芥川賞を読む 第25回『きれぎれ』町田康

文筆家
水上修一

ほとばしるエネルギーとスピード感で狂気を描く

町田康(まちだ・こう)著/第123回芥川賞受賞作(2000年上半期)

コラージュのようなストーリー展開

 ダブル受賞となった第123回芥川賞。その一つが、町田康の「きれぎれ」だった。
 昔、音楽雑誌の編集をやっていた私にとっては、パンクバンド「INU」のボーカル・町田町蔵のほうが作家・町田康よりも印象が強烈だったので、芥川賞受賞のニュースを聞いた時は、「あの町田町蔵が!」と非常に驚いたことを覚えている。彼の処女作「くっすん大黒」は、それ以前、興味本位で読んでみたことがあったのだが、わけの分からない、めちゃくちゃな感じが「さすが町田町蔵だ」と感心したことを記憶している。
「きれぎれ」も、まあ一言で言えば、わけの分からないめちゃくちゃな感じだ。主人公は、一度も働いたことのない、金持ちの親を持つ道楽息子。一番の趣味は、ランパブ(ランジェリーパブ)通い。ストーリーはあってないようなものなのだが、あえて言えば、昔の仲間が画家として成功し有名になり、それと対比して、ろくでもない女と結婚し仕事もせずに自身の虚栄心と自己愛と自己否定の狭間で身悶えしながら、画家として成功するために絵を描き出した男の狂気を描いている。
 何がむちゃくちゃかと言うと、全てである。文章は、いわゆる文章作法というものを一切無視したようなもので、ノーマルな雑誌編集者からすれば最低最悪の代物。だ。ストーリーも、時系列が入り乱れ、瞬間瞬間、突如として湧いた強烈なイメージをベタベタと貼り付けたような、まるでコラージュのような感じなのだ。
 だけれども、そのエネルギーとスピード感は、凄まじい。改行もせずに長々と、ボケやダジャレをちょこちょこぶっこみながら、怒涛の勢いで言葉を書き連ねているのだが、不思議と読み進めるのが苦痛ではなく、スルスルと前に読み進んでいける。まるでリズムに乗って時間が経過していくような感じである。
 しかも、場面ごとの印象は強烈で、赤や黄色や青や黒、それぞれに強烈な閃光が放たれている。

驚くほど極端な賛否両論

 こんな作品だから、選考委員の賛否は両極端だった。毎回、満場一致で推される作品はほとんどないのだが、これほどまでに極端に分かれることは珍しい。
 最も強く推していたのが石原慎太郎。「くだらない」などといつも手厳しい論評をする同氏が、驚くほど強烈に推しているので驚いた。

時代にはその時代の精神なり情操がある。そして、それをくみ取った作品をこそ時代が迎え入れる

と述べたうえで、自身のことや時代を創った作家のことに触れながら、

今日の社会の態様を表象するような作品がそろそろ現れていい頃と思っていた。その意味で町田氏の受賞は極めて妥当と言える

と、まるで新時代の寵児かのような賛辞を贈っているのだ。
池澤夏樹は、文体についてこう称賛。

この人の文体はいわゆる美文でも名文でもないけれども、しかしここまで密度の高い、リズミックかつ音楽的な、日本語の言い回しと過去の多くの文学作品の谺に満ちた、諧謔的な、朗読にふさわしい、文章を書けるというのは嘆賛すべき才能である

 意外にも否定的な評価をしたのは、この回から新しく選考委員となった村上龍だった。

文体は作品のモチーフに呼応するとわたしは考えている。前述したように「きれぎれ」にはnothing以外にはモチーフがない。「きれぎれ」の文体は、作者の「ちょっとした工夫」「ちょっとした思いつき」のレベルにとどまっている。そういったレベルの文体のアレンジは文脈の揺らぎを生むことがない

 宮本輝はもっと厳しい。

読み始めてから読み終わるまで、ただただ不快感だけがせりあがってきて、途中で投げ捨てたくなる衝動と戦わなければならなかった

と述べたうえで、

町田氏には「くっすん大黒」以来の、いまのところそれに沿って行くしかないマニュアルが出来てしまっているような気がする。そのマニュアルから逃れられないままに書かれた作品が、はたして「既成の小説や文体」を「壊す」、あるいは「崩す」という意欲とつながり得るのかどうか、私にははなはだ疑問である

と既成文学の打破という点からも疑問を投げかけている。
 ここまで意見が分かれると、選評を読むこと自体がおもしろい。そこには、それぞれの作家の感性とこだわりが見えてくるからだ。
 それにしても、写真で見る町田康の目は、すごいなぁ。60歳を過ぎた今は随分丸くなったのだろうが、昔の彼の目は、澄んで、まさに狂気に満ちた目をしていた。パンクロッカーそのものの目だった。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』 第21回『ブエノスアイレス午前零時』 第22回『日蝕』 第23回『蔭の棲みか』 第24回『夏の約束』 第25回『きれぎれ』 第26回『花腐し』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。