わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス 第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)

山形大学准教授
池田弘乃

前編では、たくやさんがGID(「性同一性障害(Gender Identity Disorder)の略語)の言葉を知る前の、自分らしさを封印して生きていた時期を紹介した。

GIDという言葉

 たくやさんがGIDの言葉に「出会った」のは何気なく開いた週刊誌の記事だった。それ以前から「ニューハーフ」についての記事、ニュース、テレビ番組は目にしていたが、自分とは関係ないものと感じていた。「ニューハーフ」のいわば「逆」にあたるのが自分かもしれないという発想は微塵も浮かんだことがなかった。
 GIDという言葉を手にしてたくやさんの気持ちは一気にすっきりとした。早速、自分がGIDに違いないと母親にカミングアウトする。しかし、母の返事は「あなたのことを娘として産んだ」というそっけないものだった。たくやさんが密かに期待していたのは、「そういう風に産んで悪かったね。一緒にがんばっていこうね」というセリフだったのだが、母からは「あなたが男として生きたいのであれば、男として通用する実績を自分でつくっていきなさい。自分の責任で」と突き放すような言葉がかえってきた。期待に反する母の反応に落胆したたくやさんだったが、しだいに母はあの時「茨の道を進むのなら行きなさい。強くなりなさい」と言いたかったのかなと思うようになる。母親自身も、たくやさんのカミングアウトを受け、我が子について、そして我が子との関係のあり方について悩みはじめ、葛藤し始めていく。たくやさんの前ではGIDについて「私はわからない」と繰り返す母だったが、実はしだいにGIDに関する情報を調べたり、ニュースを見たりするようになっていったそうだ。
 その後、たくやさんは、GIDについて診療を受け付けていたZ大学病院に通い始める。GIDの診断を得る過程では、母も病院での面談にきてくれた。それでも、たくやさんが当時付き合い始めていた彼女(しずかさん)を家に連れてくると拒否感を示した。
 ここで、たくやさんのパートナーであるしずかさんにもご登場願おう。しずかさんは、シスジェンダー女性ある。女子高に通っていたしずかさんの周りには、今から思うと「トランス男性だったのかもしれないな」という先輩がいた。そのような環境で学校生活を送る中でGIDという言葉やトランスジェンダーに関する知識も自ずと知っていったそうだ。実は、ある知人のトランス男性から近くに別のトランス男性がいるということで紹介を受けたのがたくやさんと知り合うきっかけだった。身近なことを相談しているうちに、親身に自分のことを考えてくれるたくやさんにしずかさんは心引かれていくようになり、2人は付き合いはじめる。
 しずかさんは小さいころ、自分が住む地域の学校で養護学級(現在は、特別支援学級)によく出入りしていた。様々な障害を生きる同世代の子どもたちと交流しながら育ってきた。また、しずかさんに話をうかがう中で、しずかさんの祖父が炭坑で働いていて、朝鮮半島出身の労働者の方々とも交流を持っていたことも聞くことができた。祖父は、その労働者たちを家に招いて食事をすることもよくあったそうだ。
 後年、しずかさんがたくやさんを自分の両親に会わせたときのこと。まだ性別移行を始めて間もないたくやさんの外見は「ボーイッシュな女性」という感じだったが、しずかさんの両親はたくやさんを歓迎してくれた。両親の中に「しずかにはじいちゃんの生き方・姿勢がいつの間にか受け継がれていたんだな」という思いがあったようだ。
 実は、たくやさんが性別適合手術を受けると伝えたときも、しずかさんの両親は「いいじゃないか、たくやくん、そのままで」と止めようとしたという。たくやさんが「いえ、そうおっしゃっても、身体を変えないと、しずかさんと結婚できないんです」と自身の決意を伝えると、しずかさんの両親は「結婚より、たくやくんの身体の方が大事だ」となおも止めようとしたという。彼らは最後にはたくやさんの決意を受け止め、手術を見守ってくれるようになったが、ここでの「反対」は、たくやさんを親身に心配すればこそのものだっただろう。だからこそ最後は自律した個人としてのたくやさんの意思決定を温かく支えてくれるようになった。
 先に触れた「身体を変えないと、結婚できない」というセリフについて少し説明しよう。日本では、2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(平成15年法律111号)という法律が制定され、一定の条件を満たせば、自身の法律上の性別を変更することができるようになった[※1](施行は2004年7月16日から)。この法律(以下、本稿では特例法という)では、医師によって「性同一性障害」であるとの診断を得た者は、以下の1号から5号の条件を全て満たせば法律上の性別を変更することができるとされている(同法3条1項)。

1 二十歳以上であること[※2]
2 現に婚姻をしていないこと。
3 現に未成年の子がいないこと[※3]
4 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
5 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
(※編集部注:法律の条文の漢数字は算用数字で表示)

 特に2号~5号は、当事者に非常に高いハードルを課すものとなっていることに注意しよう。2号については、婚姻した状態で一方の当事者が性別を変更すると、同性間での婚姻状態が生じることになり、同性婚を認めていない日本の現状と齟齬をきたすため、設けられた条項である。
 4号、5号にも大きな問題がある。当事者の中には自分のアイデンティティに則った性別で生きていこうとするとき、外性器を形成したい者、元の性別での生殖腺(卵巣や精巣等)を除去したいという者もいれば、そこまでは望まないという者もいる。望んでいても健康上の理由等で手術を受けることは難しいということもある。しかし、特例法は一律に上記の条件を全てクリアすることを求めている。これは、すべての「個人」を尊重(日本国憲法13条)することになっているといえるだろうか。大いに疑問があるが、この点はまた後程触れることにしよう。

※1…実際には「続柄」欄を変更するということになる。例えば「長女を長男に」、「次男を二女に」といった形である(他にきょうだいがいてもその続柄表記には影響はない)。
※2…2022年4月から民事上の成年年齢が18歳になるのに伴い、本号も「十八歳以上」となる。
※3…制定当時は「現に子がいないこと」だったが、2008年の法改正で、現在の条文へと要件が緩和された。

性別移行とカミングアウト

 たくやさんがやっぱり男として生きていこうと「性別の移行」を決意したとき、今までのたくやさんを知っている人のいない別の街に引っ越して、そこから新たなスタートを切るという選択肢もあった。しかし、たくやさんは母や親族を養っていきたいという強い意志を持っていた。しずかさんのことを母にも理解してもらって、一緒に暮らしていく道を切り開こうと決意するまで時間はかからなかった。
 たくやさんにとっては、「自分らしさ」を獲得することと「家族を守る」ということが同時進行での目標となっていく。

この記事はここからは非公開です。続きは、書籍『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』をご覧ください。

 

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シリーズ:「わたしたちはここにいる:LGBTのコモン・センス」(一部公開)
第1回 相方と仲間:パートナーとコミュニティ
第2回 好きな女性と暮らすこと:ウーマン・リブ、ウーマン・ラブ
第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)
第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)
第5回 社会の障壁を超える旅:ゆっくり急ぐ
第6回(最終回) 【特別対談】すべての人が自分らしく生きられる社会に

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いけだ・ひろの●1977年東京生まれ、山形大学人文社会科学部准教授。専攻は、法哲学、ジェンダー・セクシュアリティと法。編著に、綾部六郎・池田弘乃編『クィアと法:性規範の解放/開放のために』(日本評論社、2019年)、 谷口洋幸・綾部六郎・池田弘乃編『セクシュアリティと法: 身体・社会・言説との交錯』(法律文化社、2017年)。論考に、「「正義などない? それでも権利のため闘い続けるんだ」――性的マイノリティとホーム」(志田陽子他編『映画で学ぶ憲法Ⅱ』、法律文化社、2021年)、「一人前の市民とは誰か?:クィアに考えるために」(『法学セミナー』62巻10号64-67頁、2017年)などがある。