親学で発達障害が治る?
このところ、教育関係の話題に「親学」というキーワードが散見されます。親学の中核にあるのは、「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長の高橋史朗氏(麗澤大学大学院特任教授)の思想です。高橋氏は、科学の名や伝統の名を借りて自身の思想を権威付け、一般論として受け入れやすい形にしています。しかし、その〝科学〟や〝伝統〟は、実のところニセ科学であったり、偽史であったりするのです。
高橋氏が親学のなかで紹介する「伝統的子育て」は、実際の日本の歴史や民俗文化とはかけ離れています。たとえば高橋氏は、偽史である「江戸しぐさ」を平気で伝統的子育てと結びつけてしまうのです。(※)
高橋氏は伝統的子育てと称して、親子のスキンシップの重要性を強調します。これは一般論としては受け入れやすいでしょう。ただし日本の歴史を振り返ると、親子が密接にスキンシップをとるようになったのはごく最近のことです。
親学を権威づけるため、高橋氏は澤口俊之氏(元北海道大学教授)、森昭雄氏(日本大学教授)、福島章氏(上智大学名誉教授)の発言を使い、脳科学者によるお墨付きがあったかのように喧伝します。しかしこの3氏も、杜撰な議論で脳科学と社会事象を結びつけているように見えます。森氏が、細かい脳の動きを探るには不向きな装置を使って、「ゲーム脳」(ゲームやパソコンが脳に悪影響を与える)という不確かな説を唱え、多くの批判を受けているのは有名な話です。
また、高橋氏は「サムシング・グレート」(偉大なる何者か)という概念を援用して、自身の親学の正当性を裏付けようとしています。サムシング・グレートは遺伝子に情報を書き込み、進化を方向付ける人知を超えた存在のことです。これは科学的根拠というより、むしろ宗教的信念です。
さらに高橋氏は、「親学によって発達障害を予防できる」「発達障害が治る」とか、いじめや虐待まで親学で解決できると主張します。発達障害の子どもを育てる親にとっては、治ると言われると魅力的に映るでしょう。高橋氏はその人情につけこんで、無根拠な親学を吹聴するのです。
発達障害の多くは遺伝子に原因があることがわかっていますが、障害を抱えていたとしても、それは特定の刺激に対する反応が人と違っているにすぎません。ほかの問題では鋭い感性なり知性を発揮できるかもしれないのです。その各自の特性をどう生かすか考えるのが、あるべき教育の姿ですが、親学では「治す」「防ぐ」として排除してしまう。これは容易に優生思想に結びつく考え方です。
キャンプのときに星空を見て、「空にじんましんができたみたいで気持ち悪い」と言う子どもがいたそうなのですが、高橋氏はこの子のことを「〝脳内汚染〟の実例」と表現し、遺伝子のオンとオフがうまく機能していないと指摘しているのです。何を美しいと思い、何を気持ち悪いと思うかは、遺伝子に刻印されているはずだと彼は考えますが、その根拠はサムシング・グレートなわけです。
※「江戸しぐさ」の誤りについては、月刊誌『第三文明』本誌インタビューで過去2回掲載し、「WEB第三文明」にも転載(記事リンクは文末)。
「親守詩」の問題点
高橋氏が親学に取り入れている江戸しぐさは、もともとの内容とも異なっています。江戸しぐさは芝三光という人物が最初に空想し、弟子の越川禮子氏が受け継ぎました。芝氏、越川氏によって広められた偽史・江戸しぐさは、高橋氏によって2重に事実無根の話へと歪曲されていきます。
2004年、高橋氏は埼玉県知事の肝いりで県の教育委員に就任し、教育委員長まで務めました。06年、第1次安倍政権は教育基本法を改正して「家庭教育」の項目を新設します。高橋氏は政府の教育再生会議委員として親学を吹聴するようになり、12年には超党派の国会議員による「親学推進議員連盟」(安倍晋三会長)が発足しました。こうして親学は政権と密接に結びつき、全国各地へ広がっていくのです。14年度からは、文部科学省が作った小学校の道徳教材「私たちの道徳」に江戸しぐさが採用されてしまいました。
江戸しぐさや無根拠な親学は、土台がふらついていて中身が空疎だからこそ、親にとって都合のよいことをどんどん盛りこめます。何となく「こうじゃないかな」と人々が思い描く先入観や雰囲気を、都合良く反映させていける柔軟さが親学にはあるのです。
その典型が「親守詩全国大会」です。04年、高橋氏は「子守唄」の対照としての「親守詩」を創設しました。教育研究団体「TOSS」(教育技術法則化運動)や全国教育管理職員団体協議会、学習塾、JC(日本青年会議所)と協力して、「親守詩大会」は全国で開催されます。
親に対する感謝の念を、子どもが詩や歌として発表する。感動に飢えている教育現場や親たちの需要に、親守詩はピタリとハマりました。危険や事故を顧みない組体操や、10歳のときに実施する「2分の1成人式」などと一緒に、親学をバックボーンとして作られた親守詩に子どもたちは翻弄されていきます。
虐待など深刻な問題を抱えた家庭では、子どもは親に感謝しようがないわけです。でも、「親に感謝する」ことを前提とした「親守詩」は、各家庭にある個別の事情はまったく考慮しません。
そもそも「感動するもの」「気持ちが悪いもの」を大人が決めたり、政府が家庭教育に介入することは行きすぎではないでしょうか。親守詩のような運動は、かえって子どもの多彩な感性を削ぎ落とすことになると思います。
冗談から始まった親学
高橋史朗氏が親学を立ち上げたとき、すぐに便乗した団体がTOSSでした。TOSSは子どもたちに問題を投げかけてヒントを与え、あらかじめ教師が用意しておいた答えにたどり着くよう誘導する手法を採ります。狭い場所に大勢の人々を集め、疑問をもたせてからヒントを与え、一つの方向へと誘導する。これにいちばん近いのはSF商法(催眠商法)です。
児童の絵画コンクールで、一時期同じような構図の絵がズラッと入賞する事態が続きました。なぜでしょう。TOSSが全国各地で「どうやったら子どもらしい絵が描けるか」と教えていたのです。彼らは「子どもらしい自由な感性をもった絵」に見せかけるための「型」を教えていました。
こういういびつな教育モデルを広げるTOSSのような団体が、高橋史朗氏の親学と結びついて教育現場に入りこむ。日本の教育にとって深刻な事態です。
ちなみに、加計学園・獣医学部新設問題の国会証言で話題になった前川喜平・前文部科学事務次官は、小学校の道徳教科書に江戸しぐさを取り入れた当時、文科省初等教育部門の責任者でした。
前川氏はメディアで、安倍政権が推進する親学に批判的な発言をしています。ただし、親学にも採用されている江戸しぐさを道徳教科書に導入した問題点については、語ろうとしません。前川氏には、文科省時代に果たした自身の仕事についてもきちんと総括してほしいものです。
教育行政に深く入りこみ、全国に広がってしまった親学の元がどこにあるのか。私は資料をさかのぼって読み解いてみました。
高橋氏は、イギリスのジェフリー・トーマス氏(オックスフォード大学ケロッグカレッジ学長)に触発されて親学を創出しています。当のジェフリー氏は、読売新聞に載った座談会で以下のように冗談を言っていました。
「学校でも大学でも教えていないのは、親になる方法だ」「半分冗談だが、子供を教育するにあたり、困難さと責任について自覚しているかどうかを証明する試験に受からなければ、子供をつくってはいけないというのはどうだろうか」(2001年1月3日付)
ジェフリー氏が「半分冗談」と断ったうえでの発言が、親学誕生のきっかけだったのです。
高橋氏は、こんなジョークをもとに、一見あたかも歴史学的、科学的に根拠があるかのような親学を作ってしまったのです。
このような親学は、子どもたちの将来を方向づける教育現場に真面目に導入するべきではありません。根拠のない「偽史」や「ニセ科学」を、安易に教育に採用してはならないのです。
『オカルト化する日本の教育──江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』
(本体780円+税、ちくま新書)
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