一言いわせてください。僕は本書『derek jarmann`s garden』を探していたら、アマゾンで1900円の新品を見つけた。そこでカートに入れて、ほかの本といっしょに買うつもりでいたら、それが残りの一冊だったのか、あっという間に、この本は入手できません、というコメントが現われた。
どうしても欲しい本だったので、ずっと探し続けていたら、ある日、古書が売りに出されたのだが、7000円超! しかし僕は迷わずにポチッた。
実は、かつてジャン・ジュネの『恋する虜』を買おうとしたら、古書で8000円ほどの値がついていて気おくれした。そこで版元に問い合わせたら、近々、増刷する予定で、その半値で買えるという。僕は、新品を安く手に入れた。
だから、このときも、同じようにならないかとおもったのだが、最初に買いはぐれてしまったので、我慢ができなかった。そうです。僕は、とてもせっかちな人間である。
さて、デレク・ジャーマンは、イギリス出身で、映像作家、画家、舞台美術家として活躍した。1986年にHIVの感染が判明し、1994年にエイズで亡くなっている。
本書は、1986年からデレクが、イギリス・ケント州・ダンジェネスの原子力発現所に面した土地で造りはじめた庭の様子が、彼の言葉と友人の写真家ハワード・スーリーが撮った写真によって記録されている。
「パラダイス」という言葉は古代ペルシャ語――「緑の地」から来ている。
パラダイスは庭に宿る。私の庭もそうである
デレクは、1986年の春、映像作品のための風景を探していて、ダンジェネスでいい漁師小屋を見つけた。それは売りに出されていたので、彼は買わずにいられなかった。そこは、プロスペクト・コテージと呼ばれた。
初め、みんなは私の庭づくりになにか魔術的目的があるのではないかと思った――原子力発電所をやっつけるために、やって来た、白い魔女。たしかに、庭づくりには妖力(マジック)があった――意外な発見をする喜び(マジック)と宝探しの喜び。庭はまさに宝探しで、植物は宝のありかに至る紙切れの目印だ
彼は、毎年、庭に手を入れつづけた。コテージの家具はスクラップ置き場からひろってきたガラクタや海岸にたどりついた漂着物からこしらえた。庭は、シャムゼンムラサキ、カノコソウ、サントリナ、イトラン、チョウセンアザミ、ラベンダー、サルビア、アヤメといった色鮮やかな花がさきみだれ、流木やなにかの錆びた金具などのオブジェが立つ。
まさに、パラダイスのように美しい。皮肉なことに、庭が満たされてゆくにつれて、デレクの体調はすぐれなくなってゆく。蜜蜂を飼っていたのだが、巣箱を持ちあげる力がなくなって友人に頼む。光に弱くなって帽子が欠かせなくなる。
デレクは、いのちの衰えを、いのちを育むことで、耐えようとしていたのだろうか。
原子力発電所は不思議な存在である。夜見ると、巨大客船のようでもあり、様々な色の光がきらめく小マンハッタンのようでもある。発電所は不思議な影に包まれていて、澄んだ夏の空に星が出てこられるようになっている
「世界の外の世界」にある私のパラダイスは年ごとによくなっていく
危うい原子力発電所を不思議なものと見る視点は、「世界の外にある世界」にあった。
この青い空の下で
私の花時計たちが
太陽の丸い光を反射している。
太陽が昇るのを見守り、
西方の地に沈むのを記録する。
花時計は眠らない。
やがて、ダンジェネスのデレク、という宛名で、手紙が届くようになった。
私は元気で幸せである。ここ数年はいままでになく気分がいい。痛みもないし、友達に囲まれている。庭はゲッセマネであり、エデンである。私は安らぎの中にいる
デレク・ジャーマンは、この世にパラダイスを創ったのである。
お勧めの本:
『derek jarman’s garden with photographs by howard sooley』(デレク・ジャーマン:Derek Jarman著/ハワード・スーリー:Howard Sooley撮影/伊藤延司訳/光琳出版社)