内田百閒は、夏目漱石の弟子筋の作家だ。漱石の弟子というと、まず、芥川龍之介の名が挙がるが、百閒にはコアなファンがいる。僕もそのうちのひとりである。小説や紀行もおもしろいが、僕にとって『御馳走帖』は、頭ひとつぬけておもしろい。
理由は、僕が食べることが好き(グルメとはいわない)だからだが、この随筆には、単においしい料理が並んでいるだけではない。どのような時世に、誰とテーブルを囲んだか――そういうところまで、微細に書かれているので、食を通じて社会の動静や作家の生活が分かる。
冒頭の「序にかえて」は、昭和二十年七月の日記の抄録だ。たとえば――
七月三十日 月曜日 二十二日ノ朝以来ズット御飯ノ顔ヲ見ズ
敗戦直前の物資が不足している時期なので、団子にする配給の粉もなくなり、あとには澱粉米と大豆が少しあるばかり。何とか食料を工面しなくてはとおもっていたら、近所の家の子供が誕生日とかで、細君が赤飯のお裾分けをもらってきた。赤飯といっても、小豆がないので、紅の色をつけただけの赤飯。しかし、なんといっても米には変わりない。
飯粒ト云フ物ニオ目ニカカルノハ九日目ナリ
ここから始まるので、どのような御馳走が登場するのか予想もつかない。そのうえ百閒は、医師から節制を言い渡されて、
朝飯代わりには牛乳一合と英字ビスケット一握り、林檎一顆づつ食べる。午にはもり又はかけを一つ宛食べる
お膳の前にすわってきちんと食べるのは夕飯だけなので、ひたすらそのときを待って、「毎日山海の珍具佳肴を要求する」。それは、どのような御馳走か。彼が無聊にまかせてつくった食べたいものの目録を見てみよう。
さはら刺身 生姜醤油/たひ刺身/かぢき刺身/まぐろ 霜降りとろノぶつ切り/ふな刺身 辛子味噌/ぺらたノ辛子味噌/こちノ洗ひ/こひノ洗ひ/あはび水貝/小鯛焼物/塩ぶり/まながつを味噌漬/あぢ一塩/小はぜ佃煮/くさや/さらしくじら/いひだこ/べか/白魚ゆがし/蟹ノ卵ノ酢の物/いかノちち/いなノうす/寒雀だんご/オクスタン塩漬/牛肉網焼/ポークカツレツ/ベーコン/ばん小鴨等ノ西洋料理/にがうるか/このわた/カビヤ/ちさ酢味噌/孫芋 柚子/くわゐ/竹の子のバタイタメ/松茸/うど/暴風/馬鈴薯ノマツシユノコロツケ/ふきノ薹/土筆/すぎな/ふこノ芽ノいり葉/油揚げノ焼キタテ/揚げ玉入りノ味噌汁/青紫蘇ノキヤベツ巻ノ糠味噌漬/西瓜ノ子ノ奈良漬/西条柿/水蜜桃/二十世紀梨/大崎葡萄 註 備前児島ノ大崎ノ産/ゆすら/なつめ/橄欖ノ実/胡桃/三門ノよもぎ団子 註 みかどハ岡山市ノ西郊ニアリ/かのこ餅/鶴屋ノ羊羹/大手饅頭/広栄堂ノ串刺吉備団子 註 広栄堂ハ吉備団子ノ本舗ナリ/日米堂ノヌガー/パイノ皮/シユークリーム/上方風ミルクセーキ/やぶ蕎麦ノもり/すうどん 註 ナンニモ具ノ這入ツテヰナイ上方風ノ饂飩ナリ/雀鮨 註 当歳ノ小鯛ノ鮨ナリ/北山駅ノ鮎ノ押鮨/富山ノますノ早鮨/岡山ノお祭鮨 魚島鮨/こちめし/汽車弁当/駅売リノ鯛めし/押麦デナイ本当ノ麦飯
このリストには、あとから思い出した追加もあるが、ここでやめておく。しかし百閒の「山海の珍具佳肴」がどのようなものかは分かるだろう。彼の御馳走は食べ物ばかりではない。
〝宮城撿校(けんぎょう)〟とあるから、琴の奏者・宮城道雄のこととおもわれるが、昔からのよしみでときどき御馳走してもらう。その日は銀座の牛肉屋に招かれた。
さてこれから撿校と差しつ差されつと云ふのが私には非常な楽しみであつて、御馳走などは第二である
百閒にとって、宮城撿校との会食のメインディッシュは、食べ物ではなく、撿校とのおしゃべりなのだという。食事はなにを食べるかはもちろんだが、誰と食べるかも味を決める要素だ。いくらおいしいものでも、嫌な奴と一緒ではうまくない。カップ麺でも、気の合う人となら、ご馳走である。そして、親しい友人・知己とのおしゃべりは楽しい。
ほかにも、缶詰は古いほうがいいとか、お茶を飲むのは喉が渇いたからではなく、なんにもしないでお茶を啜っている、その境涯がいいのだとか、百閒流の味わいに満ちた文章が並ぶ。
読み終えたら、この本も、ご馳走だったとおもわせてくれる。
お勧めの本:
『御馳走帖』(内田百閒著/中公文庫)