木下晋を知ったのはNHKの特集番組だった。パーキンソン病に冒された老妻を鉛筆で描きながら、
人が壊れていくと、ひび割れた隙間から、魂が見えてくる
と呟いていた。それは、僕にとって深く印象に残る言葉だった。
本屋をパトロールしていたら、木下晋の自伝があった。迷うことなく、レジへ持って行った。帰って読んでみると、期待にたがわずおもしろかった。まず、画家の半生がひとつの作品になっている。
木下は、1947年に富山で生まれた。父はとび職で、母は知的障害があって、何度も家出して各地を放浪した。極貧の家庭に生まれた彼は、
ただ生き抜くため、画家としての人生を選んだ
。
母が放浪しているとき、3歳の弟が餓死する。自分は、
よその家に行って食べ物をもらったり、畑で食べ物を盗んだり、あるいは友達のお金を取ったり、とそんなふうに飢えをしのいだ
。
彼が生き延びることができたのは、「笑う力が残っていた」からだ。明るい子供だったという。小学校のころ、母を追いかけて家を出たが、見つけることができず、空腹に耐えられなくなって、パン屋でコッペパンを盗んだ。児童相談所に送られた。
父が引き取りに来たが、育児放棄の兆候があるので、簡単に身柄を渡さない。自分も父が怖いので、家には帰らない。すると、校長が通って来た。咎めることもなく、穏やかに話をして帰っていく。置き忘れたかのように、本を置いていった。ユゴーの『レ・ミゼラブル』だ。
木下は一気に読んだ。
「パンを盗まなければならないほど窮地にあった俺だって、いつかは必ず偉くなれるんだ」という夢みたいなものを『レ・ミゼラブル』を読んで得られた
。
やがて身を立てるには、「自分の得意なものでなくてはダメだ」とおもうようになる。絵を描くことは得意だった。中学に入ると、きれいな美術教師に、夏休みには彫刻を作りに来ないか、昼はラーメンをご馳走するといわれて、学校へ通った。
その彫刻が少年少女美術展で特選となる。富山大学で美術を教えている教員が、現代彫刻の第一人者を紹介し、東京への旅費まで工面してくれた。そのころ父が現場の事故で急死した。兄は、しょっちゅう家出を繰り返していて、そのときもようやく葬儀に帰って来た。
木下は農業高校へ進む。彫刻ではなく、絵を描くようになった。彫刻家の恩師は、洋画家の大家を紹介してくれた。木下が描いた絵をじっと見て、自由美術協会展の公募作品として出すようにいった。
これが史上最年少で入選となった。周りは大変な騒ぎだった。当時は、この美術展に入選すればプロの画家と見なされたのだ。母校の美術教師は、何度も応募して入選を果たせずにいた。
画家としての途が開けたようにおもったとき、親族との悶着が起こり、警察沙汰になった。彼に罪はなかったが、経済的にも破綻し、高校を退学しなければならなくなった。絵で生きるために看板屋に就職した。
当時の心境をこう綴る。
鳴かず飛ばずで悶々としながらクレヨン、次にペンキ、さらに油絵という具合に模索を続けていた。貧しさゆえ大学に行けず、劣等感と恨みが沸々と内面で煮えたぎっていた。時代に踊らされた「空虚な饒舌」など「凝縮した沈黙」で粉砕してやろう。俺の存在を社会に問うのは作品しかありえない――
銀座で二人展を開いて、同郷というだけで瀧口修造に電話をした。彼は来てくれた。この人の紹介で、ニューヨークの荒川修作と縁ができた。アメリカに渡った木下は、10点の油絵を携えて600近い画廊へ持ち込んだが、「オリジナリティがない」と取り合ってもらえなかった。
落胆して帰国する直前、やっと荒川修作に会えた。「君のアイデンティティは?」と問われて、生い立ちからの境遇を語った。すると、彼は、こういった。
君は作家として最高の環境の中に生まれ育った。その母親を君は描くべきだ
。
この瞬間、木下の画家としての姿勢が一変する。彼はみずからのオリジナリティを模索して、「今まで見たことのないものがオリジナリティなのだ」と鉛筆画を選択し、母を描くことになる。そして、「最後の瞽女(ごぜ)」小林ハル、「元ハンセン病患者」桜井哲夫などをモデルにして、木下晋の画風を確立した。
ある人は、彼の画風を、こう評する。
鉛筆の芯先の繊細さで能う限りの優しさをもって生の痕跡に触れる
。
木下は、絵を描きたいというよりも、「対象の人物の内面に入り込み、その本質に迫りたいとの思いから、ひたすら制作に没頭する」。重度のパーキンソン病に冒されている老妻を描くのもそうだ。
人間がこういう状態になってくると、ひび割れの奥にある命というのか、生きようとする人間の本当の姿が見えてくる」「突き詰めても、突き詰めても、人間とはもっと果てしない存在だ。もっと奥に踏み入れば何かあるのではないか、それが見えてくるかもしれない。そうなると命そのものに触れる瞬間が来ることになる。
描かれている老妻は、こう述べる。
この人の絵は要らないものは払いのけていくように感じます。まるでとり憑かれたように、この人は重い鎖を足につけたまま光に向かって歩いていく。その姿勢はずっと変わらない。だから、この人が向かう先には光があるように感じますね。
ミケランジェロが死の数日前まで鑿(のみ)を振るった作品に、「ロンダニーニのピエタ像」がある。木下は、この未完の作品を見て愕然とした。
八十八年を生きた一老人の軌跡でもあるかのように、無数の痕跡から生命への執念がうかがえ、しかも死の直前まで迷いに迷っている。苦悶と安らぎの狭間で揺れ動く表情に、七百年の時空を超えて未来に繋がる人間ミケランジェロを見た。
これは木下晋の作品の自注でもあるだろう。
おすすめの本:
『いのちを刻む——鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』(木下晋著、城島徹編著/藤原書店)