法案成立を報じる『公明新聞』(6月17日付)
誰も得をしない野党の選択肢
身も蓋もない言い方をすれば、政治は妥協の産物である。時には、多数派と少数派が妥協し合って合意形成するのが民主主義であり、それすらできない社会は強権独裁である。
今回、自民党と公明党は数の上で与党だけでも法案成立が可能だったが、あえて自民党内の一部反対派を押し切り、さらに日本維新の会や国民民主党との合意を取りつけるために法案修正までした。
あたりまえの話だが、各党にはそれぞれの支持層があり体面もある。合意するためには各党が支持者に説明できる、それぞれの論理の一貫性が必要だ。
微妙な話をすれば、法文の解釈に関して、保守的な議員や支持者が納得できるロジックを用意する場合もあるだろう。事実、保守的な支持層に向けて、法律がむしろLGBTQ+の権利を抑制できるものだと強弁している議員もいる。
だからこそ、国会の場で政府側の詳細な答弁を引き出しておくことが重要なのだ。
ところが立憲民主党や日本共産党は、こうした合意修正を経て与野党が理解増進法を成立させることを全否定し、あくまでも自民党保守派が土壇場で葬った2021年の超党派議連の合意案にこだわった。
そのこだわりは、見た目には美しい主張かもしれない。しかし、「ゼロか100か」でそこにこだわってしまえば、自民党はあくまで反対しなければ筋が通らなくなる。
参議院内閣委員会での三浦議員の質問のように、法文の性格を政府側にきちんと確認し、言質を取っていくことのほうがはるかに賢明ではないのか。
立憲民主党などはそれをせず、身内である連合の参考人に意見を求めることで、自分たちの懸念を裏付けることに終始した。法案が成立することが見えている時点でなお、〝疑惑は深まった〟というパフォーマンスをしたところで、当事者を含め社会の誰も得をしない。
法律がゼロの社会でよかったのか
今回、立憲民主党や日本共産党は、当事者の側に寄り添ったふりをして、むしろ政府与党に得点させないため、法律が先送りされることを選んだのである。
思い出してほしい。今回、この理解増進法成立へ一気に機運が高まったのは、2月3日に当時の首相秘書官がオフレコ取材でLGBTQ+への差別発言をしたと報じられたことが契機なのだ。
2021年に東京オリンピックを開催し、2023年のG7議長国として広島サミットを控えながら、2月3日までは何ら法制度実現への兆しも見えていなかった。
秘書官発言の直後に、まず理解増進法の早期実現を首相に促したのは、連立を組む公明党の山口那津男代表だった。
山口代表は1週間後には当事者団体の運営するプライドハウスを訪問した。さらに当事者の要望を受けて、すぐに首相に電話を入れ、当事者と首相の面談を実現させた。
米国のエマニュエル大使も公明党の動きに呼応して、米国国務省でLGBTQ+の人権擁護を担当するジェシカ・スターン人権担当特使を案内して山口代表と会談。これをSNSで公表した。
実際、あの場面で岸田首相が対応を誤れば、G7各国でサミットへの首脳の不参加を求める抗議運動さえ起きかねない局面だった。スターン人権担当特使は、LGBTQ+の権利に関して米国の外交活動を取り仕切っている重要人物だ。
もともとリベラルだった岸田首相は、こうした公明党や米国側からのアシストを受け、秘書官の差別発言を奇貨として方針転換した。
広島サミットの首脳コミュニケでは、
我々は、あらゆる多様性をもつ女性及び女児、そしてLGBTQIA+の人々の政治、経済、教育及びその他社会のあらゆる分野への完全かつ平等で意義ある参加を確保し、全ての政策分野に一貫してジェンダー平等を主流化させるため、社会のあらゆる層と共に協働していくことに努める。
(中略)
あらゆる人々が性自認、性表現あるいは性的指向に関係なく、暴力や差別を受けることなく生き生きとした人生を享受することができる社会を実現する。
と、事実上のLGBTQ+差別禁止が明記された。
もし、ここであくまでも2021年の案に固執して法案成立が見送られていたら、次のチャンスはいつになるのか。日本はLGBTQ+の権利に関する法律を何ひとつ持たないまま、ズルズルと現状を引きずっていくことになる。
むしろG7議長国になった年にさえ法律が見送られたことが既成事実として強調され、負の力学を強めていただろう。
法律をどう活かしていくのか
今回の理解増進法は、実質的にはLGBTQ+の環境が劇的に変わる要素のない理念法だ。「空文」だという耳の痛い指摘さえある。
それでも、LGBTQ+に関する法律が何もなかった日本社会に、まず一里塚を打ち立てた意義は大きい。
冒頭に紹介したエマニュエル大使のツイートは、そのことを称えている。
エマニュエル大使は、法案が衆議院を通過する前日にも山口代表と会見し、
国家安全保障からあらゆる人の人権促進に至るまで、山口代表そして公明党は連立与党として、不可欠なガバナンスを発揮しています。変化を生み出すのはリーダーシップです。山口代表のリーダーシップのおかげで、史上初のLGBT理解増進法案が今週、国会を通過する見通しです。(6月12日のツイート)
と日英両語でツイート。公明党のリーダーシップを世界に向けて紹介した。
当事者のなかにも多様な意見はある。
当事者として、性の多様性について市民向けの研修に取り組む遠藤まめたさん(36)は「これまで自治体や学校は法律がない中、手探りで取り組むしかなかった。法律ができれば新たに取り組みが広がるだろう。課題の残る法律ではあるが、私たちは法律を使ってどう頑張るかが大事だと思う」と話した。(『毎日新聞』6月17日)
今は同性婚が実現している諸国でも、かつては激しい嫌悪感情と反対論が社会にあった。そうしたなかで先人たちは、一歩一歩、外堀を埋め、人々と連帯して理解する世論を広げ、社会を変えてきた。
世論調査では若い世代で圧倒的にLGBTQ+への理解が深い。どの政党も、こうした世論を真剣に受け止めなければ立ちゆかなくなる局面は時間の問題でやってくる。
成立した理解増進法になお疑念や廃止論を叫ぶことは、賛成する世論を停滞させ、保守派を利するだけではないだろうか。
むしろ、できた法律をどう活かし、次への橋頭保にしていくかの知恵が重要なのだ。賢明に社会を変えていく一人ひとりでありたい。
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LGBTの社会的包摂を進め多様性ある社会の実現を(月刊誌『第三文明』2015年9月号より)
シリーズ:「わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス」(山形大学准教授 池田弘乃)
第1回 相方と仲間:パートナーとコミュニティ
第2回 好きな女性と暮らすこと:ウーマン・リブ、ウーマン・ラブ
第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)
第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)
第5回 社会の障壁を超える旅:ゆっくり急ぐ