連載エッセー「本の楽園」 第112回 支えてくれる本

作家
村上政彦

 僕は小説に救われた。小説がなかったら、いまの僕はない。これは本に救われたということでもある。本がなかったら、いまの僕はない。
『病と障害と、傍らにあった本。』は、文字通り、病や障害をかかえながら、本に支えられ、救われた人々のエッセイを収録している。
 感音性難聴、潰瘍性大腸炎、筋ジストロフィー、全身性エリテマトーデス(膠原病)、鬱病、てんかん、双極性障害、脳梗塞による高次機能障害、原田氏病、頸髄損傷の妻の介護をする夫、ALSの母親の介護をする娘――いずれも当事者にしか分からない苦しみをかかえた人々の言葉が並んでいる。
 僕も家族に障害者がいるし、自分にも持病があるので、少しは執筆者の気持ちが分かるつもりだ。
 先日、勤務している大学の、今期の最終講義で、この本から、岩崎航という詩人のエッセイを取り上げた。岩崎は1976年に宮城県で生まれた。3歳のころ、筋ジストロフィーを発症する。
 思春期に自死を決意するが、思いとどまって、「最後にもう一度、死に物狂いで生きてやろう」とおもった。そういうとき、サン=テグジュペリの『夜間飛行』と出会った。登場人物の飛行士が嵐に遭遇し、乗り越えていくくだりを自分の人生と重ね合わせた。

颶風(ぐふう)はなんでもない。逃げ出せる。ただ、颶風に先立ってくる、あの恐怖にはまいる!(『夜間飛行』堀口大學訳)

こわいときには、必ず発動機の音が濁るような気がするものなんだ(同)

人生には解決法なんかないのだよ。人生にあるのは、前進中の力だけなんだ。その力を造り出さなければいけない。それさえあれば解決法なんか、ひとりでに見つかるのだ(同)

 岩崎は、こう語る。

 迷って先が見えないときもあるけれど、飛び続けていく。命を、最後まで生ききる。人生の大海原も、険しい山も渡っていく。どんな嵐があっても、暗闇のただ中を行くようなときでも、切り抜けて、自分の人生を希望をもって渡りきっていこう。
 詩を書くときの私の筆名「航」は、この思いに寄せて決めたものです。本に書かれていた人の生きる物語に触れたことが、自分の生きる手応えを得ていく契機をもたらしてくれたと思います。

 彼は人工呼吸器をつけ、胃ろうから管を通して栄養を摂る。ベッドに寝た切りだ。そういう自分に何ができるのかを考え、短歌と俳句にたどりつく。放浪俳人・種田山頭火や結核を患いながら句作を続けた川端茅舎に惹かれる。
 やがて五行歌という短詩を書くようになった。詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』は話題になった。

 どんな人でも、生きていれば、ギリギリのところまで追い詰められ、耐えがたい、辛いと思う局面があるものですが、そんなときに、心の奥底、本当のところから出てきた言葉は人の心を動かしてくれることがある。
 どうにもならない悲しみを他者と分かち合っていると思える経験は、病や障害をもって生きていく上で、自分を支えてくれるものだと思います。

 僕も、「ギリギリのところまで追い詰められ、耐えがたい、辛いと思う局面」に何度も遭遇し、そのたび、心の小箱にしまってある言葉を取り出し、その言葉に支えられた。いや、その言葉を生きた、といってもいい。そしてサバイブした。
 僕は、言葉の力、本の力を、信じている。そうでなければ小説家なんて、やっていられない。

お勧めの本:
『病と障害と、傍らにあった本。』(齋藤陽道著/ 頭木弘樹著/岩崎航著/三角みづ紀著/田代一倫著/和島 香太郎著/坂口恭平著他/里山社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。