がんの放置が何をもたらすか――。がんの治療の現場で、日々〝患者の命〟と向き合う医師から見た、近藤誠医師の主張の虚実と問題点に迫る。
がんの治療は患者の数だけある
近藤誠医師(元・慶応義塾大学医学部専任講師)は、ベストセラーになった著書『患者よ、がんと闘うな』『抗がん剤は効かない』などで、がんの3大療法(外科手術・化学療法・放射線療法)は意味がないばかりか有害だと声高に訴え、「がんは放置すべし」と主張しています。
私は約20年の医師人生を腫瘍内科医として、がん患者さんに向き合ってきました。そのなかで、現状のがん治療の限界も、奇跡のような生還事例も経験してきました。それ以上に目にするのは、日々、病気と格闘する患者さんたちの姿です。
近藤医師の本では、「がん治療」というものがひとくくりにされてしまい、「抗がん剤は副作用で患者さんを苦しませるだけで、効かない、意味がない」などと安易なレッテル貼りが行われています。
ところが現在、実際の治療の現場での抗がん剤使用は、まず第1に「副作用対策」が優先され、「治療効果」はその次です。どんなに優れた薬剤でも継続できなければ意味がありません。だから副作用のコントロールを重要視するのです。
近藤医師が言うところの「抗がん剤の副作用」は、30年前の冶療状況を指すもので、現状とは程遠い古い情報であることを心に留めておいてください。
また、これは臨床の場でとても重要なことなのですが、がんの治療に「1人として同じ治療はない」という鉄則があります。
仮に同じがん種・同ステージだったとしても、患者さんの体力や体質、さらにはがんの性質は千差万別です。目の前の患者さんのことをよく知らなければ、最適な治療を選択することは不可能です。
昨今は、インターネットをはじめ多くの情報が流れていますが、それだけ膨大な情報があったとしても、ご本人に当てはまるものは9割ないと考えていい。現実に必要なのは、患者さんごとのオーダーメード治療です。
「医者が患者を殺す」などのいたずらに恐怖を煽る言葉は、そのセンセーショナルな物言いゆえに広まりやすいものなのでしょう。しかし、がん治療がそんなふうに大ざっぱで、ひとくくりにできるようなものではないことは、まっとうに患者さんの治療に関わる医師であれば、すぐにわかることです。
治療の「生命線」をブチ壊す近藤理論
個別対応が必要不可欠ながんの治療には、当然、患者さんと医療者側の密なコミュニケーションが欠かせません。
ところが、近藤医師の主張は、「医者の言うことを聞けば、命の保証はない」と患者さんたちを脅し、治療の生命線ともいえる患者さんと医療者側の信頼関係をブチ壊しにかかってきます。
しかも、壊すだけ壊して、「放置した後の対処」については、いっこうに示す気配がないのです。彼の理論を信じ、がんを放置したあとの患者さんの面倒を近藤医師はみてくれるのでしょうか。何かあったときに、責任を取ってくれるのでしょうか。
答えは、否(いな)です。
私も、近藤医師の主張を真に受け、子宮がんをステージ4のままで放置し、夜間救急で運ばれてきた患者さんを診たことがあります。残念ながら手の施しようがなく、その方は腸が破れて亡くなりました。お気の毒としか言いようがありませんでした。
こうした例からも、近藤医師の「がん放置療法」は、治るものも治らないばかりか、よくなろうとする患者さんをも見殺しにした「がん患者放置療法」とも言うべき、きわめて無責任な主張と考えています。
医療体制の弱点
一方で、患者さんが近藤医師の言葉を信じる理由の一端が現在の医療体制の問題にあることは、私も自覚しています。その1つに、外来患者数が多いことによる1人当たりの診療時間の短さが挙げられます。
治療中の患者さんは、治療のつらさや不安、今後の生活の心配など、さまざまな思いを抱えていらっしゃいます。ところが、外来に見えたときに、患者さん1人の声にじっくり耳を傾け、苦しさを吸い上げるシステムが残念ながら存在していないのです。
また、診療時間が十分に取れないことによって、医師が肝心な局面で言葉足らずになってしまい、患者さんのデリケートな気持ちを傷つけている場合もあります。
特に誤解が多いのが「余命」についてです。たとえば完治困難なステージ4の場合、患者さんの半数が亡くなる「生存期間中央値」の時期を「余命」と説明してしまう場合があるようですが、実際には長期生存者も少なからずおられます。しかし、時間のない外来で「余命」を伝える際、その説明が十分でないと、「一方的に命の期限を通告された」となりかねません。
当然、患者さんの側には、「医者はわかってくれない」「人の命を軽んじている」といった潜在的な不満が残るでしょう。
近藤医師の理論は、言葉は悪いかもしれませんが、その不満に付けこむような形で「だから、医者を信用してはいけないのだ」とささやきかけるのです。
しかし、ここで問題になっているのは「現在の医療体制の弱点」です。感情的になるのではなく、どうすればそれを乗り越えられるかを冷静に考え、行動に移すことが患者さんにとって、よりよい結果を生み出すことは間違いありません。
〝患者力〟を上げるために
コミュニケーションエラーによって、患者さんの治癒のチャンスが失われてしまうのは、あまりにももったいない。
現状への歯がゆさを抱えつつも、よりよい治療を目指すために、私は地元で、NPO法人宮崎がん患者共同勉強会を立ち上げ、患者さんと医療者側のコミュニケーション、また同志としての患者さん間の交流を深める場を設けました。
ここでもお話ししているのが、「イヤな医師に対応する方法」です。同業者として耳の痛いお話を聞くこともありますが、まずは治療の円滑化のためにお勧めしている方法があります。それは、「医師への要望は手紙にまとめて、受付に渡す」ことです。
こうすることで、患者さんの求めているものを看護師などスタッフが目に通すことができます。その内容は医師の目にも必ず留まりますし、電子化されてカルテに反映されたりすることもあります。ほかのスタッフも見ているので、医師もむげにはできません。
これならば、外来での会話時間が短くとも、担当医も患者さんの要望を見落とすことなく対応することができます。少なくとも、患者さんの本当の〝ニーズ〟を把握できるため、コミュニケーションの質が上がるのです。
また、私は患者さんが「患者会」に関わることも積極的に勧めています。患者さんの治療は患者さんの数だけあるとお話ししましたが、「病院との関わり方」については、患者さん同士で共有されるべきノウハウがあると考えています。病院側への不満に対する対応の仕方、その成功例・失敗例……こうした具体的な事例を共有することで、患者さんのなかに主体性が生まれていくのです。
こうした〝患者力〟は、その方の生きる力にほかなりません。
がんの治療というのは、そのほかの病気の治療と少し色合いが異なり、その人の生き方・価値観が強く反映されるところがあります。
ですから、大切にしてほしいのは「自分が最も気にしているものは何か」という価値観であり、それは「病院が○○をしてくれない」「医者は○○だからダメだ」という受け身のスタンスや、すべてを○か×だけで裁いてしまうレッテル貼りからは最も遠いところにあるのです。
がんになったという事実は変えられません。また、がんは現段階で不治の病ではないけれども、完全に治ると言い切れる病気でもありません。その事実を踏まえながら、今やれることをやる。こうした覚悟は、単なる治療を超えて、患者さんの人生そのものによい影響をもたらすものと信じています。
<月刊誌『第三文明』2015年8月号より転載>
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