろうと。

二十三歳の夏の事だった。

 いま時代は、サバイブすることと修復することの、2つの主題をかかえている。須藤はサバイブすることのロールモデルになるだろう。これは小池のムック本を読んだ収穫と言っていい。

おすすめの本:
『詩歌を楽しむ 詩を読んで生きる 小池昌代の現代詩入門』(小池昌代著/NHK出版)
『みちのく鉄砲店』(須藤洋平著/青土社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。