キリスト教学僧の、信仰者としての精神闘争を描いた大作
平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)著/第120回芥川賞受賞作(1998年下半期)
新人賞をすっ飛ばしての受賞
第120回芥川賞を受賞した平野啓一郎の「日蝕」は、異色の形で芥川賞候補となった。通常、芥川賞候補になる作品は、いわゆる純文学五大文芸誌(文學界、群像、すばる、新潮、文藝)のいずれかの新人賞を獲得した作品や、その後それらの文芸誌に掲載された作品が選ばれることが多いが、「日蝕」はそれまでに一度の受賞もなく、いきなりの芥川賞候補となった。有名な話だが、当時23歳の京大生だった平野は、そうした新人賞に応募しても途中で落とされると考えて、『新潮』の編集長に手紙を書き「日蝕」を渡し、それが『新潮』に一挙掲載されたのだ。それが話題となり、芥川賞候補にもなって受賞に至った。
こうした経緯から世間の注目を集め、中には「三島由紀夫の再来」などと評するメディアも登場した。
余談だが、これについて選考委員の石原慎太郎は、選評のなかで次のようにたしなめている。
浅薄なコマーシャリズムがこの作者を三島由紀夫の再来などと呼ばわるのは止めておいた方がいい。三島氏がこの作者と同じ年齢で書いた「仮面の告白」の冒頭の数行からしての、あの強烈な官能的予感はこの作品が決して備えぬものでしかない。
いずれにしても賛否両論大きな注目集めたことは間違いない。
難しい漢字の多用は是か非か
物語の舞台は、15世紀のヨーロッパ。異教哲学の脅威を感じる若き学僧が、自らの経験と思索について回顧する形で語られている。芥川賞作品は、普通は短編が対象となるが、本作品は原稿枚数約250枚の中編作品で、これもやや異例のことだ。
選考委員の賛否が分かれたのは、まずはその文体である。舞台が中世ヨーロッパであること、また深い哲学的・宗教的思索が柱となる内容を表現しようとしてか、非常に難しい漢字を多用しているのだ。選考委員の多くがいちいち辞書を引きながら読み進んだというほど。私などはそんな余力はなかったのですっ飛ばしながら読み進んだが、それでも読み終えるにはかなりのエネルギーを費やした。
選考委員の田久保英夫は、これについては是としている。
そういう文章の様式に、積極果敢な試みを感じた。鴎外の史伝や翻訳を思わせる難しい漢字の多様は、いろいろな是非の論も呼ぶだろうが、しかし、この十五世紀のフランスの修道士を中心に、異端審問や錬金術を描いた作品には妙に適合した力を持っている。逆に今日、日常に使う口語ふうの文章で描いたら、こうした凝縮感は生まれなかったろう。
三浦哲郎は否定的だった。
「日蝕」を丁寧に読み通すのに思いのほか手間取った。読み馴れない字句が多く、いちいち辞書に当たって意味を確かめねばならなかったからである。(中略)それにしても、辞書を片手に読まねばならぬ小説とは一体なんだろうという疑問を抱かざるをえなかった。
石原慎太郎も否定的。
この現代に、小説を読むのにいちいち漢和辞典を引いて読まなくてはならぬというのは文学の鑑賞と本質隔たった事態といわざるを得まい。
相反する両極のぶつかり合いに真理を求める
「日蝕」には、相反する、あるいは相対するものを象徴するものがいくつか出てくる。男性と女性の両方の性を持ち合わせる両性具有者。神という絶対者を信じる信仰と理性で真理を捉えようとする哲学。さらには神と悪魔、幻想と現実。こうした両極のものがぶつかり合いながら、主人公であるキリスト教学僧の、信仰者としての精神闘争を描いている。
この学僧は、あらゆる異教や異端を神のもとに屈服させ統一しようという目的をもって、さまざまな文献を調べる旅に出るのであるが、当然、異教や異端と接するということは、自らの純粋な信仰を打ち砕く危険性も伴っているわけで、そこにこの物語の切迫感や緊迫感が生まれている。
物語の中盤までは、クライマックスの下地としての物語が続くので読み進めるのに気力がいるが、終盤の展開は圧倒的だった。現実なのか幻想なのか、その奇妙な交錯の中で、主人公の学僧は、両極のぶつかり合いの中に神へと通じる道を感得していったのではないか。
タイトルの「日蝕」は、クライマックスで登場する天体現象の日食からとったものであろう。世界を照らしていた太陽が黒く変じるという不吉な現象もまた、光と影の対比になっている。
どんな小説でもそうだが、どう読むかは読み手によって異なる。特にこの作品は、読み手によっていくつもの捉え方があるように思えた。ただ、物語の大きさと重みは間違いなく、読後に大きくため息をつくほどだった。
選考委員の河野多恵子は、こう述べる。
「日蝕」の創作動機は、奇跡との遭遇願望である。(中略)私はこの作品に作者の志の高さを見たので、それに賭けるつもりで推した。
黒井千次はこう述べる。
「日蝕」には、天井の高い建造物に踏み入ったかのような印象を受けた。作品の構えの大きさと思考の奥行きとが生んだ印象であったろう。
自分の外にある絶対的存在を信じようとするキリスト教の精神闘争の凄まじさを、改めて感じる作品だった。
「芥川賞を読む」:
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