僕の妻は、子供たちみなに絵本の読み聞かせをして育てた。いま事情があって7歳の男の子を育てているけれど、彼女はその子にも読み聞かせをする。幼いころからやってきたので習慣になって、寝るときに子供が本を選んで妻のもとへ持って来る。
たまたま僕が疲れて横になっているときは、僕も妻の読み聞かせの声を聴きながら眠りにつく。これが、ものすごく心地がいい。僕の母は、酒場でママさんと呼ばれる仕事をしていたので、読み聞かせをしてもらった記憶はない。
父が早くに亡くなったので、母が外で働いて、祖母が家事や子育てを担って、僕の家庭は営まれていた。だから、祖母が読み聞かせをしてくれたかというと、彼女は尋常小学校中退で、ほとんど文字の読み書きができなかった。読み聞かせをするどころではない。せいぜい、子守唄を歌ってくれるぐらいだった。
読み聞かせの効果があってか、3人の子供たちは本を読むことが苦にならないようで、長男は建設現場で稼ぎながらバンドをやっているのだが、哲学書などを読む。長女は保育士をしていた母の背を見て育ったからだろう、就活を1カ月で諦めて保育の専門学校へ入って保育士になった。職場では子供たちに率先して絵本や童話などの読み聞かせをしていた。
次女は無類の本好きになって、僕が小説の書き方を教えている大学に入り、僕のクラスで学んだ。文章を書いてゆきたいという。これは痛し痒しで、父の仕事を敬ってくれるのはうれしいけれど、生活が心配である。
というわけで、今回は絵本を取り上げる。マヒトゥ・ザ・ピーポーが文章を書いて、荒井良二が作画を担当した『みんなたいぽ』だ。
マヒトゥ・ザ・ピーポーは、GEZANというバンドのメンバーで、小説やエッセイも書いて、映画も撮っている。流行りの言い方をすれば、マルチアーティストだ。僕が彼の小説とエッセイを買ったのは、本屋をパトロールしていたときに見かけて直感がはたらいたからなのだが、FacebookでGEZANが吉本ばななちゃん(作家デビューが同期なので、いまもこの呼び方です)のご贔屓であることを知って、やはり、とおもった。
小説もエッセイも、おもしろい。音楽もいい。そのマヒが初の絵本を書いて、絵が荒井良二(しかも出版社がミシマ社)ときたら、読まない手はない。すぐに取り寄せて読んだ。
仕事のない男がパンを盗んだ。ぼくは警察官なので逮捕した。「ろうやではんせいしなさい」。次に、草原に火を放ったライオンを逮捕して、やっぱり牢屋に入れた。言葉で人を傷つけた少女を牢屋に入れた。
少女は、では、言葉がほかの人を傷つけないように、言葉を逮捕してくださいという。
よーく、わかった、ことばをたいほしよう
ぼくは図書館の本やパソコンのキーボードから言葉を逮捕して牢屋に入れる。
体の色が違うので悪口をいわれた男が人を殴った。ぼくは逮捕して牢屋に入れる。男は色を逮捕して欲しいという。「うん わかったよ、いろをたいほしよう」。ぼくは世界中の色を逮捕して牢屋に入れる。
車を運転していて雷の音で驚いて電柱にぶつかった娘が、音を逮捕して欲しいという。「よーし おとをたいほしよう。やくそくだ」。ぼくは世界中の音を牢屋に入れた。台風がむしゃくしゃしてビルや家を壊した。ぼくは台風を牢屋に入れた。
おまわりさん、それならにんげんもみんなたいほしてくれよ。あいつらは、かぜに ゴミを どんどんなげこむだろう? おれたちは ちはでないけど、カンカンにおこってるんだ
ぼくは考えたあげくに、人間をみな逮捕して、最後に自分が牢屋に入り、鍵を閉めて呑みこんだ。牢屋の中は、たくさんの音や色や人間や言葉であふれて、いままでなかったぐらいお互いの声を聴いた。そして、疲れて眠っているうちにひとつに溶け合い、球体になった。
その きゅうたいを なんとよぶかは
まだ だれも しりません
この絵本の帯には、「読者対象0歳~100歳」とある。0歳の赤ん坊が、どのように読むか。100歳のお年寄りが、どのように読むか。ちなみに、僕は教訓やメッセージを受け取るよりも、イメージと絵を楽しんだ。
読書がクリエイティブな行為であることを教えてくれる絵本だ。
おすすめの本:
『みんなたいぽ』(マヒトゥ・ザ・ピーポー文/荒井良二絵/ミシマ社)