西洋に影響を与えた日本の美
幕末から明治初期の頃、ヨーロッパで「ジャポニズム」が開花したことは広く知られている。1867年のパリ万博を契機に、ヨーロッパの人々は日本の美意識に出あい、それは瞬く間に芸術家たちから庶民のあいだにまで熱狂的に歓迎された。
本書のなかでも触れられているが、背景のひとつに「写真」の普及があった。何かを記録するだけなら、絵画より写真のほうが精巧だ。絵画には写真とは異なる新しい価値が求められていた。
そこに、「浮世絵」がもたらされる。それは、画題はもちろん、遠近法や陰影のつけ方など、ルネサンス以来の伝統的な西洋絵画とはまったく異なる美の表現をもっていた。
エドガー・ドガ、クロード・モネなど印象派の画家たちをはじめ、浮世絵に大きな影響を受けた芸術家は枚挙にいとまがない。モネは自邸の庭に睡蓮の池をつくり、そこに日本風の太鼓橋を架けた。モネを敬愛していたファン・ゴッホは浮世絵のコレクターであり、彼の部屋は浮世絵で埋め尽くされていたと伝えられている。
2020年に日本の新しいパスポートの査証欄に採用されたのは、葛飾北斎の〈富嶽三十六景・神奈川沖浪裏〉。ただし、北斎も日本で評価が定まるより早く、19世紀後半に彼の名はヨーロッパで広く知られていた。
さらに日本の文様や工芸品への関心が高まると、1900年前後に「アール・ヌーヴォー」と呼ばれる装飾運動が誕生する。
浮世絵や絵手本などに描かれた草花や昆虫など動植物は、食器のデザインなどにも採り入れられ、芸術作品とは縁遠かった庶民にも広く愛された。
一方、日本人が忘れ去っていた巨匠の価値を見いだしたのも西洋だった。米国の実業家フリーアは、明治時代に何度か来日して本阿弥光悦や俵屋宗達の作と伝えられる作品を蒐集している。ワシントンD.C.のフリーア美術館など東海岸の著名な美術館には、国宝級の日本美術が収蔵されている。
語られてこなかった法華衆の芸術
興味深いことに、西洋の美意識に決定的な影響を与えた日本の絵師や職人には、なぜか日蓮を信奉していた者が多い。彼ら日蓮信徒は「法華衆」とも称されていた。
そこには本阿弥光悦、俵屋宗達、長谷川等伯、狩野永徳、狩野探幽、尾形光琳、尾形乾山、葛飾北斎、歌川国芳、樂家の歴代など、近世日本美術史上の巨匠たちの名がズラリと並ぶ。
本書は、こうした「法華衆」の著名な絵師や職人をとりあげ、その造形のありようと信仰の関係を探ろうとする意欲作である。
名前を見ればわかるように、彼らを抜きにして近世日本の芸術文化を語ることなど、とてもできない。大陸文化の影響を強く受けて育まれた日本の芸術文化の流れのなかで、本当の意味で誰の目にも明らかな〝日本的なもの〟は、彼らによって生み出されている。
その巨匠たちの多くが、そろって日蓮の教えを奉ずる「法華衆」だった。
このことは、もちろん歴史学や宗教学の分野では以前から知られていたものの、美術史のなかではほとんど言及されずにきた。
その理由として、まず「法華衆の芸術」が宗教的な題材をほとんど扱っていないことが挙げられる。長谷川等伯の〈松林図屏風〉を見ても、尾形光琳の〈燕子花図屏風〉を見ても、それこそ葛飾北斎の〈神奈川沖浪裏〉を見ても、誰も宗教的なものを感じないだろう。
不思議なことに、法華衆の絵師たちはそれぞれに日蓮への信仰をもちながら、それこそ人によっては宗教的ネットワークのなかで仕事をしながら、しかし作品に特定の宗派性を出さないのだ。
これまで言及されにくかった理由のもうひとつは、美術史学が扱うのは作品の造詣的な領域のみであり、背後にある思想や信仰は思想史や宗教史といった別の学問の領域だと考えられてきたという、学術側の事情がある。
また、宗教的な美術が多かった古代や中世はともかく、近世以降は法華衆に象徴されるように世俗的な題材が多くなり、作者の信仰にまで関心が払われることはほとんどなかったのだ。
現実と格闘する思想
その意味でこの『法華衆の芸術』は、日本美術史に対して法華信仰(日蓮信仰)という新しい視点で迫る、おそらく初めての書籍となった。
著者の高橋伸城は、創価大学を卒業したあと英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後は立命館大学大学院博士課程で本阿弥光悦の造詣と信仰のかかわりについて研究した。
本阿弥光悦は17世紀初頭の京都・法華衆の中心的存在であり、書画、陶芸、刀剣、工芸、作庭、茶など、幅広い領域で活躍している。のちに「琳派」と呼ばれる美意識の系譜も、この光悦を出発点としている。
その本阿弥光悦の業績を信仰という視点を踏まえて研究してきた著者だからこそ、本書は成立したといえるだろう。
前述したように、法華衆の芸術は特定の作風や美学を規定しない。残されている作品は天下人の威厳を演出した障壁画からデザイン性に富む屏風や硯箱、庶民に人気を博した浮世絵まで幅広く、表現もじつに多様性に富んでいる。だからこそ、時代を超え、国境を超え、信仰さえ超えて常に〝再発見〟され、豊かな創造への触発を与えてきた。
そこには、常に目の前の現実と格闘し、あらゆる存在に尊厳を見いだし、現実の人生と社会に価値を創造することを志向した日蓮仏法の特質が大きく影響していることが、本書を通して明らかになっていく。
信仰という自身の内面について、法華衆の絵師や職人たちは、ほとんど黙して語らなかった。その内面にどのように迫るのか。著者は「十分に中性的な言語」と「開かれた言葉」を用いることを一貫して心がけたと記している。
本書は、読む者を飽きさせない著者の柔らかな筆致に加え、全編にわたって語句の解説や参考文献の出典など細かい注釈が添えられている。専門家はもちろん学生や一般の美術ファン、美術にあまりなじみのなかった人にも読みやすい。
また、日本を代表する現代美術家のひとり宮島達男氏との対談や、東京大学名誉教授で美術史学の権威でもある河野元昭氏(静嘉堂文庫美術館館長)へのインタビューも収録。46点ものカラー図版と法華衆関連年表も掲載されている。
かつて鈴木大拙が世界に広めたものとはまた異なる日本の仏教美術が存在することに、国内外の多くの読者が気づくにちがいない。
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