僕がいちばん最初に買った個人全集は、『ドストエフスキー全集』だ。中学の2、3年生ごろだったおもう。行きつけの小さな書店に注文して、届いたという報せを受け、自転車で出向いた。
帰りは荷台に、全集の詰まった段ボールの箱を載せて、自転車を押してゆるりゆるりと家路をたどった。何から読み始めたのだったか。すっかり忘れてしまったが、ともかく全部読んだ。そして、いまでは、一部を除いて、ほとんど忘れてしまった。
ドストエフスキー最大の長篇『カラマーゾフの兄弟』(通称・カラ兄)の新訳を出して、古典新訳がベストセラーになるという「事件」を起こした亀山郁夫さんと、つい最近になって話す機会があった。
亀山さんはカラ兄を訳しているときも、訳し終わったあとも、ずっとカラ兄のことを周囲の人に話した。文学にとっては、読んだら人に伝えることが、とても大切なのだ、そうしないと読者がいなくなってしまう、と亀山さんは静かに力説されていた。
僕は『ドストエフスキー集』を読んだ事実は話したことがあるけれど、内容については、ほとんど話したことがない。話せるということは、分かっているということで、亀山さんがカラ兄について話せたのは、翻訳するほどに分かっていたからだ。
僕は、亀山さんの話を聴きながら、自分がどれほどドストエフスキーの小説を分かっていたか、恥じ入るおもいだった。そのくせ、ドストエフスキーのような長篇を書こうと考えていたのだから、厚かましい。
ドストエフスキーのような長篇小説を書くことを望む一方で、かっちりとした短篇が書ければ小説家として一人前だという考えも持っていた。これは日本の近代文学をどっさり読んだ影響があるとおもう。
明治以降の日本語の小説家たちは、おもに短篇小説を書いた。これには作品を発表する媒体と日本人の体質が関わっている気がする。近代以降の作品の、発表の媒体を代表するのは文芸誌だったから、複数の作品を掲載するためには長篇より短篇が重宝されただろう。
また、和歌や俳句がいまもそれなりの実作人口を維持しているのを見ても、日本人の文学的な体質は短い形式に合っているようだ。それで小説も短篇がよく書かれたのではないかとおもう。
もちろん夏目漱石などは、いくつも長篇を書いているが、これは発表の媒体が新聞連載だったことに関係している。彼は朝日新聞の社員として、連載小説を書く契約を結んでいたのだ。勢い、作品は長篇になる。
このあいだネット書店をチェックしていたら、『昭和の名短篇』という書名が眼についた。それで「荒川洋治(編)」ときたら、もう、買いでしょう。
実は、僕が小説家としてデビューして間もなく、『すばる』で連作した短篇を、荒川さんが書評で褒めてくれた。新人作家だから、うれしくないはずがない。単純な僕は、それ以来、荒川さんのファンになったのだ。
注文して届いたのは文庫オリジナルの短篇集。作家を並べてみる。
志賀直哉、耕治人、高見順、阿部昭、中野重治、竹西寛子、三島由紀夫、田中小実昌、小林勝、野間宏、佐多稲子、吉行淳之介、深沢七郎、色川武大――14人のうち、小林勝は未知の作家だったので、さっそく作品を読んでみた。うーん、こんな良作を読み落としていたのか。ほかにも、別の作品は読んでいるが、このアンソロジーで初めて読む短篇が4本あった。これも、いい。
さらに荒川さんの解説が、また、いい。
出会った日から何回も読み、なかみを知っている短編でも、読み始めるときは、どきどきしてしまう。あの通りになっているだろうか、そろそろあの場面になるのだろうかと不安と興奮に包まれるのだ。短編は簡潔で文字通り短く、そして峻厳なので、一文一節の微動も見落とせない。文章の一つ一つが何かを表していくことが、不思議なことに思われてきて、意味の空気が薄いところにも、長くとどまりたい気持ちになる。すみからすみまで新鮮で、険しい。だから楽しい。それが昭和の短編なのだと思う。
こんなふうに読まれたら、小説家は冥利に尽きる。さらに、このアンソロジーには収められなかったが、「重要と思われる短篇の一部」の紹介もある。これも、ぜひ、読んでみたい。駄本を買ったときはがっくりするが、こういう買い物をしたときは、ほんとうに幸せな気持ちになる。
お勧めの本:
『昭和の名短篇』(荒川洋治編/中公文庫)