コロナ禍は、なかなか終わりそうにない。ワクチンや服用薬が開発され、インフルエンザのようなものになっていくという予想もあるが、強毒性の変異株が現れる可能性も否定はできない。
外出するときにはマスクをすること、手洗いや消毒は、日常の一部になった。COVID-19というウイルスは明らかに僕らの生活を変えたのだ。こういうとき、知識人の役割は、明晰な知性の力を使って、僕らがこのウイルスとどのように向き合えばいいのかを考えることだろう。
すでに2020年、世界的な思想家であるスラヴォイ・ジジェクは、邦訳『パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス』という本を送り出している。このなかで彼は、我々はハグや握手の機会を奪われてしまったが、互いに眼を見つめることで、じかに触れ合うよりも心を開くことができる、親しい人と距離を取らなければならないが、そのためにこそ、彼らの重要さを体験できる、と述べている。
僕は、このくだりを読んで、本書を通読する気になった。いくつか興味深い逸話があるので紹介したい。
感染が広がり始めたころ、イスラエルのネタニエフ首相が、すぐパレスチナ当局に支援を申し出た。「それは善意や人道的配慮」ではなく、このウイルスがユダヤ人とパレスチナ人を区別しないからだ。
半世紀もむかしのキング牧師の言葉が引かれる。
我々はみな、違う船でやって来たかもしれない。だが、今、同じ船に乗っている
また、彼は、現場に躰を運びしかないエッセンシャルワーカーの疲労こそが、本当に価値のある疲労だとも述べる。このあたりまで読んでくると、ジジェクという思想家の良知に期待できると予感した。
彼は持論を展開していく。北米の思想家フレドリック・ジェイムソンが、
小惑星が地球上の生命を脅かすとか、ウイルスが人類を滅亡させるといった破局的事態を扱う映画の中にある、ユートピアの可能性を指摘した。全人類共通の脅威が世界的な連帯を生み、我々のささいな違いは意味を失い、解決法を求めて皆が協力する」――これは、「破局的事態がなければ、自分たちが暮らす社会の極めて基本的な特徴を考え直すことができないという哀しい事実を、じっくり考えよ
と言っているのだ。
いま僕らが求めるべきは、
正しい解はパニックではなく、効率的な世界の協調を打ち立てるという、難しいが急を要する作業である
コミュニズムの擁護者であるジジェクの本領が発揮されるのは、ここからである。
完全な無条件の連帯と世界的に強調した対応が必要なのであって、それはかつて共産主義と呼ばれたものの新しい形でもある
ジジェクが「共産主義」を、どのような意味で使っているのか? 彼はWHOの公式発表を引いて示して見せる。
WHOテドロス・アダノム・ゲブレエサス事務局長は、木曜日、世界の保険当局はこのウイルスに打ち勝つ能力を有するものの、一部の国で政治的関与の度合いが脅威の大きさに真合っていないことをWHOは懸念していると述べた。事務局長は「これは訓練ではない。現在は諦める時でも、言い訳を探す時でもない。今は最大限の努力を行う時だ。各国は何十年もこのようなシナリオに対する計画を練ってきている。今がその計画を発動する時だ」とし、「封じ込めは可能であるが、政府のあらゆる組織を巻き込んだ強調した総合的なアプローチが必要である」と述べた
それぞれの国が独自に施策をおこなうのではなく、必要なのは、「世界的な連帯や協力」だ。
今こそ真の政治が必要なのだ。連帯に関する判断とは、極めて政治的なのだから
つまり、ジジェクの支持するコミュニズムは、世界の国々が連帯して、いま起きている事態に対応することだと分かる。暴力革命で資本家を倒すなどという、日本共産党式の古い「共産主義」ではないのだ。
ジジェクは、「人間の顔をした野蛮」を恐れるともいう。高齢者や基礎疾患を持つ患者などの弱者は死んでも仕方がない、という考え方が、権力者によって言葉巧みに語られ、それが社会に受け入れられていくことだ。
本来なら、そのような弱者こそが、まず、優先的に救済されなければならないのだ。
この感染拡大の最もあり得る結果は、新しい野蛮な資本主義の蔓延である
本当の闘争は、どんな社会の形が放任資本主義「新社会秩序(New World Order)」にとって代わるのかをめぐって行われる
僕らは、どのような社会を築いてゆけばいいのか? この賢人の声に耳を傾けながら考えたい。
お勧め本:
『パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス』(スラヴォイ・ジジェク著/斎藤幸平監修/中林敦子訳)