知人の精神科医と話をしていたら、新型コロナウイルスが話題になって、彼は、この4、5年は、いまのような状態が続くだろう、もし、ワクチンが世界的なパンデミックを鎮静化させても、僕らは、新型コロナウイルスが現れる前と同じ生活に戻ることはできないだろう、と言っていた。
僕は、彼の言い分を聴きながら、これから僕らはどこへ向かえばいいのかを考えていた。そのとき、手に取ったのが、見田宗介(みた・むねすけ)の『現代社会はどこに向かうか』だった。この本が書かれたのは、2018年だから、まだ新型コロナウイルスの影もない。しかし彼の思索は、厄介なウイルスと一緒に生きなければならない僕らにとっても、とても役に立つと思う。
見田は、世界を「無限」ととらえた人類が、増殖しつつ自然を征服し、経済的な成長を遂げ、それが極限にまで達して、いま世界は「有限」であることに気づかざるを得なくなっているという。
もう、人類全体から見れば成長は完了した(もちろん富の不均衡はある)。胃袋を満たすことを目的に生きてきた人間が、目的を達したいま、どのように生きていけばいいのか?
ダニエル・エヴェレットという宣教師であり、言語学者の著作『ピダハン』が紹介される。これは、正しくは、ピーダーハーンというアマゾンの小さい部族とともに生活した記録らしい。
ピーダーハーンは、
精神生活はとても充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っていることを見れば、彼らの価値観が非常にすぐれていることの一つの例証足りうるだろう。
とダニエルは見ていて、さらに彼らは、
魚をとること。カヌーを漕ぐこと。子どもたちと笑い合うこと。兄弟を愛すること。
を楽しみ、笑い興じていて、「天国」へ行くことも「神」に救済されることも必要としていないように思える、という。
彼らとともに生活するうち、ダニエルの内部でキリスト教が「溶解」した。そして、みずからの信仰から離れてしまった。
見田は、原始的な生活を賛美するのではない。ただ、いまの人類が「有限」の世界で生きるための手がかりをピーダーハーンの生に見る。それは、
この世の中にただ生きていることの、‹幸福感受性›
だ。
ピーダーハーンがこの地上において富める者たちであるのは、彼らが‹交歓›の対象としての他者たちと自然たちという、涸渇することのない仕方で、全世界を所有しているからである
「無限」の自然から搾取することは、すでにできない。なぜなら、僕ら人類は増殖しすぎて、地球という惑星は、「有限」になってしまったからだ。見田は、人類が向かうべき方向を、このように指し示す。
第一にpositive。肯定的であるということ。
第二にdiverse。多様であること。
第三にconsummatory。現在を楽しむ、ということ。
肯定的であるということは、現在あるものを肯定する、ということではない。現在無いもの、真に肯定的なものを、ラディカルに、積極的に、つくりだしてゆく、ということである
また、多様性については宮沢賢治の詩を詠み変えて、こう述べる。
「億の幸福が並んで生まれ、
しかも互いに相犯さない、
明るい世界はかならず来る。」
と
明るい世界の核心は、億の幸福の相(あい)犯さない共存ということにある。
さらに、コンサマトリー(僕は、この公準がいちばん大切に思える)。
コンサマトリーという公準は、「手段主義」という感覚に対置される。新しい世界をつくるための活動は、それ自体心が躍るものでなければならない。楽しいものでなければならない。その活動を生きたということが、それ自体として充実した、悔いのないものでなければならない。解放のための実践はそれ自体が解放でなければならない
日本の政治家は、口を開けば、新たな経済成長のために、と言ってきた。しかし、これからは、人や自然を搾取するかたちでの経済成長は望めない。不可能である。人の幸福のためには、何が必要なのか? 僕らはどこへ向かえばいいのか? 見田の声に耳を傾けたい。
お勧めの本:
『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』(見田宗介著/岩波新書)