連載エッセー「本の楽園」 第116回 ゲンロン戦記

作家
村上政彦

 僕は、2011年の東日本大震災が起きてから間もなく、作家の先輩に声をかけられて『脱原発社会をめざす文学者の会』に入会した。というか、そのときはまだ、この会はなくて、その先輩たち、仲間と語らって、会を立ち上げた。
 設立時には、立派な会場を借りて、記者会見を開いて、僕も意見を述べた。それが確か2012年のことだ。それから会の活動が始まった。文学者の会なので、言葉と想像力で原発と対峙して、原発のない社会を構想し、築いていく。
 だから、安易に現実政治には関わらない。いや、会として、現実政治に関わったことは一度もない。会の活動は、専門家を呼んで原発について学び、会報やホームページで原発について発言し、年に一度は被災した福島を訪れた。そして、文学作品を書く。
 そうこうしているうちに、いつの間にか、僕は事務局長という立場になってしまった。自分から手を挙げたのではない。そういうことになってしまったのだ。僕は事務が苦手だ。もっといえば、苦痛である。できれば逃げたかったが、逃げられなかった。
 今年で福島の原発事故から10年。一つの節目として、会としてのステートメントをしよう、ということになり、具体的には文学賞を設立した。この10年間で会員が読んだフィクション、ノンフィクションを持ち寄って、熱い議論を進めた。
 結果として、フィクション3作、ノンフィクション3作が、『脱原発社会をめざす文学者の会』文学大賞と決まった。今年の3・11を期して、会のホームページで発表した。新聞などメディアでも報じられた。
 文学賞といえば、賞金がつきものだが、小さな会なので予算がない。そこで魂のこもった記念品と賞状を進呈することになった。これが僕の苦痛な事務仕事である。しかし、がんばった。何人かのスタッフと連携を取りながら、だんだんかたちを整えていった。
 その過程で、僕のなかに、なぜ、この活動をしているのか? という疑問が生じることがあった。考えた結果、これが僕の文学の営みの一つだ、という結論に達した。小説を書くことはもちろんだが、この会で活動することも、僕にとっては文学なのだ。
 この結論に至るのに、東浩紀の『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』を読んだことが、大いに影響している。東は2000年代を席巻した若手論客のひとりだ。いや、2000年代の批評の中心にいた、といっていい。
 その彼が、『ゲンロン』という会社を興した。彼はこの会社を運営する過程で、さまざまな経験をする。それこそ、ぼくの嫌いな事務にまみれる。彼も事務が得意ではないようだ。しかし、会社を回していくには、やらざるを得ない。
 なぜ、批評家が地味な事務をするのか?

ゲンロンという会社を経営し、続けること、それそのものがぼくの哲学の実践であり表現です。

『ゲンロン戦記』を読んだ僕の理解では、東がゲンロンを設立した理由のひとつは、いまの社会のオルタナティブ(主流に代わる価値観)をつくるためだ。そのためには新しい「観客」をつくらねばならない。

作品を発表しそれで生活するプロになることはできなくても、作品を鑑賞し、制作者を応援する「観客」

――いわばプロの観客をつくる。そして、彼らのコミュニティをつくる。

観客になるなんて負け組じゃないか、というひともいるかもしれません。けれどもそれはまちがいです。

あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。

 次の指摘は痛烈だ。

いまの出版社は、売れる作家をどこからか探し出してきて、一発当てることしか考えていないように感じます。読者=観客を育てるという発想を、出版人は忘れてしまったのではないでしょうか。

 ある批評家のラジオ番組のコピーに、「知る→わかる→動かす」というのがある。東は、

ほんとうは、「知る」と「わかる」のあいだに、そして「わかる」と「動かす」のあいだに、「考える」というクッションが必要なのです。

 東のいう「観客」とは、この、「考える」ことのできる人々のことだろう。そして、「観客」をつくるには、「誤配」が必要だという。「誤配」とは、

自分のメッセージが本来は伝わるべきでないひとにまちがって伝わってしまうこと、ほんとうなら知らないでもよかったことをたまたま知ってしまうこと。

 東は、この「誤配」が起きる場として、ゲンロンカフェを準備した。そこには少人数の「観客」が集って、一杯やりながら登壇者の話を聴いて、「観客」同士が意外な出会いをする。登壇者も延々と話をするので、考えてもいなかったことを話してしまう。
 そういう空間で、良質の、プロの「観客」が生まれ育ち、ゲンロンカフェを中心にして、コミュニティができあがり、オルタナティブがつくられていく。
 僕は、『ゲンロン戦記』と、いい出会い方をした。おかげで、『脱原発社会をめざす文学者の会』も、文学の営みであることが、実感できた。そういうわけで、今日も、僕は会の事務局長として、せっせと事務に取り組む。

お勧めの本:
『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』(東浩紀 著/聞き手 石戸諭/中公新書ラクレ)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。