【ファイル3】 司会/通訳/コーディネーター 宮川光彩(25歳)
生きてさえいれば何とかなる
全然興味なかったですね。高校生の頃は、調理師になりたいと思っていました。調理師の専門学校に進もうと思っていたくらいです。でも、高校の時にお世話になっていた先生から、「専門学校にはいつでも行ける」と言われたので、短大に進学することにしました。
短大に入ると、2年間しかないということもあって、周囲はすぐに就職活動の流れになりました。その頃には調理師になりたいという夢も一旦リセットしていたので、私も「企業に勤めて事務の仕事をした方がいいのかな」なんて思ってましたね。
――実際に就職活動はしたのですか?
ほとんどしませんでした。当時は、日本で働きたいなと思っていたのですが、あまりにも就活に一生懸命になる周囲の空気に付いていけなかったんです。だから、就職戦線からは早々にドロップ・アウトしました。
その影響もあって、学校も休みがちになり、2年生の途中からは休学をしました。休学中は、就職活動で盛り上がる周囲の喧騒から距離を置いて、アルバイトをしながらのんびりと過ごしていました。就職のことは、卒業してから考えればいいかなと思って、とにかく卒業することを当面の目標にしていましたね。
――実家のあるシンガポールに帰ろうと思ったのはどうしてなのですか?
私の両親はともに日本人なのですが、高校、短大時代に日本社会での生活を経験して、私はこの社会ではやっていけないなと思ったんです。もちろん日本のことは大好きだし、仲の良い友だちもたくさんいたんですが、何かが違うなって。
短大を休学している頃に日本に残るべきか、シンガポールに帰るべきか悩んだんですが、結局帰ることにしました。将来については、あんまり深く考えてなかったですね。生きてさえいれば何とかなるだろうって(笑)。
仕事は楽しくやるもの
――シンガポールの就職事情はどうなっているのですか?
日本とは全然システムが違いますね。シンガポールの学生は本当によく勉強をするので、学生時代はずっと勉強をしています。
就職活動は、卒業してから始めるような感じです。修士課程に進んだり、別の学部で学士を取得する人も多いので、26歳とか27歳で初めて社会に出るという人が結構多いですね。
――短大卒業後、シンガポールに帰って、すぐに就職は決まったのですか?
はい。就活を始めて確か1ヵ月くらいで日系の石油関係の会社に決まりました。私の場合は、シンガポールに永住権があったので就労ビザが必要なく、英語もまったく問題なかったので、日系企業からしてみると〝お得な人材〟だったようです。なので、就職活動に苦労をしたという感じではなかったですね。
――最初の仕事から今の仕事に辿り着くまでに、3度の転職を経験したそうですね。
最初の就職は、〝やりたいこと〟なんて考えずに、とにかく一度働いてみようと思って始めたんです。それに私の生来の〝飽き性〟と実家暮らしで経済的な心配をしなくていいということが手伝って、働き始めて1年と少しで辞めました。その後は、古本屋で働きながら、ファッション・モデルの仕事をしました。
今の仕事をやるようになったきっかけは、2度目の転職先である通商会社での経験が大きかったんです。その会社は、日本政府のクール・ジャパン戦略によってシンガポールに進出してきた日系企業のサポート事業をしていました。そこで、ポスターの作成から、司会業まで、本当にいろんな経験をさせてもらったんです。
実は、私が初めてちゃんとした舞台に立って司会をしたのも、その会社に勤めていた時のことで、AKB48のコンサートだったんです。私自身、自称〝オタク〟を公言するくらい日本のアニメやアイドルが好きだったので、その仕事はとても楽しかったですね。
――では、どうしてその会社を辞めることにしたのですか?
最初の方は、アイドルやアーティストの仕事が多かったんですが、それらというのは、ほとんど利益が出ない事業だったんです。なので、しばらくすると美顔器などの日本製の商品の販売ばかりをやるようになりました。数あるプロジェクトの中で、販売系のものしか続かなかったんですよ。販売の仕事を続けてもよかったんですが、よくよく考えてみると、私がやりたいこととは違うなと思ったので辞めました。
私にとって、仕事というのは、あくまで幸せになるための手段なので、仕事が面白いか、楽しいかということがとても大事なポイントなんです。
そんなことを言っても「生きるためには働かなければならないんだ」と叱られるかもしれません。確かにそれも一理あると思います。でも、それでしんどい思いをしてしまうなら元も子もないと思うんですよ。
私にはこれが出来る
――個人で仕事をしていて、苦労を感じることはありますか?
もちろんあります。何かのミスをした時は、誰も責任を取ってくれないし、ダメージはすべて自分に降りかかってきますからね。
でも、苦労ばかりでもありません。クライアントの方からお褒めいただいたり、次も声をかけていただけたりすると、喜びもすべて自分でひとり占めできるというのは、すごくやりがいを感じます。企業勤めでは個人がまったく評価されないということではないんですけどね。
あとは、仕事の量もすべて自分で管理できるのもメリットだと思います。仕事で疲弊し切ってしまって、生活そのものが充実しないというのでは、本末転倒だと思います。
――今は個人で仕事をしているみたいですが、今後、事業として拡大しようとは考えていないのですか?
少し前までは、何人か通訳を雇って、私は経営に専念しようかと思っていました。でも、現在の仕事のスタンスのままでもとても充実しているので、当分は今のままでいくと思います。
通訳と司会の仕事を始めてまもなく2年が経とうとしています。始めた頃は、何とかなるだろうという〝根拠のない自信〟だったんですが、今では実績を積むたびに、「私にはこれが出来る」という自信を持てるようになりました。
今後、結婚や出産をしても、何らかの形で仕事は続けていきたいと思っています。自分を磨くことは好きですし、幸せな人生を歩んでいくための手段はたくさんあった方がいいですからね。
(聞き手:フリーライター 大森貴久)
宮川光彩●1988年、マレーシア生まれ。親の仕事の関係でシンガポールに育つ。小・中学校をシンガポールのインターナショナル・スクールで学び、高校・短大は日本へ逆留学。短大卒業後はシンガポールに戻り、日系企業に勤務する。2012年からフリーランスの司会・通訳を開始。2013年には司会・通訳会社Lusterを設立。日本語・英語でのバイリンガル進行の司会、イベントや商談での逐次・同時通訳などを中心に活動中。専門の司会・通訳業のほかに、日本人アーティストの現地コーディネーターや撮影コーディネーターとしても活躍している。