創価学会に対する認識の乏しさ
今、メディアでも国会論戦でも、旧統一教会の問題が連日クローズアップされている。このことはあらためて、〝宗教は何のためにあるのか〟〝宗教はだれのためにあるのか〟という根本的な問いを投げかけているように思われる。
日本最大の宗教団体といえば創価学会だ。支持する公明党が20年以上にわたって連立与党の一翼を担っており、好むと好まざると、その影響力は日本社会にとって決して小さくない。大袈裟に言えば、誰しもが無縁ではいられないのだ。
ところが、その創価学会についての人々の知識は驚くほど乏しい。ほとんどが何十年も言い古されてきたステレオタイプなものだ。批判的に見ること自体は必ずしも悪いことではない。ただ、最低限の情報と知識に基づいた批判でないと生産性のない稚拙な中傷に終わってしまう。
創価学会に関する書籍の数は少なくない。もっとも多いのは池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長の著作であり、そのなかにはトインビー、ゴルバチョフ、キッシンジャー、ライナス・ポーリングら、世界各国のリーダーや学識者との対談集が80冊近く含まれる。
また近年では、正規の学術研究として宗教学者や宗教社会学者らが創価学会を長年調査研究した書物も出はじめた。あるいはキリスト教徒である作家の佐藤優氏は池田SGI会長の著作を徹底的に読み込んだうえで、『池田大作研究』(朝日新聞出版)はじめ、いくつかの書籍を上梓している。
一方で、創価学会を批判的に扱う書籍は半世紀以上前から繰り返し存在する。ただし最大のベストセラーとなった藤原弘達の『創価学会を斬る』にしても、創価学会への一度の取材もせずに人権侵害レベルの口述をまとめさせた「キワモノ出版」(大宅壮一『現代』1970年3月号)だった。
元弁護士の山崎正友の著作に至っては、山崎自身が顧問先であった創価学会への恐喝で最高裁から有罪判決を受け(判決文では50カ所以上、山崎の供述の虚構が指摘されている)、3年の懲役刑に服している。息を吐くようにウソを吐き続けた山崎は、晩年にはどの出版社からも相手にされなかった。
オシント(公開情報諜報)の有効性
いざ創価学会について何かを知ろうとすると、じつは情報量が多過ぎるのだ。このことが基礎知識を得ようとする際に壁になってきた。
この点で、本書『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』は、「およそ一世紀に及ぶ創価学会の歴史の概要をこの一冊で学ぶことができる」というコピーに偽りなしの書物だろうと思った。
読者が創価学会の歴史の概要を一冊で学べるよう、基本的には創立から今日までを時系列に近いかたちで構成している。
とくに本書では主眼として、創価三代の会長なかんずく池田先生が、どのように世界と時代を見据え、具体的な行動をしてきたかを追った。(「はじめに」より)
個人の著作とはいえ、創価学会側の立場から書かれた書籍は、客観的な価値や信憑性に欠けると考える人もいるだろう。
しかし創価学会ほどの規模と社会的影響力を持つ団体になると、積極的に虚偽情報を流せば露見した場合のダメージの方が大きい。インテリジェンスの専門家でもある佐藤優氏は、創価学会に関してはオシント(公開情報諜報)が有効だと指摘している。
本書は、政界、宗教界、マスコミ、さらに世界情勢の動きを踏まえて綴られている。昭和の前半、日本が戦争遂行に向けてどのような宗教政策をとり、なぜ創価学会が大弾圧を受けたのか。戦後、創価学会の発展が日本社会にいかなる役割を果たし、同時にどのような構図のなかで批判にさらされたのか。
さらに、一宗教団体のリーダーである池田SGI会長が、冷戦期の米中ソ首脳たちや国連首脳からなぜ信頼され重視されたのか。冷戦崩壊後、ハーバード大学など世界の名門大学が、競うように池田会長の講演を求め、あるいは400に及ぶ名誉学術称号を贈るようになった理由は何か。
こうした経緯が本書には要人たちの証言なども引用しながら、緻密に綴られている。すべて相手がある内容なので、ここに虚偽や誇大宣伝は記せない。
的中したトインビーの〝言葉〟
巻末には参考文献だけでなく、26ページに及ぶ年表も付されている。いわゆる宗教的な思想をあれこれ記した本ではない。池田会長が対峙した「出来事」を淡々と積み重ねながら、公刊された書籍や新聞、判決文など公開情報によって、その「出来事」の意味と真相が浮かび上がるように構成されている。
創価学会は日本の人口に数パーセントの占有率があり、国政や国際交流、核廃絶への世界世論の形成にも深く関わってきた。創価学会史を綴った本書は、令和の時代の人々にとって、昭和・平成がどのような時代であったかの一断面を知る書物にもなるだろう。
本書を通してあらためて驚くのは、創価学会が大きな試練にぶつかるたびに、それを好機に転じて新しいフェーズへ飛躍してきたことだ。こんな民衆運動は例がないだろう。
創価学会は独自の宗教法人格を持ちつつ、大石寺を総本山とする日蓮正宗の在家団体として宗門の発展外護に長年尽くしてきた。日蓮宗系のなかでも零細な宗派に過ぎなかった日蓮正宗は、創価学会の発展に支えられて日本でもっとも隆盛した教団になる。
創価学会が日蓮正宗をそこまで護ったのは、開山の祖・日興(日蓮の本弟子の1人)のみが日蓮の思想を正しく継承したと考えたからだという。
20世紀最大の宗教建築だった正本堂を大石寺に建立寄進した1972年、池田会長は歴史家アーノルド・トインビーとの2年越しの対談を開始する。前年には創価大学も開学していた。そして、ここがひとつの歴史の分水嶺になった。
池田会長は本格的な世界宗教化を視野に、日蓮の思想と信仰体系を、どうすれば普遍的な〝人類の智慧〟〝人類の宗教〟に成熟させられるかという壮大な思考実験を進める。世界の要人や最高峰の学識者との対話も加速していく。
ところが日本でもっとも豊かな宗派にしてもらった日蓮正宗の出家たちは、対称的な動きを見せた。世界規模で行動していく池田会長に理解がまったく追いつかず、嫉妬と焦燥感からか〝僧が上で信徒は下〟という時代錯誤の強権的な権威主義を強くして、さらなる服従と供養を要求していくのだ。
いったい宗教は聖職者のためにあるのか、信徒の幸福のためにあるのか。
人間のために宗教が存在するのか、宗教のために人間が存在するのか。
書名の〝宗教はだれのものか〟は、ここについての問いである。この問いは、旧統一教会に象徴されるような、人間の理性を眠らせる反社会性の強い一部教団の問題を考えるうえでも、重要なポイントになるだろう。
なぜカストロが革命以来で初めて軍服を脱いで池田会長を迎えたのか。なぜ中国の40を超す名門大学で「池田大作思想研究」が広がっているのか。なぜノーベル平和賞を受賞したICANが設立当初から創価学会を国際パートナーにしてきたのか。
なぜバチカンが創価学会を核廃絶へのパートナーとして重視しているのか。なぜイタリアが国家として創価学会と宗教協約を締結したのか。
おそらく本書を読んだ人は、自分が認識していた「創価学会像」と、実際に進行している同時代史のギャップに驚くだろう。
1972年、20世紀最大の歴史家トインビーは「創価学会は、すでに世界的出来事である」と記した。その〝予言〟は半世紀を経た今日、どうやら的中しているのである。
『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』
青山樹人価格 1,320円/鳳書院/2022年5月2日発売
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紙の書籍(鳳書院 公式ページ)
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