連載エッセー「本の楽園」 第124回 あなたのイドコロ

作家
村上政彦

 居場所がない。家庭、職場、学校など、どこにいても落ち着かない。心の安らぐところがない――そういう人が増えている気がする。新型コロナウイルスのせいばかりではない。居場所がない感じは、それまでからもあった。
『イドコロをつくる』の著者は、「自分が居心地よく精神を回復させる場」をイドコロと呼んでいる。イドコロは僕が考える居場所に近い。そこにいれば、鎧をすべて脱ぎ捨てて無防備でいることができる。身体の疲れを癒せて、心の凝りもほぐれる。充電できる。
 著者によれば、近代的な都市化が進んで「井戸端」のような小さな広場が少なくなってくると、人が淀みをつくるイドコロがなくなって、人間は孤立してしまい、他者の助けを得ることができれば、簡単に解決できたことがとても難しくなる。
 そこで「地味でもいいので力を貯めるためのイドコロが必要」なのだが、古来の都市のような物理的な広場をつくるのは大変なので、『小さな「広場」たるイドコロ』をつくりたい、という。

本書では、イドコロを個人のための最小単位の広場として定義する。そこにいることで精神的に回復し、思考に活力が生まれ、風通しがよくなることがイドコロの条件だ

この本は(中略)くつろげる時間をつくり、元気に正気を保てる環境づくりについての実践と考察をまとめたものである

 著者は、このようなイドコロを「自然系イドコロ」と「獲得系イドコロ」に分類する。
 自然系イドコロは、①生活を共同する集まり(≒家族のその他)、②(親しい)友人、③仕事仲間など。
 獲得系イドコロは、①強い趣味の集まり、②公共空間の気に入った場所、③日頃通える小さいお店、④有志でつくるオープンな空間、⑤文明から離れて一人になれる空間。
 具体的には、シェアハウス、マニアなサークル、コンビニ、街の純喫茶やスナック、公園、独りの散歩コースなど。イドコロでは、人と会話することが重要な営みのひとつとなる。今日は誰とも話していないなとおもったら、イドコロで“発話”する。それだけで心に風が通る。
 逆に、いまの都市は人間が密集しているので、ときには独りになれる場所や習慣を持っておくのもイドコロ作りの秘訣だ。モンゴルの首都に暮らす著者の友人は、ストレスが溜まると、車で郊外の誰もいない草原へゆき、車の上に寝転んで空を見て過ごすのだという。
 イドコロはひとつではなく、複数あることが望ましいのだ。

実践的には多種多様なイドコロが必要な場面でちゃんと働くようにしておくことが大事なのである

 イドコロはコミュニティではない。

たまたま居合わせた人が適当な範囲で交流することが正気を保ち、元気でいることにつながる。そういう人が居合わせる淀みが、アクセスしやすいところに複数あるのが暮らしやすい世の中である

 著者は5~10個のイドコロがあればいいという。ちなみに日常にあるイドコロの見つけ方を列挙しているので、それを紹介しよう。

・近所を歩きまわって、通いたくなる公園を見つける
・読書によいベンチを探す
・仕事ができるテーブルのある公園を探す
・銭湯を検索し、気に入ったところに通う
・お城、小山の頂上が近所にあるところに住む
・バーや寿司屋、居酒屋やカフェ、純喫茶などゆっくりできるお店を近所に探す
・地域猫の世話係になる
・気に入った散歩コースをつくる
・混んでいない屋上庭園を見つける
・昆虫採集のスポットを見つける
・無名の絶景スポットを探す
・公園将棋をする
・縁側をつくる
・庭が広ければ小屋を建てる

 どうだろう? あなたのイドコロは見つかりそうだろうか。

お勧めの本:
『イドコロをつくる:乱世で正気を失わないための暮らし方』(伊藤洋志/東京書籍)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。