ゴルバチョフ氏と池田SGI会長の対談集『二十世紀の精神の教訓』(1996年)
核軍縮と冷戦終結の立役者
日本時間の8月31日、ミハイル・S・ゴルバチョフ氏の訃報が世界をかけめぐった。モスクワ市内の病院で30日夜(現地時間)に息を引き取ったという。
ソビエト連邦最後の国家指導者。東西冷戦終結の立役者。核兵器削減に取り組んだ功労者。西側世界にゴルバチョフ氏を称賛する形容詞がいくつもあるなか、ロシア市民のあいだでは氏の功績に対して冷ややかな声が強かった。
「新冷戦」と呼ばれるほど東西両陣営で核の脅威が高まっていた渦中の1985年、ゴルバチョフ氏は54歳の若さでソビエトの最高指導者である中央委員会書記長の地位に就いた。
それまでのソ連指導者とはまったく異なり、彼は「ゴルビー・スマイル」と呼ばれた人間的な笑顔をもって、積極的に国民のなかに入って人々の声を聴き、世界との対話を開始した。
就任の年のうちに米国のレーガン大統領と首脳会談をおこない、翌86年には「ペレストロイカ(再生)」を掲げて体制改革に着手する。同年4月にチェルノブイリ原発事故が起きて国際社会に不安と危惧が広がると、「グラスノスチ(情報公開)」に踏み切った。
さらにアフガニスタンからのソ連軍撤退と中ソ関係改善への意欲を表明。87年には米国とのあいだで中距離核戦力全廃条約に署名した。米ソの緊張緩和は、アンゴラ内戦、チャド内戦、カンボジア内戦の終結をもたらしていく。88年には国家指導者として戦後初めてロシア正教総主教と会談し「信教の自由」を認めると公表した。
88年から89年にかけて東欧革命が次々に起き、ベルリンの壁が崩壊。89年12月、地中海のマルタ島でゴルバチョフ=ブッシュ会談がおこなわれ、両者は「冷戦の終結」を宣言した。
マクドナルドのソ連1号店がモスクワのプーシキン広場にオープンしたのは1990年1月のことだ。
同年7月、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長との会見の席で訪日の意向を表明。翌年4月には、ソ連指導者として初来日を果たした。
アイトマートフ氏の寓話
ゴルバチョフ氏は、盗聴と秘密警察が支配していた社会を一変させ、民衆に「自由」を与え、第二次世界大戦後の世界を長く覆っていた東西冷戦の時代を終わらせた。
だが、このことはゴルバチョフ氏自身に悲劇的な運命をもたらすものでもあった。
ここで、ゴルバチョフ氏の盟友であった作家のチンギス・アイトマートフ氏(1928年-2008年)が書き残した、興味深いエピソードを紹介したい。
東西冷戦が終結することになる1989年のある日、ゴルバチョフ氏はアイトマートフ氏をクレムリンに呼び出した。執務室の机を挟んで楽しげに会話しながら、作家は目の前の最高権力者の表情に「心痛の跡」が刻まれていることに気づく。
アイトマートフ氏は自身の次の作品の内容に触れて、ひとつの〝寓話〟をゴルバチョフ氏に語った。
為政者よ、あなたには二つの道、二つの運命、二つの可能性があります。どちらを選ぶかは、あなたの自由です。
一つの道は、代々の伝統にならって、圧政によって権力の座を固めることです。王権の継承者として、あなたには強大無比な権力が与えられています。今、あなたはその頂点におられるのです。
この運命は、あなたに今後も同じ道を行くことを命じております。それに従えば、あなたは最後まで権力の座にとどまり、その恩恵のもとに安住することができるでしょう。そして、あなたの後継者もまた同じ道をたどって行くことでしょう。(『大いなる魂の詩』読売新聞社)
ゴルバチョフ氏は黙って、この寓話に耳を傾けていた。作家はさらに言葉を続ける。
二つ目の運命。それは受難の厳しい道である、と予言者は権力の極みにいる為政者に告げた。――なぜなら、為政者よ、あなたが贈った「自由」は、それを受け取った者たちのどす黒い、恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです。そういう成り行きになってしまうものなのです。(同)
話し終わったアイトマートフ氏に、ゴルバチョフ氏は苦笑いしながら語った。
どんな犠牲を払うことになろうとも、私の運命がどんな結末になろうとも、私はひとたび決めた道から外れることはありません。
ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私が目指しているのは、ただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。今いる人々の多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……。(同)
作家が寓話で語ったことは、ほどなく現実となった。91年8月、クーデターによってゴルバチョフ夫妻は軟禁される。クーデターはボリス・エリツィン・ロシア共和国大統領らの抵抗で失敗に終わるが、これを機にエリツィン氏は連邦の権限を次々に奪い、12月にはソ連を解体した。ゴルバチョフ氏は失意のうちに大統領の座を降りた。
「私は楽観主義者です」
自らが国民に与えた「自由」が、アイトマートフ氏の言葉通り「どす黒い、恩知らずの心」となってゴルバチョフ氏を失脚させた。のみならず、その後、氏が海外を訪問するたびにエリツィン政権は執拗な妨害を続けた。それでもゴルバチョフ氏は人類の未来のために信念を貫く行動を重ねた。
2022年2月にロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めると、即座にゴルバチョフ財団を通して「一刻も早い戦闘行為の停止と早急な平和交渉の開始が必要だ」との声明を発表している。
時事通信社モスクワ支局長などを歴任した中澤孝之氏は、著書『ゴルバチョフと池田大作』(角川書店)のなかで、こう綴っている。
ゴルバチョフの場合、残念なことだが、国内での正当な評価は「棺を蓋いて事定まる」ということなのだろうか。
クレムリンの一室で作家が寓話として語り聞かせたとおり、ゴルバチョフ氏は世界の半分を支配するという自身の権力を保持し続ける選択もできたが、それを捨てた。帝国は崩壊し、ゴルバチョフ氏は政治的には葬られ、皮肉にも新生ロシアは30年後に再び世界の脅威となっている。
だが、彼があの時代に全人類を分断と核戦争の脅威から救い出したことは紛れもない事実だ。一人の人間の信念と決意が世界の命運を変えられるという証明を、たしかにゴルバチョフ氏はやってみせた。
冷戦終結によって1990年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ氏は、91年6月5日、ノルウェーのオスロで記念講演をおこなっている。クーデターが起きる2カ月前のことだ。
私は楽観主義者です。一緒に全世界的で歴史的な正しい選択をし、世紀と千年紀の境目の大きなチャンスを逃さず、いまの非常に難しい時期を平和な世界秩序の方へと進めることがうまくできると思っています。(自伝『ミハイル・ゴルバチョフ』副島英樹訳/朝日新聞出版)
この言葉を虚しいものとして聞くか、今こそ胸に灯すものとして聞くかは、私たちの意志にかかっているだろう。運命を生き抜いたゴルバチョフ氏の来し方を偲び、そのご冥福を心から祈りたい。
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