書評『なぎさだより』――アタシは「負けじ組」の組員だよ

ライター
本房 歩

逗子の本屋の娘

 神奈川県逗子市。北西を鎌倉市に接し、南は御用邸で有名な葉山町に接している。
 相模湾に面してほぼ真横に一文字を描いてきた湘南の海岸線は、「鎌倉」の東側で5時の方向に折れて「逗子」「葉山」へと延び、三浦半島を形づくっていく。
 逗子の海辺はアルファベットの「C」を逆向きにしたようになっている。穏やかな割には風があり、ウインドサーフィンの聖地だ。晴れた日には正面に富士山が浮かぶ。
 著者は前回の東京オリンピックの年に鎌倉で生まれ、10歳からこれまでずっと逗子で暮らしてきた。実家は母親を店主に1959年から続く書店だった。
 浅草生まれで「粋と野暮」が口癖という母親のもと、海辺の町でのびのびと育ち、出版社勤務を経て95年にエッセイストとして独立した。
 その海辺の町――逗子・葉山・鎌倉――を舞台にした日常を綴った43編のエッセー。ファンキーな母のもとで育った自身の少女時代の思い出、自分が授かったひとり娘との日々が、テンポのよい文章で描き出される。
 ほとんどの文章には、なにかしら食べ物が出てくる。土地柄だけに、大文豪のお屋敷跡も登場すれば、桑田佳祐が去年(2022年)リリースした『なぎさホテル』で歌われたホテルの記憶も登場する。
 大正最後の夏に逗子の海岸に開業し、昭和の終わりとともに閉館した、皇族や各国大使の定宿、昭和30年代は太陽族のたまり場となった華麗なリゾートホテルだ。
 JR逗子駅から葉山御用邸を結ぶ国道が「行幸道路」と呼ばれているように、逗子駅は昭和天皇がお召列車で御用邸に往復する際に乗降した駅だった。
 今はサザンとキマグレンが流れるビーチの町も、本来は由緒正しい〝ハイソ〟を煮詰めたような歴史を刻んでいる。
 ただし、本屋の娘はそんなことはおかまいなしに、母譲りの〝わが道〟をいく。サブタイトルに「暮らし歳時記」とあるが、由緒正しい潮風とともに読者に届くのは明け透けな生活臭である。
 いや、ニオイだけではない。家に出入りする娘の友達たちの声も、朝夕の風に揺れる植物の葉音も、幼馴染とのおしゃべりも、にぎやかにページのあいだから聞こえてくる。
 そして、用心して読まなければいけない。軽やかな文章に引き込まれ、さらりと書かれた深い含蓄ある話に迂闊に感銘していると、思わぬところに著者が埋めた〝昭和臭〟強めのダジャレの地雷を踏むことになるからだ。

物語を編む構成力

 本書のもとになったのは2018年から『聖教新聞』の教育欄に連載された「親子ワクワク暮らし歳時記」。
 子どもを抱えて夫と離縁した母親の事情も、成長していくひとり娘との会話も、その娘を育てていくあいだの紆余曲折や失敗談も、赤裸々に綴られている。
 数年前には自身が乳がんを患って手術もした。自分が元気になったと思ったら、6つ下の妹が旅立った。
 暮らしの歳時記は、そのまま「生老病死」と向き合う人生の歳時記でもある。
 連載時は、毎度のように『聖教新聞』の担当者から「ここは教育欄なんですよぉ」と書き直しを言い渡されたと告白している。「教育欄」紙面の厳かなたたずまいを斜めに横切っていくような奔放なエッセーは、じつは読む人への深い愛情と励ましに満ちている。

 やたらと「勝ち組」「負け組」に分類したがる人たちがいる。そんな人たちに、もう一つあるよ、と教えてあげたい。それは、「負けじ組」で、アタシも組員の一人なのよん、って。(本書)

 高校時代、ラジオの深夜放送に聞き浸り、ダジャレやギャグを思いつくたびにハガキに書いて投稿していたら1年浪人する結果になったそうだ。
 同じ湘南高校で人気者だったI君は二浪した。

彼はすぐに、当時、はやっていた「メンズクラブ」という雑誌にあやかり、二浪した仲間たちに声を掛け、「ダブルメンズクラブ」というグループを作った。二浪した紳士だけが入れる会員制クラブだ、と。(同)

 歳月を経て、今は新潟で広告代理店の社長となったI君を訪ねた著者は、あの「ダブルメンズクラブ」時代の明るさの源を彼に尋ねた。

 すると、「毎朝のリセット力」という答えが返って来た。
「今年もダメだったらどうしようと不安になることもあったよ。でも、だからこそ、朝起きるたびに、『さあ、今日からまた新しい一日が始まる!』ってリセットする。昨日の気持ちは引きずらない。過去は変えられないけど、未来は作れるからね」(同)

 この話は新潟の県花でもある「雪割草」と題された回にある。
 連載を読む人のなかにも、きっと家族や近しい人が受験に失敗したり、不如意な日々に対峙していることがあっただろう。
 著者は押しつけがましく励ますのではなく、「ダブルメンズクラブ」という大谷翔平のフォークボールのような変化球で意表をついて、しかし人生の根本的な希望を綴っている。
 書評子が唸らされたのは、かぎられた紙幅で物語を編む構成力である。毎回、話の序盤は「あっちに飛び、こっちに飛び」しているように見える。それなのに野球でいえば7回ウラくらいで、そのすべてが見事につながっていく。
 一見とっ散らかったような書きぶりは、円熟のエッセイストが見せる凄腕なのだ。
 逗子や鎌倉の書店に行くと、目下この『なぎさだより』は一等地に平積みされているという情報を得た。
 桑田佳祐の曲は湘南の海を歌っているのに、なぜか誰しもの心に響く。この本も海辺の町の日常を綴っているようで、誰がどこで読んでも、「ああ、私に宛てて書いてくれた手紙だ」と思うに違いない。


『なぎさだより──〈逗子・葉山・鎌倉〉暮らし歳時記』
橋出たより

価格 1,870円(税込)/第三文明社/2023年2月22日発売

⇒Amazon
⇒セブンnet
⇒紙版・電子版(第三文明社 公式サイト)

「本房 歩」関連記事:
書評『完本 若き日の読書』――書を読め、書に読まれるな!
書評『人間主義経済×SDGs』――創価大学経済学部のおもしろさ
書評『ブラボーわが人生 3』――「老い」を笑い飛ばす人生の達人たち
書評『シュリーマンと八王子』――トロイア遺跡発見者が世界に伝えた八王子
書評『科学と宗教の未来』――科学と宗教は「平和と幸福」にどう寄与し得るか
書評『日蓮の心』――その人間的魅力に迫る
書評『新版 宗教はだれのものか』――「人間のための宗教」の百年史
書評『日本共産党の100年』――「なにより、いのち。」の裏側
書評『もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ』――夜回り先生 いのちの講演
書評『差別は思いやりでは解決しない』――ジェンダーやLGBTQから考える
書評『今こそ問う公明党の覚悟』――日本政治の安定こそ至上命題
書評『「価値創造」の道』――中国に広がる「池田思想」研究
書評『創学研究Ⅰ』――師の実践を継承しようとする挑戦
書評『法華衆の芸術』――新しい視点で読み解く日本美術
書評『池田大作研究』――世界宗教への道を追う