連載エッセー「本の楽園」 第136回 マーサ・ナカムラの世界「小説」

作家
村上政彦

 文芸誌は儲からない。ある大手誌の編集長が月に800万円の赤字が出る、年間で1億円だ、とこぼしていたそうだ。それでも、大手出版社が文芸誌を出し続けるのは、自分たちが出版人であることのアイデンティティーを保ちたいからだろうとおもう。
 僕ら小説家も儲からない。それでも小説を書くのは、書かなければ小説家でなくなるからだ。僕は小説に救われた。小説に生かされている。小説家のほかに仕事を考えつかない。だから、小説を書く。出版社も似たような事情だろう。
 というわけで、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)という出版社から、この時勢に新しい文芸誌が生まれた。
『ことばと』。編集長は、批評家で、最近、小説を書き始めた佐々木敦だ。書肆侃侃房、新しい文芸誌、佐々木敦という組み合わせから、これは買いでしょう、とおもっていたら、なんとマーサ・ナカムラの短篇小説が掲載されていた。
 さっそく取り寄せて読んでみる。このあいだマーサ・ナカムラの詩は、小説のようだと書いたが、小説は詩のようだ。これもまた、おもしろい。タイトルは、「帝都の墓/阿弥家の墓参り」。
 阿弥家には、代々、世襲された仕事がある。「皇居のお堀に隠された暗渠の中にある墓」の墓参りである。この墓守によって役所から報酬を得ているという。家の床の間にかかった掛け軸をめくると、奥に地下水路へ通じる階段がある。
 毎年、大晦日になると、阿弥家のものがこの階段をおりて、水路にある舟に乗り、水路を進んでいく。今日は兄と妹の私。家の地下水路を抜けると、外の側溝に入る。このとき彼らの躰は一寸法師のように小さくなっている。
 暗渠を進んで日本橋川に出る。やがて皇居に渡る暗渠をくぐり、お堀に入る。すると白婆の社(やしろ)が見えてきた。この先には柵があるので、白婆に鍵を開けてもらわねばならない。インターホンを押して、阿弥家のものが来たことを告げると、庵の扉が開いて、白装束の太った巫女が現れる。これが白婆だ。
 白婆は不愛想に柵を開け、舟が入ると、無言で柵を閉める。この暗渠で客を待ち受ける女性は、「水の乙女」と呼ばれるが、10年ほど前に、不意にこの女に代わり、阿弥家のものたちは白婆と呼ぶようになった。
 舟が着いたのは、「屋根が赤く、壁は肌色」の普通の住宅だ。この建物の中に墓がある。

上座に黒々とした墓石がそびえ立ち、濡れた瞳のように爛々と輝いている

 墓には文字が彫られておらず、鏡面のように磨き上げられている。私と兄は黙々と掃除をする。この日、兄はいつもと違って、「俺は年が明けたら、あの家を出て行こうと思うよ」と口を開いた。
 妹の私のように会社勤めをして、普通の暮らしをしてみたい、阿弥家の仕事は継がない、という。私は戸惑う。では、誰が阿弥家の仕事を世襲するのか。答えの出ないまま、兄が鉄の扉を開けたら、そこは九段下駅である。躰の大きさも、元に戻っている。
 私は実家に戻って年越し蕎麦を啜った。

それが兄と過ごした最後の夜になった

 元旦の朝、居間のダイニングテーブルの上に赤ん坊が坐っていた。目が合うと、「明けましておめでとうございます」と言った。驚いて、まだ寝ていた母を起こし、兄がいなくなって赤ん坊がいる、と報せると、「かずちゃんの子どもなのかしらねえ。置いていったのかしら」という。
 赤ん坊は、どこから来たのか訊くと、「階段」と応え、父母は、「一階と二階」という。私は一階と二階のあいだで、ときどき兄の気配を感じることがある。母は赤ん坊に夢中で兄のことは忘れてしまったようだ。そして、墓参りのやり方を教えてやって欲しいという。
「父はただ天井に顔を向けている」と、この短篇小説は結ばれる。何とも不思議な物語だが、作者によれば、小説を書いてみて、いつも自分が書いているのは詩なんだ、とあらためて自覚したらしい。
 恐るべし、マーサ・ナカムラ。この先、どうなっていくのか見守りたい。

お勧め本:
『文学ムック ことばと Vol.1』(書肆侃侃房 所収マーサ・ナカムラ「帝都の墓/阿弥家の墓参り」)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。