DiY=Do it Yourselfというと、すぐに思い浮かぶのは大工仕事ではないか。日曜のパパが普段は持ちなれない工具を手にして、危なっかしい手付きで棚を懸けたり、椅子を作ったり。しかし、ここでいうDiYは少し違う。
七〇年代のパンクロックにはじまり、八〇年代のレイヴ文化で育まれ、九〇年代のインターネット文化や環境運動、新しい文化=政治運動とともに世界中に広がっている思想です
世界は悪くなっている。人間の管理が強化されている。僕らは生きているというよりも、生かされている。そこで、
なんとかして、じぶんの生活を自分の手に取り返したい!
ざっくりいうと、DiYはそういうことらしい。
例えば音楽。僕らは自分の気に入った音楽を聴いているようだが、実は、その音楽は大手の会社が作った音楽の中から、選択させられている。ファッションも同じだ。自分の気に入った服を着ているようだが、実は、有名なデザイナーが作った服の中から、選択させられている。
それは本当に聴きたい音楽なのか? 本当に着たい服なのか? 聴きたい、着たいと思わされているのではないか? 高度な資本主義の支配下にあって、無意識のうちに操作されているのではないか?
いま僕らが聴いている音楽より、着ている服より、もっといい音楽やファッションがあるのではないか? それがないなら、自分で作ることはできないのか?――これがDiYの思想の始まりだという。
目の前にある世界を当たり前として捉えるのではなく、疑ってみること。
じぶん自身のための、より楽しい、もうひとつの世界を想像してみること
著者の見立てによると、DiYはパンクロックから始まった。当時、ロックの時代は終わりかけていた。聴き手も飽和状態だった。そこへ現れたのがパンクロックで、彼らは、ロックは聴くものではなく、やるものだと主張して、自分たちの手で新しいロックを作った。
しかし、彼らの「粗悪」な音楽は商品と見なされず、大手のレコード会社に受け入れられなかった。そこでパンクの若者たちは、レコード会社をDiYし、録音、プレス、流通まで手がけた。インディーズだ。
このような小さなレーベルは、小さなレコード店から広がっていった。つまり、
それまでの経済のなかでは、消費のために作られた場がいつのまにか、生産の場になって、生産と消費の関係を変えてしまったのがパンクだった
パンクのこのようなやり方は、音楽のジャンルを超えて、ファッションへ、ものの考えへ、ライフスタイル全般へと浸透した。
パンク以降のDiYの流れの中でおもしろいのは、自前でメディアを作ってしまうことだ。例えば『アドバスターズ』という雑誌。広告の並ぶ普通の雑誌に見えるが、「巧妙に変更されたコピーやメッセージ、イメージなどをよく見ると、それが厳しい社会や政治に対する批判、とりわけ企業文化に対する批判を含んでいる」「それは、広告文化に搾取されてしまった私たちの文化を取り戻す試み」である。
『アドバスターズ』のようなやり方を「カルチャージャミング」という。本来、ジャミングは、公共ラジオを妨害したり、海賊ラジオを作ったりすること。DiYの戦略の特徴は、メインストリームの文化を流用する点にある。
ほかにも、ファッションではTシャツをカスタマイズする、アートではバンクシーのようにストリートに出てグラフィティーを描くなど、さまざまな方法でDiYは実践されている。それによって、資本主義から逸れた新しいエコノミーが生まれつつあるのではないかと著者はいう。
DiY的なエコノミーの実践は、金銭的な利益を最大化しようとする狭義の「経済」とまったく別の経済の原理を導入しようとしています。それは根源的なひとびとの欲望や、情動に突き動かされたエコノミーなのです
また、著者は、DiYの政治についても言及する。
それは、自律した政治のあり方であり、国家制度の内側に勝手に国家制度に属さない政治をじぶんたちの手で作っていこうというユートピア的な試みとでもいえるでしょう
例として挙げられるのは、反PSE運動(中古家電の品質を保証するために「PSE」マークをつけなければいけないという電気用品安全法が20001年に成立)。「PSE」マークの発行は製造業者と輸入業者に限られ、販売業者に資格が与えられなかったため、リサイクルショップ、中古楽器店などが反対運動を起こした。
運動には坂本龍一など著名なミュージシャンが加わり、デモや署名運動が全国的に広がって、政府は「PSE」マークのない中古家電の販売を認めた。
こうしてDiYの文化・政治を見ていくと、新しいアナキズムという気がする。人間はあまりに高度な管理を受けると、息苦しくなるものだ。DiYの思想と実践は、そこに隙間を作るものといえるかもしれない。
お勧めの本:
『はじめてのDiY 何でもお金で買えると思うなよ!』(毛利嘉孝著/スペースシャワーネットワーク)