書評『スマホ・デトックスの時代』――健全なデジタル文明への方途を探る

ライター
小林芳雄

スマートフォンに閉じ込められた「金魚」

 スマホを巡る問題を扱った書籍は数多く出版されている。医学的視点から書かれたものが多い中、本書『スマホ・デトックスの時代』はそうした見地を踏まえた上で、IT企業の収益システムや社会的な問題をも視野に入れて議論を展開している。
 冒頭で紹介されるIT企業幹部が行うプレゼンテーションの内容は衝撃的だ。金魚は金魚鉢のなかを飽きることなく泳ぎ回る。記憶力と集中力がごくわずかしか持続しないため、つねに新しい場所を泳いでいると勘違いしているからだ。某IT企業はデジタル技術を駆使した研究によって、金魚の集中力が持続する時間をつきとめた。その時間はわずかに8秒未満。8秒を過ぎるとすぐに精神がリセットされるのだという。
 さらに、同社は生まれた時からスマホなどのデジタル機器に取り囲まれて育ったミレニアム世代の注意持続時間の算定にも成功した。その時間は金魚よりわずかに1秒長い9秒だ。9秒を過ぎると彼らの脳の働きが低下するので、新たに刺激的な通知や広告を提供する必要がある。そのために同社は、これまで収集した個人データを活用して、彼らの関心を呼び起こそうとしているのだという。

 われわれがデジタル技術に抱いた夢は、このわずかな時間によって打ち砕かれた。通信技術は、われわれに無限の世界を約束した。サイバースペースを制限するのは人間工学の限界だけだと喧伝された。ところが、われわれはスマートフォンの画面という鉢に閉じ込められ、プッシュ通知とインスタント・メッセージに隷属する金魚になってしまった。(本書16ページ)

 いまや、現代人はスマホという金魚鉢に閉じ込められた金魚同然の存在になってしまった。そうしたスマホへの隷属を生み出す原因はアテンション・エコノミー(関心経済)にあるという。
 アテンション・エコノミーの特徴はその収益システムにある。最新の脳科学やギャンブルの心理学の成果を利用し、使用者のスマホへの依存度を高め、サイトを利用する回数と時間を可能な限り増やす。さらに悪質なのは、使用者の個人情報を広告会社に販売し、その情報をもとに個別化された広告によってさらなる消費意欲を喚起するというものである。こうした収益システムが、社会問題であるスマホ中毒を数多く生み出し、企業の利益を上げるために使用者の時間を収奪していると、著者は指摘する。

〝分断〟と〝対立〟を深める収益システム

 インターネットにおいて、極端、過激、スキャンダル、不条理などのメッセージが数多く出回るのは、悪党の存在だけでなく、われわれを絶えず激昂させようと仕向けるビジネス・モデルに原因がある。(本書142ページ)

 問題はそれだけではない。アテンション・エコノミーが生み出した収益システムは、情報空間をも歪めているという。
 ラジオやテレビと違って、スマホは吸い上げた個人情報をもとに、使用者に個別化された情報を提供する。その際、関心を喚起するために、より過激でより刺激的な情報を上位に表示されるよう設計されている。それによって、より極端な見解、より感情的な言説を人々が目する機会が多くなる。結果として人々が憎悪や偏見に染まりやすくなる傾向が強い。情報空間は分断され、議論は無効化し、社会的対立がより深まってしまう。

 われわれを中毒状態に陥れるアテンション・エコノミーの支配に抗うのは、デジタル社会を否定することではなく、デジタル社会にユートピアをもたらす計画を再構築することであり、短期的な悪夢に長期的な見通しを取り戻すことを意味する。(本書152ページ)

 ひとびとがスマホに閉じ込められた金魚のような状態から脱し、スマホ・デトックスをするためには、アテンション・エコノミーに終止符を打つことが不可欠だ。それにはデジタル文明を軌道修正する理想と長期的視野を社会的に涵養することが必要だ。著者はその方途として、国家による最低限の規制、デジタルリテラシーを高める教育、公共メディアの強化等、具体的な提言を行っている。しかし、それらを実現するためには、公共圏での活発な議論をとおして合意形成することが不可欠である。

「人間を支配する恐れのある技術は誕生したが、われわれはこうした技術を司る哲学を持たない」(本書149ページ)

 本書には、このヘンリー・キッシンジャーの印象的な言葉が引用されている。デジタル社会を軌道修正するために何が必要かを熟考し、時代の高さに見合った哲学を見出すこと。それが、今、わたしたち一人ひとりに望まれているものではないだろうか。

『スマホ・デトックスの時代 「金魚」をすくうデジダル文明論』
(ブリュノ・パティノ著/林昌宏訳/白水社/2022年10月10日発売)

関連記事:
「小林芳雄」記事一覧


こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。