沖縄の生命力あふれる傑作
又吉栄喜(またよし・えいき)著/第114回芥川賞受賞作(1995年下半期)
ほとんどの選考委員が絶賛
第114回から新しい選考委員3名が加わった。池澤夏樹と石原慎太郎と宮本輝だ。それぞれ独自の文学観をもつ3名の選考委員が、どのような作品をどのように評価し、また評価しないのか、選評を読むのが楽しみだ。
その第114回の芥川賞を受賞したのは、当時48歳だった又吉栄喜の「豚の報い」。『文学界』(1995年11月号)に掲載された約162枚の作品である。又吉は沖縄県生まれ。浦添市役所に勤務しながら創作を続け、1976年に「第4回琉球新報短編小説賞」を受賞。1980年に「第4回すばる文学賞」を受賞し、それから15年後に芥川賞を受賞。コツコツと書き続けた結果としての栄冠だった。
「豚の報い」の舞台は沖縄だ。スタックのママとそこで働く従業員の女性2人と主人公の大学生・正吉の物語。ある日、営業中のスナック店内に豚が乱入し、店内は大騒ぎ。その厄落としをするために、4人は離れ小島にある御嶽(神を祀る沖縄の聖所)に行くこととなったが、正吉の目的はもうひとつ。長年、その島で風葬に晒されてきた父の遺骨を拾い、共同墓に納骨することだった。ところが島への旅は、まるで厄の連続のような波乱含み。宿の女将が宴会の後に屋根から滑り落ち、正吉は女将を背負って島の診療所へ歩く。お詫びに豚の料理が宿から提供された。しかし、それがお腹に当たったようで女性3人は激しい嘔吐と下痢に苦しめられ、正吉が彼女たちの世話をする羽目となる。散々な旅のなかで、目的の御嶽参りは見送られるかと思われた——。
芥川賞選考会では、賛否両論が入り乱れることも多々あるようだが、この回はほとんどの選考委員が絶賛する側だった。しかも、評価のポイントもほぼ同じ。すなわち、これまでの沖縄文学と言えば政治的なテーマが強い作風が多かったのだが、「豚の報い」はそこを離れて沖縄という独自の文化と風土と人を描き切ったことへの賞賛があふれていた。
まず宮本輝はこう述べている(『文藝春秋』1996年3月号の「芥川賞選評」から)。
沖縄という固有の風土で生きる庶民の息づかいや生命力を、ときに微細に、ときに野太く描きあげた。読み終えて、私はなぜか一種の希望のようなものを感じた。負のカードばかり押しつけられてきた南の島で、屈しない人間の力が、静かに、遠慮深く、しかし自分らしくのびやかに動きだしたかと思えたのである
余談だが、宮本輝の選評は、その作品と同じように実に読みやすい。私の読解力のなさゆえだろ、選評のなかには何度読み返しても文意をつかみかねる分かりづらいものもあるのだが、宮本輝の文体は、力まずとも自然と喉に流れ落ちる水のような柔らかさと余韻がある。
厳しい評価をすることの多い石原慎太郎もこう評す。
沖縄の政治性を離れ文化としての沖縄の原点を踏まえて、小さくとも確固とした沖縄という一つの宇宙の存在を感じさせる作品である。主題が現代の出来事でありながら時間を逸脱した眩暈のようなものを感じるのは、いわば異質なる本質に触れさせられたからであって、風土の個性を負うた小説の成功の証しといえる
御嶽の扱いで意見が分かれる
滲み出てくる庶民の息づかいや生命力は、どういうところから伝わってくるかというと、それは会話だ。それぞれの登場人物が辛く悲しい過去を抱え込みながらも、そこで交わされる会話には、健気に生きる庶民の強さと大らかさと笑いがある。神妙な世界であるはずの御嶽さえも、彼女たちの手にかかると日常の延長線上にあるものとなる。
池澤夏樹はこう評す。
これはまずもって力に満ちた作品である。登場人物の一人一人が元気で、会話がはずみ、ストーリーの展開にも勢いがある。ユーモラスである点も大事で、このように哄笑を誘う文学は日本には珍しい。それがそのまま沖縄という地の力であり、元気であり、勢いとユーモアなのだろう
評価しなかった選考委員は少数だったが、いずれも作品のある点について疑問を投げかけている。すなわち、沖縄特有の信仰である御嶽の扱い方についてだ。正吉が参拝したのは、御嶽として定められている聖所ではなく、風葬によって白く神々しくなった父の骨がある場所だった。亡き父が大海原を長年見続けてきたその場所を〝御嶽〟とし、そこに女性3人を連れて行くことにしたのだ。
作品のなかでは重要な意味を含むシーンなのだが、これについて、田久保英夫はこう異議を唱えている。
御嶽信仰は沖縄諸島で何百年も時代をつみ重ねたもので、そのための神女の存在も祭儀の伝統もあるはずなのだが、ラストで主人公が父の遺骨を前にして、ここに自分の御嶽を造ろう、ときめるのは、無理に思えた
逆に、日野啓三はそこを評価している。
この作品を書いた作者のモチーフの核は、若い主人公のその反伝統的な精神のドラマだと思う。この作品は漠然と沖縄的なのではない。新しい沖縄の小説である。単に土着的ではない。自己革新の魂のヴェクトルを秘めた小説である
作者が狙った核心部分については賛否が分かれたが、物語全体にあふれるエネルギーについてはだれも異論がなかったわけで、沖縄という独自の立ち位置と、そこを掘り下げ表現する術をもつ作者の強みが、賞を手繰り寄せたといえるだろう。
「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』 第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』