連載エッセー「本の楽園」 第118回 文学とマーケティング

作家
村上政彦

 文学にマーケティングは必要か?
 まず、マーケティングとは何か?
 本書によれば、

マーケティング=稼ぐ力

である。さらに言い換えると、

マーケティングとは、需要に対して、供給すること。

 そして、マーケティングの目的は、

その集団、あるいは個々人の〝理想の状態〟を維持すること。

〝理想の状態〟とは、分かりやすくいえば「幸せ」のことだ。本書は、このマーケティングを1枚のシートで理解して極めるために書かれた。
 僕は、小説家だ。文学者である。資本主義社会は、すべての物を商品にしてしまうから、小説・文学もその範疇から逃れられない。しかし、いくらマーケティングをしても、いい小説が書けるとは限らない。もっといえば、売れる小説が生産できるとも限らない。
 ずいぶん前にある編集者が溜め息をつきながら、まったく売れないとおもっていた本が売れたことを例に挙げて、「何が売れるかは、まったく分からない」といっていた。これは30年以上、出版界を見てきた僕の実感でもある。
 売れる小説を書きたいとおもうが、売るために文学性を犠牲にするつもりはない。高い文学性を持った小説が結果として売れるのは、大いに喜ばしいことだが、世の中そう甘くはない。ごく稀な例を除いて、売れる小説は往々にして文学性を考慮に入れていない、といっていい。
 そこで、村上は、文学性が高く売れる小説を書くために、マーケティングに手を出したのかとおもわれるかも知れないが、そういうことではない。この『1シート・マーケティング』という本は、文学の本質を考えるうえで、重要なことを教えてくれた。
 著者の本意ではないかも知れないが、僕は、そう読んだ。具体的に話していこう。
 あらかじめいっておくが、著者の三浦崇典氏は天狼院書店を営んでいて、直接お会いしたことはないけれども、フェイスブック友達である。そういう事情がなければ、マーケティングの本を読むことはなかっただろう。
 著者のいうマーケティングは7種の要素から成り立っている。本書では、「7つのマーケティング・クリエーション」という言い方をしている。
 まず、「①ストーリー」。ストーリーとは、「そのビジネスが世の中になければならない理由」で、これがすべての基礎になる。「②コンテンツ」は、「商品、サービス」。「③モデル」は「『コンテンツ』をどうすれば最適な形で顧客に提供できるかを考える」こと。「④エビデンス」は、「売り上げなどの実数値」。

「ストーリー」という土台があり、それに基づく「コンテンツ」の質が高くなり、お客様への提供の形である「モデル」が最適な形になっていくと、(中略)売り上げなどの実数値「エビデンス」が上昇

する。
 目標とするエビデンスを持続させるために必要なのが、「⑤スパイラル」(上昇螺旋)で、

〝理想の状態〟を維持するために(中略、コンテンツ、モデルを)少しずつ改善し、上昇させながら回し続けること

だ。

「ストーリー」を構築し、質の高い「コンテンツ」を用意し、最適な「モデル」を見つけ、堅実な「エビデンス」を上げ、しかもその上昇螺旋的な成長「スパイラル」を維持した先に、ようやく

「⑥ブランド」に到達する。さらに、流行を作る「⑦アトモスフィア」(雰囲気)がある。「ブランド」は「スパイラル」の結果であり、「アトモスフィア」の〝流行を作り出す〟ことは難しいので、

積極的に我々がアプローチし、構築し、考えなければならないのは主に「スパイラル」の部分まで

であるという。
 本書では、「7つのマーケティング・クリエーション」を詳細に述べていくが、僕は「ストーリー」と「コンテンツ」の章で、うーんと唸らせられた。

〝顧客〟にとっての、そのビジネスがなければならない理由を明示できなければ、今の時代、マーケティングをすることができない。つまりは、稼ぐことができません。

「顧客」を「読者」、「ビジネス」を「文学」、「稼ぐことができない」を「読まれることがない」と読み替えていけば、小説家としては、極めて重要な問いを突きつけられていることになる。さらに、

マーケティングにとって、目指すべきは、マーケティングを捨てること。

 それはすなわち「コンテンツ主義」の立場を取って、質の高い「コンテンツ」を用意すること。そうすれば、マーケティングをしなくても商品は売れていく。つまり、いい作品を書けば読者が放って置かない、ということだ。
 ざっくりと著者のいう「ストーリー」と「コンテンツ」について書いたが、本書では「ストーリーの再定義」や、どうすれば「コンテンツ」の質を上げることができるかなども、詳しく説いていく。
 僕は、あと何回か、この本を読むことになるだろう。ビジネスを志す者としてではなく、文学を志す者として。

お勧めの本:
『1シート・マーケティング』(三浦崇典/ポプラ社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。