2度の経営失敗
1957年8月、長嶺将真はわずか8票差で瀬長亀次郎市長の信任を問う市議会選挙で敗れた。従来は長嶺票に数えられていた「ソシン」とだけ記載した票が10票ほどあって最後まで判定に悩んだというが、運悪くこのときの選挙には同じ名前の候補者がいたことでこの10票すべてが取り消しとなった。そんなハプニングで落選しながらも、それでも長嶺は意気消沈して動きを止めたわけでもなかった。
実際、翌月下旬には、沖縄タイムス紙に沖縄空手道連盟の知花朝信会長と長嶺(副会長)の空手に関する対談記事が上下2回で掲載されている。
さらに10月には長崎市で行われた琉球物産展示会で長嶺が空手演武団の団長を務めるなど、空手に取り組む意気込みは衰えていなかった。
このころ、新聞記事などに取り上げられると、長嶺の肩書きは「沖縄汽船常務」と記載されることが多かった。確かに那覇市議会議員のバッジは失ったものの、実業家として、順調なスタートを切ったかのように見えていた。
1959年になると、父親の将保が所有していた土地を譲り受け、「沖縄冷凍乳業」という名称の会社を立ち上げ、自ら経営に乗り出した。
夏場を中心にアイスクリームなどを製造販売する会社だった。場所は国道58号線の新都心にはいる入口あたりにあり、現在はガソリンスタンドになっている。当時、沖縄では冷蔵庫も普及していない時代で、当然ながら一般家庭には冷房も存在しない。そこに工場を建設し、事業を始めた。
似たような会社はほかにもあったというが、冬期になると仕事がなくなるため、別の代替商売を考える必要があった。結局この商売は4、5年で経営が行き詰まり、他の同業者に買収される結果となった。
1963年には別に「泊港湾荷役」という株式会社を立ち上げたものの、こちらも4、5年で会社を畳む結果となっている。
事業経営に2度失敗した。(『沖縄の空手道』)
と本人は著書の中で書いているが、ここでいう「2度」とは、この2つの会社の失敗のことを指している。
長嶺の娘は、
頼まれたら断りきれない性格で、他人の保証人になったのが失敗の原因だった。
と証言する。人柄のよさから逆に経営者としてのシビアな判断に欠け、会社を切り盛りするには向いていなかったということだろうか。長嶺は『沖縄の空手道』で次のように続ける。
2、3年の間、失意の生活に低迷していたが、空手だけは続けることが出来た。
皮肉にも事業の苦境のさなか、長嶺は沖縄空手道連盟の第3代会長に就任する。1961年4月のことだった。それまでは長老格の知花朝信らを支えてきたが、世代交代を求める声もあり、自らリーダーシップを発揮する立場に就任した。
それから69年までの8年間にわたり、長嶺は同連盟の会長を務めたが、特に前半時代は、私生活においては事業苦との闘いが続いた。
観光団受入れで苦境脱出
そのころ長嶺道場に〝渡りに船〟といった話が舞い込む。旅行会社と提携して、本土からの観光団の誘致に成功したのだ。本土から沖縄に来る団体観光客の滞在スケジュールの中に、本場の空手見物の時間をつくり、長嶺道場で空手演武を披露することになった。
幸い、当時の那覇市内の空手道場のうち、大型観光バスを駐車できるほどのスペースを持ち合わせているのは長嶺道場だけだったという。
演武会では常時5人ほどの高段者をそろえ、基本稽古や瓦割りなどを見せ、組手の真似事もデモンストレーションとして披露した。この報酬がばかにならない金額で、演武した弟子にも一部が謝礼金として支払われた。
毎回演武に出場する弟子の中には、本職の仕事の給料より、謝礼の合計額が上回る者も出てきて、それらは稽古が終わったあとの「飲み代」に消えていくことも多かったようだ。
勢い、当時の長嶺門下で「三羽ガラス」と呼ばれた弟子たちが、桜坂(那覇の繁華街)で人相の悪い人間を見つけてはストリート上で腕試しをした。昔の「掛け試し」に近いものだろうが、そうした武勇伝が道場内でも伝わった。
結論として、本土からの観光団の受け入れにより、長嶺は経済的苦境から脱出することができた。「最後は空手のお陰で立ち直ることができた」と本人が述懐したのは、まんざら嘘ではなかった。
長嶺の会長時代は自身の事業苦だけでなく、時期的にはベトナム戦争の最盛期とも重なった。沖縄では世相が荒れ、空手道場にも多くの米兵が腕試しにやってきた時代だ。
このころ、長嶺は沖縄空手道連盟の会長として、『空手道讃歌』(西條文喜作詩/大沢浄二作・編曲)というレコード制作にも取り組んでいる。歌ったのは当時の人気歌手だった城卓矢。
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レコードは1968年夏に自主制作盤として製造プレスされ、主に沖縄県内で販売された。最後の「ああ 沖縄の空手道」という部分が最大のさびで、「沖縄の」と強調するところに、本土の空手とは異なるという意味合いが含まれていた。
本土では前年の67年、全日本空手道連盟の会長が、沖縄県石垣島出身の大濱信泉(早稲田大学総長)から、笹川良一へと交代していた。(連載つづく)
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