連載エッセー「本の楽園」 第115回 愛をばらまけ

作家
村上政彦

 大阪市西成区釜ヶ崎(あいりん地区)は、東京の山谷、横浜の寿町をしのぐ、日本でも有数の「ドヤ街」だ。戦前にはすでにスラム街ができていて、戦後になると日本中から日雇い労働者がやってきた。しかし、いまは2万人ほどの住民の40%以上が生活保護を受けている。
 西田好子が牧師を務める「メダデ教会」は、この付近にある。「メダデ」とは旧約聖書に登場する人物の名で、「愛があふれる」の意味だという。
 西田は68歳。小学校教師を辞めて、50歳で大学の神学部に入り、牧師となった。いざというときの資金を貯めるために、超節約生活を送っていて、食事はスーパーの特売品とパンの耳、風呂には入らないでポットの湯で体を拭く。
 牧師になった西田は、四国の教会に赴任した。しかし、年上の信徒たちから牧師らしくない、と批判される。彼女のことが心配であとを追ってきた老いた母親が認知症になり、2年で故郷の大阪へ戻った。
 どこの教会からも声がかからず、聖書の勉強をしているうちに、いつか60歳。待っているだけではいけない。ホームレスを救いたい、という志から牧師をめざしていた彼女は、西成に向かった。そして、ここが自分の居場所だと、ある教会の門を叩いた。
 関西弁で漫談のようにおもしろい説教をする牧師がいる――人が人を呼んで礼拝堂が満席になった。そのころから西田は説教の担当からはずされることが多くなった。彼女が教会を乗っ取る気だという噂が広がっていた。
 もちろんそんな気はまったくない。しかしそれなら自分で教会を設立しようと考えた。そんなとき、娘を守り続けた母親が胆管がんにかかり、93歳で亡くなった。悲しみ抜いた彼女は、内なる声を聴く。

お母ちゃんは天国に行かはった。もう何も心配せんでええ。だからお前は思う存分、伝道しろ

 西田は超節約生活でこしらえた貯蓄と母親の残してくれた金を資金にして中華料理屋を買って、「メダデ教会」の看板をかかげた。目的はホームレスなど、苦しむ貧困者を救うこと。

社会にバカにされて相手にされへん気持ち、私には手に取るようにわかるねん。だから私が、地べたに寝そべってるおっちゃんらを、立たせてやるんや

 西田は西成のホームレスに関わっていく。

路上で泥酔する者、何かをつぶやき続ける者、毛布にくるまり眠り込む者。西田は四六時中、釜ヶ崎を歩き回り、次々と『うちのところに、来(こ)うへんか』と背中をたたいて声をかけた。

 7年後、信徒は20人になった。そのあいだ、いざこざは絶えなかった。酒、ギャンブル、喧嘩、あげくには教会の金の持ち逃げ――。しかし、それぐらいのことは覚悟していた。教会には、統合失調症や認知症の病人もいる。LGBTであり、前科のある者もいる。任侠の世界で生きて、人を殺した者もいる。在日コリアンや被差別部落出身の人もいる。
 みな、互いに助け合って生きている。西田は彼らの病院に付き添い、福祉を受けるために役所へも掛け合いに行く。

私が輝くには、ここしかないねんよ

 人のために役立つことによって、自分が輝く――これは自己実現の理想的な在り方ではないか? 西田は、決して、単にやさしい聖職者ではない。しょっちゅう厳しいことを言う。それが、また、刺さる。

ここにおる者は皆、重い過去を背負ってきとる。でも座り込むな。立て。歩け。生きろ!

 西田のことを、お母ちゃん、と呼ぶ信徒がいた。彼女にとっては、きっと牧師よりもふさわしい呼び名だろう。

お勧めの本:
『愛をばらまけ 大阪・西成、けったいな牧師とその信徒たち』(読売新聞大阪本社社会部 上村真也/筑摩書房)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。