若いころに、ある現代思想の雑誌で、アフォーダンスの特集をやっていた。当時の僕の意識は、ほとんど素通りに近かった。そういうものがあるんだ、ぐらいの受け止め方で、詳しく読みもしなかった。
それから30年以上を経て、先輩作家と話していたら、アフォーダンスの話題になった。ぜひ、勉強したほうがいい、といわれて、僕はこの先輩作家をとても尊敬しているので、さっそくアフォーダンスの教科書的な本を取り寄せた。
僕の頭は、典型的な文系である。最近は文理融合などといわれて、理系に強い作家が重んじられる。僕は、だめだ。まず、数学が嫌いだ。数字が嫌いだ。見ていると、眉間に皴が寄ってくる。
しかしどういうわけか、エヴァリスト・ガロアなんて数学者に憧れた。僕にとって、ガロアは数学者の姿をした詩人だった。彼は、20歳で天才的な業績を残し、革命に関わり、女のために決闘で死んだ。これはれっきとした詩人の生涯ではないか。
さて、アフォーダンスである。『新版 アフォーダンス』(佐々木正人)を開いて、数字がないので安心した。これなら読める。
アフォーダンス(affordance)とは、英語の動詞であるaffordを名詞にした造語だという。Affordには「与える」という意味がある。アフォーダンスを手短に定義すると、「環境が動物に与え、提供している意味や価値」となる。
この理論は、1960年代に、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・ギブソンによって完成された。ギブソンは1904年にオハイオ州で生まれた。父は鉄道会社の職員で、母は教師だった。
プリンストン大学の哲学科で心理学を学び、学位を取得してスミス・カレッジに就職する。第二次大戦中には空軍の知覚研究プロジェクトに参加し、知覚についての新しい見方を得て、アフォーダンス理論へのきっかけをつかんでいる。
1949年にニューヨークのコーネル大学へ移り、亡くなるまで研究を続けた。100本を超える論文と3冊の著作――『視覚世界の知覚』(1950年)、『知覚システムとしての知覚』(1966年)、『視知覚への生態学的アプローチ』(1979年)――を残した。
ギブソンのアフォーダンス理論は後継者によって研究が引き継がれたが、1980年代になってAIの設計や人と機械のコミュニケーションに取り組む認知心理学者たちに、あらためて注目された。
当時、認知科学が取り組んでいたAIの設計は一つの問題をかかえていた。「ある行為に関連することと、関連しないことを効率的に見分けるにはどのようにすればよいのか」という〝フレーム問題〟だ。
AIは「環境」が限定されているなかで、「推論」をするのは得意である。しかし、
「行為にともなって起こる環境変化のすべてをいちいちモニターし、判断しなくてはならない」という「作業」を、現実の環境の中で行為するときには、AIにとって致命的なほど難しい
。
つまり、AIがプログラム通りに正しく行為するためには、「環境」は変わってはならないのだ。すべての「環境」を表現したうえで、それを「地図」にして行為できるという確信から〝フレーム問題〟は生まれた。
〝フレーム問題〟の背景には、デカルト以来の伝統的な知覚システムがあった。デカルトは、人が世界を知覚するコアには、「こころ」の働きがあると考えた。「こころ」が「感覚刺激を統合し、判断し、推論し、意味に仕立てる」。
AIの設計者たちは、
世界について推論し、計算する、「有能なこころのメカニズム」を、知性の中心につくりあげようとした。そこでは、環境の中で行為することの意味は非常に小さく見積もられ、身体の行うことは「中枢」の指示に従う、ただの「出力」と考えられた
。
ところが〝フレーム問題〟である。AIの設計者たちは、知覚、行為、こころについての、新しい知のモデルを探し求めた。そこでアフォーダンスの登場となる。伝統的な知覚システムによれば環境は変わらない。
しかし、アフォーダンスは違う。僕の理解によれば、ギブソンは動物と環境は関連していると考えた。動物が動くことによって、環境も変わる。動物の数だけ環境のアフォーダンスはある。動物のふるまいが洗練されれば、さらに洗練されたアフォーダンスがある。
動物は動物だけで存在していない。環境も環境だけで存在していない。両者が関連することで一つの小宇宙がそこに存在する。しかも動物が動くことで環境は奥深い姿を現す。うーん、面白い。
僕には、アフォーダンスを学ぶように教えてくれた先輩作家の、動け、五感を澄ませ、世界はもっと豊かな姿を見せてくれるだろう、という言葉が聴こえた気がした。
参考文献:
『新版 アフォーダンス』(佐々木正人著/岩波書店)