世界宗教化する創価学会(上)――〝魂の独立〟から30年

ライター
青山樹人

永遠に「御書根本」で進む

 日蓮大聖人の生誕から800年、牧口常三郎初代会長の生誕150周年、戸田城聖第2代会長の就任70周年の佳節を刻んだ2021年。創価学会は創立記念日にあたる11月18日に『日蓮大聖人御書全集 新版』を発刊した。
 御書とは日蓮大聖人が遺した論文や書簡など膨大な遺文のこと。
 創価学会による最初の『日蓮大聖人御書全集』の刊行は、立宗700年にあたる1952年4月28日におこなわれている。今回の新版は、その後に発見・公開された御書32編を新たに収録。文字を大きくして改行や句読点を増やし、現代仮名遣いを用いた。
 監修にあたった池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長は「序文」を寄せ、その冒頭に、

我ら創価学会は、永遠に「御書根本」の大道を歩む。

と記している。
 1930年に創立され、戦時下で軍部政府の弾圧によって一旦は壊滅状態となった創価学会が、今日これほど世界的な発展を遂げたこと。その大きな原動力が「御書根本」という精神だった。
 在家の民衆自身が宗教哲理の全貌を学び、血肉とし、それを生活と人生の格闘のなかで実践する。深く広々とした社会観、世界観を養っていく。
 学会は広宣流布をめざす在家の責任として宗門(大石寺を総本山とする日蓮正宗)の外護につとめてきたが、創立当初から勤行も教学研鑽も布教も、出家に依存することなく自立的におこなってきた。
 1952年の御書全集の発刊も創価学会の手でなされたのであって、日蓮正宗は戦時中に供出した本山の梵鐘の再建を理由に協力を拒んだ。立宗700年という慶事を迎えながら、宗祖の精神の宣揚よりも本山の威容を優先したのだ。
 信教の自由と教団の独自性を担保するための宗教法人法ができたのが、奇しくも戸田会長就任の1カ月前(1951年4月3日)。創価学会は翌52年9月8日には独自の宗教法人として認証を受けている。
 創価学会が日本最大の教団となり、世界各国へも布教拡大してきたことで、学会に外護された日蓮正宗も大きく発展してくることができた。

学会の破壊をもくろんだ宗門

 だが創価学会が発展し、仏法を基盤として平和・文化・教育を柱に人類的課題に取り組んでいくにつれ、江戸時代の檀家制度的な思考回路から抜け出せない宗門は嫉妬と不満を募らせていく。
 1979年に先代の法主が急逝したあと自己申告で法主になった阿部日顕は、宗内にも極秘で数人の取り巻きたちと創価学会破壊の謀略を企てた。これは宗内から流出した高僧の議事録で一部始終が明らかとなっている。
 大石寺開創700年の1990年の年末になって、宗門は学会に「お尋ね」という文書を送付。出所不明の録音を根拠に池田SGI会長のスピーチ内容に重大な問題があると通告してきた。
 学会側が話し合いを求めても拒絶。宗制宗規の改正という手口で、12月27日に池田SGI会長を総講頭(全信徒の代表)から罷免した。SGI会長と会員の師弟関係を分断して学会を破壊し、宗門に従順に隷属する檀徒を20万人程度だけ獲得できれば宗門の経営は維持できるというのが当時の法主らのもくろみだった。
 このとき、宗門が学会を難詰したことのひとつは、学会がベートーベンの交響曲第九番「歓喜の歌」を演奏したことが〝外道礼賛〟にあたるというものだった。もちろんシラーの原詩はキリスト教の神を讃えたものではなく、宗門の無教養と人類共有の文化さえ敵視する極端な非寛容性を露呈した言いがかりにすぎない。
 学会側はあくまでも事実に即し、御書をふまえて、宗門の難詰の誤りをひとつひとつ問いただしていった。
 宗門側は答えに窮し、「法主は御本尊と不二の尊体」「法主は現代における大聖人様」等といった、それこそ御書のどこにもない珍説をかざして批判を封じ込めようとした。それは、もはや日蓮正宗が日蓮大聖人の仏法とは無縁の奇怪な宗教になり果てている証左となった。
 結局、世界の創価学会員が微動だにしないとわかると、1991年11月28日、宗門は「破門通告書」を送り付けた。あきれたことに、16ページにも及ぶ文面のなかに御書の一片もなかった。御書に照らして創価学会を破門できる理由など何ひとつないからだ。
 1カ月後の12月27日、全世界の創価学会員1624万9638人から、「阿部日顕法主退座要求書」が宗門に送られた。

創価学会の「世界宗教化」とは

 この時代錯誤の「破門」によって、日蓮正宗は全信徒の98%を失うことになる。
 対する創価学会は、日蓮正宗という旧態依然とした日本の葬式仏教から訣別できたことで、もはや偏狭な足かせから自由になった。
 折しも冷戦構造が終焉し、世界が新たな人類統合の原理を模索していた90年代。池田SGI会長は自在に世界をめぐり、会員を激励して青年を育てつつ、各国首脳や第一級の知性らと縦横の対話を広げ、ハーバードなど諸大学で講演を重ねた。
 会長は1980年代までにモスクワ大学など世界の6大学から名誉学術称号を受けていたが、90年代の10年間で65大学が新たに加わり、2001年には100番目の授章を迎えている。宗門の鉄鎖を解き放たれた創価学会が、どれほど世界の注目と信頼を集めるようになったかを物語る一旦だろう。
 さる2021年11月28日で「破門通告」から30年。
 日蓮正宗は衰退の一途をたどっており、学会が支えていた往時の繁栄など見る影もない。末寺の3割ほどは本山からの支援がなければ財政的に立ちゆかない。創価学会を破門したことに抗議して数十人の僧侶が離脱したほか、将来に希望を抱けず還俗する僧侶が今も相次ぐ。
 創価学会は当時の115カ国・地域から192カ国・地域に発展し、世界最大の在家仏教の運動として国連や諸宗教とも協力してさまざまな人類的課題に取り組んでいる。日本社会でも最大級の中間団体として、とくに東日本大震災の際などにその力がいかんなく発揮された。支持する公明党は20年にわたって連立与党として日本政治の安定に寄与してきた。
 いずれに正義があったか、もはや明らかだろう。
 日本発祥の教団が海外に広がっている例は、もちろん創価学会だけではない。
 ただし、ほぼすべては日系人コミュニティの内部に留まっている。禅宗などは日系人の外側にも広がっているように見えるが、その場合もごく一部のインテリ層や富裕層の知的関心をひいている程度を越えていない。
 創価学会の「世界宗教化」とは、単に会員が在住する国や人数が増えているという事象を言うのではなく、各国のローカルな社会のなかで〝生きた宗教〟として広がっていることを指している。
 創価学会は南米大陸最南端の町から北極圏の地域まで、大西洋に浮かぶ島々にも、ロシアなど旧東側諸国にも、東南アジア、アフリカにも、〝御書根本〟に〝その国、その地域の宗教〟として、そこに生きるローカルの人々のあいだに根を張っている。
 1960年代初頭に弘教がはじまった国では、すでに学会の信仰を受け継ぐ「学会3世」「学会4世」が活躍する時代を迎えている。
 冠婚葬祭の儀礼的な宗教ではなく、日々の生活と社会を向上させていく信仰として受容され、しかもそれぞれの社会から共感されているのだ。
 このようなかたちで全世界に広がっている仏教は創価学会だけだろう。

「世界宗教化する創価学会」:
世界宗教化する創価学会(上)――〝魂の独立〟から30年
世界宗教化する創価学会(下)――「体制内改革」のできる宗教

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あおやましげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書店)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書店)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。