スピリチュアルに流れる日本人
NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに継続して実施(直近は2018年実施)している「日本人の意識」調査が、興味深いデータを示している(第10回「日本人の意識」調査 結果の概要)。
「ふだんから、礼拝、お勤め、修行、布教など宗教的なおこないをしている」「おりにふれ、お祈りやお勤めをしている」という人の割合は総じて減少傾向にあり、73年には合わせて約3割だったのが、18年には約2割になっている。なんらかの信仰を自覚的に持って実践している人の割合は、緩やかに下降しているようだ。
一方で、「この1、2年の間に、身の安全や商売繁盛、入試合格などを祈願しにいったことがある」「お守りやおふだなど、魔よけや縁起ものを自分の身のまわりにおいている」「この1、2年の間に、おみくじを引いたり、易や占いをしてもらったことがある」(複数回答可)は、45年間を通して増加のトレンドが見られる。
ちなみに「宗教とか信仰とかに関係していると思われることがらは、何も信じていない」という人は、多少の増減を繰り返しながらも大きな変化はなく、73年も18年も約3割だった。
半世紀のあいだに、なんらかの宗教コミュニティに属する人の割合が減っている反面、カジュアルな信仰や〝スピリチュアル〟にはまる人は増えていることがわかる。
日本社会で「宗教」という言葉がネガティブなニュアンスを含んで使われるとき、それは宗教全般ではなく、なんらかの教団に所属して自覚的に信仰を実践している人を揶揄していることが多い。
定量的な調査研究で見えてきたもの
社会から宗教コミュニティが衰退したとしても、〝スピリチュアル〟的なものがあれば人々の宗教的なニーズは十分に満たされるのだろうか。
2000年代の後半、占いやパワースポットなどスピリチュアリティのブームが起きた当時、宗教社会学者で東京工業大学教授の弓山達也氏は、それらが代替物になり得るだろうと考えていたそうだ。
しかし、今では考えを改めています。この15年間の研究のなかで、教団の重要性に気がつきました。定量的な共同調査を行ってみたところ、教団に属さずにスピリチュアルな生き方をしている人々のなかには、幸福度が低かったり、他者と共生していく志向性が弱かったりするケースが多いことが明らかになったのです。(『第三文明』2022年12月号)
人は自分が生きることに意味を欲する。そして人が生きていく上では、さまざまな起伏がある。誰しもが、大切な人や自分自身が〝老病死〟の問題に直面することも避けて通れない。
成熟した宗教では、概してこれらの困難を意味あるものに捉え直し、レジリエンス(回復力)を高め、人生への積極性や他者への共感性を開いていくものだ。それを可能にしていくのは教理の成熟度と、双方向に豊かな対話ができる人間関係だろう。
商売繁盛や合格祈願の参拝、魔除けや縁起物といったものには、そもそもこれらの要素が欠落しているのだ。
国連の持続可能開発ソリューションネットワークが毎年発表している「幸福度ランキング」で、日本は一貫して低いランキングにある。そこには日常生活のなかでの成熟した信仰を遠ざけ、カジュアルなスピリチュアリティで代替しようとする日本社会のあり方が反映されているのではないか。
では、逆に教団に所属することがかえって人を不幸にしていくとすれば、それはどんな場合なのだろう。
旧統一教会の問題で問われているのは、人生における困難や悩みに対して「悪霊が憑いている」「先祖の犯した罪の報い」等の脅しで人を支配し、金銭を収奪するような教団のあり方だ。
もちろん、どのような世界観を持つのも自由ではある。しかし、人が誰かに依存しなければ幸福になれないという構造そのものが、やはりきわめて不健全であり、反社会性を帯びる素地になりかねないのだと思う。
宗教はすべてが危険で怪しいわけでもない。信じたければ何でもいいというわけにもいかない。弓山教授は「宗教リテラシー」を高めることが大切だと語っている。
宗教への期待はむしろ増している
高度経済成長期が終わって以降、日本の新宗教の教勢(宗教団体の規模)は軒並み縮小傾向に向かっていると言われている。一般的に新宗教とは、主に19世紀以降に教祖や創立者のもとで形成され布教拡大してきた教団を指す。
大正大学の寺田喜朗教授(宗教社会学)は、少子高齢化・人口減少、時代の変化に伴う劇的な信仰体験の希少化、住宅環境の変化や個人情報保護の流れなどが複雑に絡み合って信徒同士の結びつきを弱めているとし、特に大きな要因として女性を取り巻く環境の変化を指摘している。
積極的・消極的の両面で生涯独身を選ぶ女性やシングルマザーが増えた。また共働き世帯が増える一方で親族や地域社会のネットワークが弱体化し、女性の負担が大きくなっているというのだ。
その結果、女性の会合参加や布教活動へのコミット(関与)が難しくなり、それが教勢鈍化の土台になっている――こうしたことが言えると思います。従って、新しい時代の女性・家族のあり方にどのように対応していくかは、新宗教共通の課題といえるでしょう。(『第三文明』2022年11月号)
しかし、つながりの希薄化が進む時代だからこそ、宗教への期待はむしろ増しているのではないかと寺田教授は言う。寺田教授は同大学宗教学研究室が実施した数年単位の実地調査で、東日本大震災後の福島常磐総県の創価学会の現場をつぶさに見てきた。
実際、創価学会の皆さんは、東日本大震災において、悲嘆に暮れ限界状態に陥った被災者に「生きる意味」を示し、再び歩み出せるよう寄り添い続けました。
(中略)
特に、池田大作名誉会長の「心の財だけは絶対に壊されない」とのメッセージを届けようと奮闘する姿は、「信仰は人間をどのように強くするのか」を考えるよい機会となりました。(同)
「人生に応えられるだけの宗教」
米国の仏教誌『トライシクル』元編集長で、多くの宗教団体を調査研究してきたジャーナリストのクラーク・ストランド氏は、創価学会に関しても米国や日本で長年にわたり詳細な取材を重ねてきた。
氏は、創価学会と他の宗教団体との決定的な違いとして「座談会」を挙げている。「座談会」は初代・牧口常三郎会長時代からの学会の伝統で、今も世界192カ国・地域の創価学会で最重要の行事として継続されている。
毎月、地域の小さなコミュニティ単位で集まり、近況を報告し合い、ともに日蓮の遺文を学び合う。信仰体験を語る人もいれば、自身の直面している苦境を赤裸々に語って挑戦への決意を述べる人もいる。
学歴も社会的な属性や地位も多種多様な、あらゆる世代の老若男女が集う。聖職者が一方的に説教をするような場とは異なり、担当幹部はいても集う人々の立場は水平で、学会員でない友人が参加することも珍しくない。
たとえば米国では、人種や民族ごとに宗教コミュニティは分離されているのが一般的だ。人種の差異を超えて人々が同じ部屋に和気あいあいと集い合っている学会の座談会に来ると、誰もが驚くと言う。
座談会は、仏教における新しい信仰形式というだけでなく、宗教全体に新たな信仰実践のあり方を示している。理由は簡単だ。そこには、宗教に応えるための人生ではなく、人生に応えられるだけの宗教があるからだ。(クラーク・ストランド『SGIと世界宗教の誕生 アメリカ人ジャーナリストが見た創価学会』第三文明社)
たとえば旧統一教会の問題で人々が戦慄したのは、〝宗教に応えるための人生〟が招く悲惨で異常な実態だろう。宗教のために人間が手段化されているのだ。
これに対し、ストランド氏が創価学会の座談会で見出したのは正反対の〝人生に応えられるだけの宗教〟の姿だった。誰もが自分の人生に意義を見出し、さまざまな課題や困難さえ自身を強く賢明にし、人生を豊かにしていくものへと転換していく宗教。
それを可能にしていくのは、地域に根を張った座談会を核とした学会活動である。人が人に触れて励まし合い、啓発を受け、自己肯定感と他者への共感性を育んでいく。商売繁盛や合格祈願だけに参拝してお守りや縁起物を買うといった、他者から切り離されたスピリチュアルな行為では、こうしたものは得られない。
ストランド氏はさまざまな教団のリーダーに、創価学会の進める広宣流布運動のあり方を研究し採り入れるよう助言していると言う。21世紀が求める「教団」のひとつの理想を創価学会に見出しているのだ。
シリーズ「21世紀が求める宗教とは」(全4回):
第1回 宗教は人間のためにある
第2回 中間団体としての信仰共同体
第3回 「教団」に属することの意味
第4回 人類を結び合う信仰
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