カズオ・イシグロの名を知ったのは、もう30年近くも前になる。『日の名残り』という長篇小説が、イギリスのブッカー賞を受けて邦訳され、僕も手に取ってみた。ブッカー賞の受賞作ということより、日系イギリス人で、同世代の作家であることのほうに関心が向いた。
一読して、なかなかの書き手だと思った。人物造形がうまい。ストーリーテリングが巧みだ。主題よく吟味されていて興味深い。これは手強いライバルだな、と思っていたら、次々と発表して、2017年度のノーベル文学賞を受けてしまった。
あれ? ついこのあいだまでライバルだと思っていたのに、いつの間にかえらく差をつけられてしまった。人生は難しい。文学は、もっと難しい。悔しくないといったら噓になる(思い上がるな、といわれてもいいです)。
そこで瞑目し、エリアス・カネッティの伝記を思い起こした。60歳を迎えるころ、彼は、こう書いている。
わたしはある種の陶酔を覚えながら考える。ソポクレスのように90歳まで生きよう。そして来たるべき数年のうちに自分の本来の作品を書こう
カネッティが、彼を有名にした自伝三部作を発表したのは60代の後半からで、76歳でノーベル文学賞を受けている。それまでのエリアス・カネッティは、一部には評価されていたものの、ほとんど無名の作家だったのだ。
人生、諦めが肝心といったのは誰だったか? 諦めてはいけない。肝心なのは、諦めないことである。僕もソポクレスのように90歳まで生きよう。若いころには夭折の天才を夢見た。
しかしいまや62歳。もう、夭折は望めない。だったら、長寿の天才をめざそう。そんなことを考えているうちに、イシグロは「受賞代一作」を刊行した。『クララとお日さま』――児童文学か? いや、いや、読んでみたら、しっかりと文学だった。主人公のクララは、AIを搭載した人型ロボット。
うーん、そうきたか。イシグロは、主題も作風もめまぐるしく変えていく。今度はSF的な要素を盛り込んだのだ。臓器移植を主題にした『わたしを離さないで』もSF的だったが、AI搭載型の人型ロボットが語るとなれば、これは本格的なSFだ。
彼、彼女らは「AF(人工親友)」と呼ばれて、店に並んでいる。人の少年少女が親とやって来て、「パパ、あの、犬買って」の調子で購入されていく。このあたり、ペットショップでペットを選ぶのに似ている。
しかし、相手は犬や猫ではなく、高度なAIを搭載している。10代の少年少女たちの親友となる知能を備えているのだ。クララを気に入ったのは(クララの推定)14歳半の少女ジョジー。クララも彼女を気に入って、ほかの子供に買われるのを避ける。
そして、しばらくしてジョジーは母モリシーと一緒にクララを迎えに来た。
モリシーは夫と別れて、ひとりでジョジーを育てている。この小説の舞台は、近未来のイギリス周辺と設定されていて、夫はどうやらエリートコースを逸れ、危うい連中が近辺に入るコミュニティーで暮らしているらしい。
ジョジーの暮らす隣家には、(クララの推定)15歳の少年リックが、やはり、夫と別れた母ヘレンと2人で暮らしている。ジョジーとリックは互いに思い合っていて、将来は結婚も視野に入れているらしい。
この時代は、子供たちに向上処置と呼ばれる知能を発達させるための遺伝子操作がおこなわれていて、裕福な家庭の子供は受けられるが、貧しい家庭の子供は受けられないようだ。ジョジーは受けているが、リックは受けていない。
ただ、向上処置は、ときとして健康に影響を及ぼすらしく、ジョジーは病弱でついには瀕死の状態になる。このとき、太陽発電でエネルギーを得ているクララが考えたのは、「お日さま」に祈る(ロボットが祈る!)ことだった。
物語が進むにつれて、モリシーがなぜ娘にAFを与えたのかが明らかになる。彼女はジョジーの姉サラを喪っていて、ジョジーまでがそうなったら、もう、生きていけないと思っている。
それで肖像画を描いてもらうと称して、ジョジーの似姿を作っていた。そこへジョジーのすべてを学習したクララの中身を入れて、ジョジーが死んでも、AFとして残るように計画していたのだ。
いやー、まいった。このあたりまで読んで、イシグロのストーリーテリングのうまさに唸らされた。ところが、この先でまた物語は思わぬ展開を見せていく。彼は作家として成長している。負けられない。
『クララとお日さま』は、表題からは窺えない哲学的な深さも、もっている。
つまり、AⅠに心は宿るか? 人間の遺伝子操作はどこまで許されるのか? 何よりもAIと親子の愛情を掛け合わせることで、作品にリアリティーを与えている。これは、本作の最大の手柄だろう。
先が読みたい人は、ぜひ、手に取って欲しい。もっとも、僕に印税は入らないけど。
お勧めの本:
『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ/土屋政雄訳/早川書房)