社会党の近親憎悪
なぜ著者がこの本を書くに至ったのか。
その理由が端的に「エピローグ」のなかに記されていた。
著者は早稲田大学に入学した当時、自分の学部の自治会を仕切っていた「民青」の意味さえよく理解していなかった〝典型的なノンポリ学生〟だったと述懐している。
ちなみに「民青」とは「日本民主青年同盟」の略であり、日本共産党の下部組織である。
卒業後、編集プロダクション勤務などを経て、当時の社会党機関紙『社会新報』の記者になった。
編集部には、政党機関紙『赤旗』が置かれていたが、熱心に読んだ記憶はない。ただし社会党の中でしばしば感じたのは、同党内の強烈な共産党アレルギーで、近親憎悪に似た感情が渦巻いていた。(本書)
1996年末に民主党の結成で社会党は分裂。著者はフリーランスになった。
その後、『赤旗』元記者や共産党系列の民主商工会など、共産党関係者を取材。この四半世紀、自らも『赤旗』を購読してきたと言う。
2002年9月、小泉純一郎首相が平壌を訪問し、金正日総書記と会談。金総書記は北朝鮮工作員らによる日本人拉致を認め、謝罪した。その後、何人かの拉致被害者が日本への帰国を果たした。
同年末、著者は筆名で『拉致被害者と日本人妻を返せ 北朝鮮問題と日本共産党の罪』という単行本を出版した。
1959年から始まった「帰国事業」(在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させる事業)で、9万3000人余が北朝鮮に渡った。このうち日本人配偶者は約1800人。子どもなどを含めた日本人は合計6000人ほどと、同書に記されている。
「地上の楽園」と宣伝した政党
だが、この「帰国事業」はまもなく実質的に頓挫する。「地上の楽園」と喧伝されていた北朝鮮が、実際には「凍土」であることが、先に帰国した者たちから密かに日本の同胞たちに伝えられたからだった。
では、なぜ多くの在日朝鮮人(著者は実際には韓国出身者が多かったと記している)やその家族が、当時の北朝鮮を「地上の楽園」だと信じたのか。
それは、日本共産党が『赤旗』などで「地上の楽園」という大々的なプロパガンダを展開したことが決定的に大きい。
著者が2002年末に出した本は、そのことを問うものだった。
本の中では「兄弟党」ともいえる北朝鮮との親密な関係のもと、日本共産党が多くの在日朝鮮人をかの地に送る先頭に立ち、それらが機縁となって多くの拉致被害者が発生したにもかかわらず、その責任に口をつぐんでいる最高指導者・不破哲三らの言動は卑怯ではないかと問いかけていた。(本書)
これに対し、日本共産党は名誉棄損と著作権法違反で著者らを民事・刑事で訴えてきた。
しかし、名誉棄損に該当するような事実はなく、1年半後の2004年10月、
賠償金ゼロのまま、裁判上の訴えを取り下げる和解に応じた。
事実上、日本共産党が筆者のペンの真実性に〝屈服〟する形となった。
それにしてもその本を取材執筆するまで、私は日本共産党は「平和の党」であり、「反戦の党」であると信じて疑わなかった。いまから思えば、表面的な取材に終始し、物事の本質を見抜けない思慮浅き取材者にすぎなかった。(本書)
朝鮮戦争と武装闘争路線
この数年、日本共産党は「野党連合政権」を口にして、選挙のたびに〝野党共闘〟を呼びかけてきた。
その結果、むしろかつて政権を担ってさえいた民主党は崩壊し、離合集散を繰り返して国民の信頼を失い続けている。
本書は、そもそも日本共産党がそのような「政権」構想を語れるような政党であるのか否かを、真正面から問うものだ。
ちょうど70年前の1950年に朝鮮戦争が勃発した。日本共産党はソ連共産党書記長スターリンの指令を受け、51年に武装闘争路線を掲げる「51年綱領」を採択した。
日本国内の警察署や税務署、米軍基地などを次々と襲撃し、多くの火炎瓶事件を起こすなど、暴力活動に従事した。実際に警察官二人を党組織の謀略のもと殺害してもいる。当時、共産主義革命は、暴力なしには成し遂げられないとの思想が根強くあった。破壊活動防止法は、この時期の日本共産党の脅威を踏まえて日本国内でつくられた法律である。(本書)
日本共産党の現在の指導層は、この時期の暴力活動については「一方の分派がやったこと」というスタンスを貫いている。
はたして、日本共産党は「平和の党」「護憲の党」であって、あの凶悪な過去はあくまで〝特殊な時代〟だったのか。
それとも、あの時代に見せた姿こそが同党の本質なのか。その問いが本書の主題である。
憲法という文字すら見あたらない
著者は、クルクルと都合よく変わってきた同党の綱領の矛盾や、過去の機関紙の報道、そして元共産党議員らの証言という、冷徹な事実を積み上げながら検証する。
たとえば1947年5月3日に施行された日本国憲法に対する態度。
日本国憲法が国会審議されて成立する際、その制定に徹頭徹尾反対した唯一の政党がこの党であったという事実はあまり知られていない。(本書)
憲法制定後の五月三日付の同党機関紙を年代順に追って調べてみると、一九四七年から五五年までは新憲法を擁護する記事は皆無で、憲法という文字すら見あたらない。あるのはメーデーの記事ばかりだ。(本書)
もちろん、日本共産党が現在も破防法に基づく公安当局の監視対象であるにせよ、日本国憲法は「結社の自由」「思想信条の自由」を認めている。
さまざまな理由で共産党にシンパシーを抱いたり、支持することもまったく自由である。
現在の自公政権を批判し、共産党の主導する「野党共闘」さらに「野党連合政権」構想なるものに希望を託そうとするのも自由だ。
だが、1922年に結成され、まもなく創立100周年を迎えるこの政党が、どのような過去を持ち、なによりその「過去」に対していかなる弁明をしているか。
本気で日本共産党という政党に日本の行く末の一端を委ねようと考えるなら、それを正確に知っておく必要はあるだろうと感じた。
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