書評『「価値創造」の道』――中国に広がる「池田思想」研究

ライター
本房 歩

44カ所になった「池田大作研究」機関

 本年2022年は、日中国交正常化から50周年を迎える。半世紀前、まだ文化大革命の渦中にあった中国は、今や世界第2の経済大国に発展した。
 言うまでもなく中国は日本にとって、歴史的にも文化的にももっとも長く深い関係にある。今日も、経済的には最重要と言っていい関係だ。
 一方で政治体制や安全保障の枠組みの違いから、両国間には常にデリケートな緊張が続く。報道を通して私たちが触れる「中国」は往々にして、価値観の異なる理解しづらい巨大な隣人の姿になりがちだ。
 21世紀に入って中国では「池田思想」研究が広がっている。池田大作・創価学会名誉会長の思想についての研究だ。この事実を多くの日本人は知らない。
 2001年12月、中国・最高峰の北京大学に「池田大作研究会」が設立されたのを皮切りに、本書が刊行された2021年9月時点で44の名門大学・学術機関に研究拠点が設置されている。
 日中関係が国交正常化当初の友好ムードから遠のいた時期にもかかわらず、日本人の、しかも存命中の宗教指導者の「思想」を、これほど多くの大学が研究する。その研究熱は年々に拡大している。
 池田名誉会長に対して中国の大学・学術機関が授与した名誉学術称号は127におよぶ(本書刊行時点)。そこには北京大学、清華大学、復旦大学、武漢大学、香港大学、上海交通大学、浙江大学、香港中文大学など、アジアの最高位にランクインする大学の名前が並んでいる。
 世界の大国として発展する中国の学術機関が、なぜこれほど「池田思想」への関心を深めるのか。
 本書は、30年あまり日本で暮らし両国間を行き来してきた在日中国人学者が、自身の個人史を踏まえつつ、中国が「池田思想」に注目しそれを必要とする背景と、その研究の歩みを明らかにしようとしたものだ。

人生を変えた池田会長の言葉

 著者の汪鴻祥(おう・こうしょう)氏は1953年上海に生まれ「比較的恵まれた環境」で育った。ところが13歳になった66年に文化大革命が起きる。学業はままならず、「知識人青年は農村へ」という下放政策によって16歳で江西省の貧しい農村での生活を強いられた。
 72年9月、農村のラジオで日中国交正常化を知った。20歳になって上海に戻り、復旦大学に入学する。大学2年のある日、図書館で『人民日報』1面に周恩来総理と池田会長(当時)の会見が報じられているのを目にした。
 あの周総理がわざわざ会見したこの日本人は誰なのだろう。そこから汪氏は資料を掘り起こし、池田会長の日中国交正常化提言(1968年)が両国関係を動かす大きな契機となり、周総理が会長に深い信頼を寄せていた事実を知る。
 復旦大学の修士課程に進んだ汪氏は、日本の歴史文化や政治経済を学んだ。亡き周総理の悲願であった日中平和友好条約が締結された1978年、第4次訪中の途にあった池田会長が復旦大学を訪問。このとき、図書を贈呈した池田会長に学生代表として謝辞を述べることになったのが汪氏だった。
 式典後の交流会で、池田会長は汪氏に歩み寄り「学食は美味しいですか?」と声をかけた。

国賓ともいうべき立場の方が学食を話題にされ、私のような一学生にまで心を配ってくださったことに驚いた。この時、私は遠い存在と思っていた池田先生や日本を身近に感じることができた。(本書)

 この会長のひとことが汪氏に日本への留学を決意させる。84年、すでに復旦大学の助教になっていた汪氏は、復旦大学と創価大学の学術交流協定に基づく交換教員の第1号として来日し、1年あまり創価大学に滞在することになった。
 この時期、汪氏はトインビー対談をはじめとする池田名誉会長の著作を次々に読み込んでいく。

当時、私にとっての「池田思想」とは、「価値創造」だった。それは、蘇歩青(そ・ふせい)復旦大学名誉学長が創価大学を訪れた際に語った「創価大学という名称には『人類のために価値を創造する』という意味が含まれている」との言葉が脳裏にあったからである。(本書)

 帰国後、復旦大学で教職に就いた汪氏は、「池田思想」に関する講座も担当している。89年に東京大学法学部客員研究員、90年からは横浜市立大学客員研究員として着任。日本大学や慶應義塾大学などの非常勤講師を経て、98年からは創価大学の非常勤講師をつとめた。
 2005年に創価大学教授となってワールドランゲージセンターに所属。2019年3月に定年退職したのち、現在は客員教授をつとめている。

中国はなぜ「池田思想」を求めるか

 汪氏は、いわば中国における「池田思想」研究の先駆けのひとり。そして、氏が創価大学で教職に就いた1998年からの20年余は、前述したように中国の名門大学で「池田思想」研究が次々に立ち上がってきた時期でもある。
 中国での第1回池田大作思想国際学術シンポジウムは、2005年秋に北京大学で開催された。以来、ほぼ毎年、中国の名門大学を会場に同シンポジウムは回を重ね、そのたびに参加する大学や研究機関、寄せられる論文数は拡大していった。
 汪氏自身も研究者として多くの論文を提出し、また創価大学と中国の各大学の学術交流にも通訳として同行してきた。
 その意味では、中国における「池田思想」研究の発展を多面的につぶさに見続けてきた歴史の証人でもある。
 本書では、毎回の中国でのシンポジウムの内容をはじめ、各大学の「池田大作研究所」がどのような教授陣によってつくられ、いかなる研究成果をあげているかも詳細に綴られている。
 また、池田名誉会長の10回におよぶ訪中について、要人との会見、大学との交流などがどのようにおこなわれ、その1回1回がどのような意義をもっていたのかについても論じている。
 中国の国家体制にとって宗教はナーバスな存在だ。中国の指導部は、創価学会が宗教団体であり「池田思想」が仏教を基盤としたものであることも重々に承知している。
 人類史にかつてなかった規模とスピードで経済発展し自信を深める中国で、名門大学がなぜ次々に「池田思想」研究をするのか。中国の「池田思想」研究がすでに新しい世代に受け継がれはじめていることも本書は記述している。
 14億の人口を抱え、急速な発展を遂げて世界の大国となった中国にとって、古来、倫理規範とされてきた「中庸」の伝統が今ほど必要とされている時代もないと汪氏はいう。
 2011年、毛沢東の肖像画が掲げられた天安門のすぐ近くに巨大な孔子像が建立されたことは、「徳治」を重視するメッセージかもしれない、と。

中国にとって喫緊の課題は、不均衡な社会を是正することによって理想の文明国家を建設し、民主政治、市場経済、公平社会、多元文化などの目標を実現することではないだろうか。
実は、ここに人間主義理念や調和理念を含む「池田思想」が中国で求められている理由があると、私は考える。(本書)

 日中の大学で40年以上にわたって教壇に立ってきた汪氏は、学生たちの若いパワーに感心し期待する。若者には未来があり希望があると綴る。
 「日中友好」という言葉は、軽々しい甘美なものではない。それは、その最大の功労者である周恩来総理や池田名誉会長がどれほどの辛労と信義を尽くしてきたかを振り返れば明らかだろう。
 中国の名門学府とそこに学ぶ若い世代が今、「池田思想」を真剣に探究している。さて、日本の側はどうなのか。そう考えさせられる貴重な一書だった。

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