連載エッセー「本の楽園」 第146回 本当に頭のいい人とは?

作家
村上政彦

 頭がいい、といわれてうれしくない人はいないだろう。けれど、頭のよさとは何か? と考え始めると、よく分からなくなる。
 僕には、「3バカ」が社会を悪くするという自説がある。
 まず、IQバカ。これは、いわゆるお勉強がよくできて、高学歴なのだが、世間の常識にうとかったり、人の心が分からなかったりするバカだ。次に、筋肉バカ。腕力だけが自慢で、物事をあまり考えないバカのこと。そして、権力バカ。権力を持ったとたんに、自分が偉くなったと勘違いして、あちこちに迷惑をかけるバカである。
 この3バカは、頭がいいとはおもえない。和田秀樹さんが、IQバカのことを「高学歴バカ」と呼んでいるのを読んで、僕は自説に力を得た。和田秀樹さんと中野信子さんが、『頭のよさとは何か』という本を出した。「高学歴バカ」は、その本に出てくる。
 僕は、高校を2度も中退し、いろいろあって大学へ入り、在学中に新人賞をもらって、小説家としてデビューしたので、大学はそのままになった。恐らく、授業料未納で除籍となっているから、正式な学歴は高校中退だ。
 こういう人間が「高学歴バカ」なんていうと、ひがみだとおもわれるが、和田さんは、灘中・高を経て、東大理Ⅲに入った高学歴の持ち主だから、素直に聴けるだろう。ちなみに、中野さんも東大出身だ。東大出身のふたりが、頭のよさとは何かについて語り、「高学歴バカ」なんていっているのだから、読まないわけにいかない。
 和田さんは、頭をよくする鍵は前頭葉にあるという。この脳の部位は、「これまでなかったことをやろうとする」「新規のことに対応する能力」がある。

旧来のものの見方や考え方をスイッチできると、たぶん「頭がいい」という状態に近づける

と和田さん。
 中野さんは、「ワーキングメモリー」を引き合いに出していう。

ワーキングメモリーというのは、脳の作業台というか、脳のまな板みたいなもので、そこにいろいろなものを置いておく。
 ある人が、普通の人ではちょっと思いつかない発想ができる、というのは、思いもよらない組み合わせが作れる、ということです。それが実現できるとしたら、それはワーキングメモリーが大きいからです。
 そういう人は、自分の考えがちゃんとあっても、ほかの人から違う考え方を示されたら、「それは面白い」「得した」と思える

 つまり、違いを受け入れられということだ。失敗を恐れず新しいことに挑み、違いを受け入れることで、頭はよくなる。
 ここで紹介される多重知能説も励ましを与えてくれる。これはハーバード大学のハワード・ガードナーが、知能を測定するために提唱した理論。

人間は誰しも複数の知能を持っている。人によって、ある知能は高くある知能は低い。そこで、ある知能に恵まれていなくても、他の知能の組み合わせや結合によって活躍できる存在になれるという考え方

 学校の成績は、ある知能のひとつに過ぎない。たとえそれが悪くても、ほかの知能に恵まれていることがあるわけだ。また、中野さんはいう。

「できない子」と「できる子」って、実は本質的にはそんなに差がないのかもしれない。できない子は「できない」というメンタルブロック(否定的な思い込み)のようなものがあって、発信できない。行動に移せない

 ほかにも、知ること、意欲を持つ、発想する力を養う、欠点をなくすのでなく長所を伸ばす、新奇探索性(好奇心)を持つ、認知的成熟度(物事には白黒がはっきりしないこともあるという考え)を高める、変な人と遭遇するなど、本当の「頭のよさ」を身につけるためのやり方がちりばめられている。
 僕は、自信満々で、自分は頭がいいとおもっている、IQバカにこそ、この本を読ませたい。もちろん、頭をよくしたいとおもう人にも読んでいただきたい。
 ちなみに、僕は中野さんに会ったことがある(Zoomですが)。聡明で、きれい(こういう言い方をすると、彼女は嫌がるかも知れないが)な人でした。

お勧めの本:
『頭のよさとは何か』(中野信子、和田秀樹/プレジデント社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。